説明書 | 解聞鏡

解聞鏡

クローズドで行われている手技の練習会という名の道場の中で
出て来る特徴的な言葉を集めたブログになります。

このブログを書いているのは10月21日である。

それが1週間後にUPされる。

最近、これについて『何だかなぁ』と思っている。

何故なら、何だか時間軸が自分の中で合わなくなっているのだ。

Mのブログを毎日、読んでいて思う。

『このブログで展開されている事が何故、起こっているか。Mは分かってないんだろうなぁ。

 これについては〇〇の構造だからそうなるんだよ。』

こんな事を思うと、ブログで書きたくなる。

しかし、書いたとしても、UPされるのは1週間以上先になる。

今の想いと時間軸が完全にずれてしまう。

ほんと『何だかなぁ』と思う。

Fに言われたけど「練習会動画を見て私がどう解説するか

(どういう視点が私には見えているのか)の動画」を作った方が

きっと私のこの思いも昇華できるのかななんて。

それともセミナーでもやるか!?

道場をある時間、借りて練習会動画をスクリーン(鏡に模造紙を貼って)に映して、

これについて私がどう思うかなんて。。。

ただでやる気ないし。聞きたいニーズも無いな(笑)

なんてちょっと愚痴から始めてみました。

申し訳ない。

というわけで本題。

 

先日の練習会である事に気が付いた。

ある人が手技を受ける時にやる側に対してかける言葉があると。

それは『私は○○が弱い。』とか。

『〇〇がゆるゆるで』とか。

『ここが〇〇でこうして欲しい』とか。

一方で、

「〇〇のようにやらなければならない」

「〇〇の癖がある」

と言われる人がいる。

 

この2種類の方がいるなと思った。

この話をFにしたら別の文脈の話をされたので、

これについては明日のブログで書いていこうと思う。

 

話を戻します。

こんな事があると思った時に、

自分の身体の説明書がある人と無い人がいるんじゃないかと思った。

つまり、自分の身体はどんな表現をしているか。

そしてそれがどう出来るかという事を完璧に把握している。

そう私には思えた。

こう思うと、別のブログで書いたFの身体は技術によって出来ているのは合っているなと思う。

こんな事を自分で書いていて自分自身は全くこれについては出来ていない。

しかし、私がある会社に行き始めた時に感じた事はこうだった。

『自分の身体は固い。この固いのが柔らかくなれば自分の表現力は増え、

 絶対仕事は上手くなる。』

その結果はどうなっているか分からないがきっとこの仮説は合っているのだと思う。

となると、自分の身体はどんな特性があるか。

これを把握することも手技が上手くなる一つの技術と言えるのかもしれない。

そして今、これをテーマとして突き付けられているのがMである。

別のブログでも書いた。

受け手としてどう導くか。

それにはまず自分を知るところから始めなくてはならないのだろう。

こんな事を書かなくてもきっとMは分かっている。

そういう動きをしているのは観ていても分かるのだから。

 

 

 

主催者のブログ【このブログの表面(おもてめん)】
火曜日8時半UPです。

 

 

主催者のメインの手書きのブログはこちら。
更新は見た感じ1週間に1回のようです。

 

 

練習会に参加されているMのブログ

 

 

道場に参加されているUのブログ

 

 

 

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現在、ご購入いただける動画は10月12日と17日のものになります。