全地の祝福は、子としての神の代理の務め | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2007年  4月27日

海南島に住んでいると感謝な事がある。

何十年間も判らなかった事を神様は次々と教えて呉れる。

今迄、どうしても判らなかった事があった。

神様は時折、私に全地を祝福しなさいと云われる。

私はいつも思っていた。

(何で私の様なふさわしく無い者に言われるのであろうか?)

今日、朝の祈り散歩の途中で神様は教えて呉れた。

「ふさわしいからではなく、子として、又、神の代理としての祝福である」

やっと判った。

どんな不道徳な出来の悪い王子であっても、王の子であれば王の代理は務まるのである。

今迄、神様の命令を非常に軽んじていた。

意味が判らなかったから。

ある時、神様は云われた。

「須磨の山に登り、全地を祝福しなさい」

その日は会社の用事があり、行き度くなかった。

急遽、摩耶山に変更した。

そして山の麓のケーブル駅まで行った。

時間表を見ると、かなり待たなければならないし、会社の用事も気になるので、山上で祝福するのもここで祝福するのも同じだろうと引き返して会社へ行った。

しかし、この事が神様の怒りを引き起こした。

2、3日後、会社で鉄板が足の上へ落ち、親指がズキズキ痛んで、一週間位まともに眠る事が出来なかった。

次に眼に鉄の粉が突き刺さり、又一週間まともに眠る事が出来なかった。

次に鼻炎になり、又、何かで一週間以上、計1ヶ月半位、本当にひどい目に合った。

結局、親指の爪ははがれ落ち、鉄粉は眼医者で取ってもらった。

その時に私は思ったのであるが、何もこんな事位でそんなに怒る事はないではないか、と…。

今日やっと判った。

私が摩耶山に登らなかった事は、神様の代理執行を拒否したのである。

神様は、その時必要であったから私に命じ、祝福させようとされたのである。

私の不従順の為に祝福を受けられなかった人の損害は私の苦しみよりもはるかに大きい(のではないかと想像)。

…これは聖霊は拒否。

神様から受けた命令の中には、子としての神の代理がある。

私は時折思うのであるが、

「人には出来ないが、神には出来る」

の反対に、

「神には出来にくいが、人には簡単に出来る」

がある。

例えば、神様が一人の人に自分の思いを伝えるのに、天使に命じ人間の姿を取ってその人に伝える事も可能である。

しかしそれでは神の義を全うする事はできない。

しかしその人に近い人に神様が働きかけ、その思いを伝える事は簡単である。

私も何十年間も神の言は軽んじてはいけないとの忠告は聞いていたと思うが…今日迄判らなかった。


実に、我々イエス・キリストに救われた者は、神の現地駐在員である。

他の人に対しては、神の大使である。

自分は全くふさわしくない人間であると云うのは止めにしよう。

子であれば、すなわち王子である。

子であるだけで勤まる用事もある。


この文は一部、聖霊に拒否されたので、昔の記録を調べ直したら、麻耶山は最初、須磨の山であり、3週間と思っていたら一ヶ月半であった。


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