今回のFの休息はF曰く、私のせいだったようで、
この話を聞いた私はやはりFのせいであると思う。
まぁ正直、どっちでもいい(笑)。
さてこの休息の間に私に起きた事は総体的に見れば、
Y1の次のステージへの歩みを進める事だったのだろう。
Fはこの休息の間に深化のプロセスを歩んだようで、
(こう書いている時点でFが無意識的に深化の段階を上げたいが為に
意図的に休息を取ったとしか思えない。こう思えないからこそFのせいだと私には思える。)
私はY1とTのを受けざるを得なくなった。
ここでY1の変化に気付いたが、このブログで書いた通り、物足りなさを感じ、
Tのを受けて体感としてかなりの変化を味わった。
この体感の差は手技に関する概念の違いで起こっているなとも感じ、
改めてY1の自己表現のすゝめをする過程だったのだろう。
Y1に関してはこのブログで書いた「試練→五角形→風」のブログが見事に刺さったようで、
漸く?山の登りを始めた?ようである。
Y1にも話したが、上記の「」の展開はFの休息によって生じたものであり、
そもそも休息が無ければこの展開もこのブログでは書かれなかった事である。
となると、Y1の深化を促す為の意図的な休息だとも思える。
(これまたFのせいって言えなくない?)
こんな思考のプロセスは『葬送のフリーレン』を観て培われたもの。
『葬送のフリーレン』とはそこにあるものを受け取るのではなく、
そこに無いものが何故、無いかを思考する物語。
昨今の社会の風潮からすれば、
今のこの現代に存在するという事自体が見事な対比として浮き上がる物語だなと思います。
試練によって最大の恩恵を受けたのは誰か。
これは読まれた感想にお任せ致します。