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解聞鏡

クローズドで行われている手技の練習会という名の道場の中で
出て来る特徴的な言葉を集めたブログになります。

色んな人のを受けてみる。

これは皆さんの立場だと、自分より上手い人のを受けてみて、

自分の手技の表現として取り込めるかである。

そういえばOさんが言っていた。

「一人遊びでも上手くなれる自分を発見できたから良かった」

これを聞いて、一人で上手くなれるステージと

一人ではなく誰かと関わってしか上手くなれないステージがあるんだなと思う。

まずは色んな人のを受けてみる。

そして何らかの型が明確になったら自分で課題に取り組んで行く。

ここからはブログで以前に書いた通り、十牛図を回していく。

 

 

こんな流れなんだろうなと思います。

 

 

Fの病気によってこれが明確になった。

一方、Fの中でもこの論点について何らかの考えが浮んだようである。

その結論が伝承。

自分の手技をどう伝えていくか。

今、F自身がこれに取り組んでいます。

Fの手技を表現するために自分の身体として何を表現できなければならないか。

これをある人とのセッションの中で自分との対話によって構築しています。

ベースはこれで良いのでしょうが、私は厄介な身体。

ベースレベルではお話にならない。

〇〇レッチを超えたところでの手技でしか対応できない?

伝承されている方々にはその領域に早めに行かれる事を望みます。

 

 

代償が出るかけ方はそもそもがかけ方が間違っている。

私が受けた手技で『危うさ』を感じた事があったが、これもきっと間違っていたのだろう。

自分がやっている手技は本当に正しいのか。

こんな問いが出て来た時に今までとは違う手技のかけ方が生まれるのだと思います。

 

 

皆さんがお客さんを迎える時、どんな活動をしていたか。

これらを見ている場面があると思う。

これに対して手技を行っていくわけである。

皆さんのアプローチによって次の生活の連鎖が行われている。

この繰り返しでお客さんの身体は改善されていく。

これが結果となって、お客さんの身体の動きの穴を埋めていく。

 

 

いつもとは全く違う色の手技を見せられる。

Tから受けた手技にはこんな場面があった。

このブログではTの手技は二人ヨガであると書いた。

そして別の日では私を黙らせる手技を味わった。

やる人によって違う顔を見せれる。

こんなところにもTの性格の悪さが出ている(笑)