こんにちは。Naoyaです。
というブログをちょっと前に書きましたが、
最近お会いするクライアントさんから、
この話題がよく出てきます。
衝撃的だったとか、目から鱗が落ちたとか。
ハッと目が覚めたとか。
さまざまな反響をいただいています。
で、先日とある方からいただいた質問で、
こんなものがありました。
昔の傷をただのエピソードとして人に話すとか、
悩んでいる人にヒントやアドヴァイスとして伝えることは、
コミュニケーションの言語にすることではないのか?
という内容です。
きっと同じような疑問を持った人は、
他にもいるのではないでしょうか。
お答えしましょう。
「悪化も、痛みも、怒りも、恨みもない」
という状態であれば、
それは傷をコミュニケーションの言語として
使っているわけではないので大丈夫です。
自分はダメだと自分を責めて、
自分自身をさらに悪化させてしまう。
思い出すだけで、
今も心が痛んでしまう。
あのときあの人に言われたことで
傷つけられたことに怒りが収まらない。
あんなひどいことをしたあの人が許せない。
今も恨み続けている。
過去の自分の傷を話しながら、
そんな気持ちが湧き上がってくるのなら、
過ぎ去ったはずの過去の傷を「今」のものとして、
自らの手で現在形で生き続けさせるのと同じことです。
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僕も自分の過去の傷をクライアントさんに
お話しすることがよくあります。
上手く自己表現できなかった学生時代、
父や母との関係、リストラや難航した転職活動、
人間関係での衝突…
大小を問わず、
いろんな苦いことや傷を経験しつつ、
それを乗り越えて今、ここにいます。
かつてなかなか克服できなかったことや
乗り越えられなかったことを、
どう乗り越えることができたのかをシェアすることで、
クライアントさんのヒントやガイドになればと
お話しさせていただくことが多々あります。
でも、そこには悪化も痛みも、
怒りも恨みもまったくありません。
だからこそ、安心してお話しできるというわけです。
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最近つくづく思うのは、
「癒しというものは与えるものじゃない」
ということです。
誰かに傷つけられた過去。
逆に誰かを傷つけてしまった過去。
自分のダメさや愚かさ、くだらなさ。
素晴らしさや偉大さ、尊さ。
そのときの自分にとって可能なこと。
不可能なこと。
いい面もそうでない面も、
自分のすべてを受け入れて許せた自分が
ありのままの自分として、
そのまま傷ついた人の側にただいるだけで、
癒しは自然と生まれてくるんだと感じています。
マナカードを初めとしたオラクルカードも、
オーラソーマやパワーストーンも、
ただのツールでしかなくて、
ツールが人を癒すわけではありません。
ちなみに、僕は個人セッションなどで、
そのときそのときの最新の「今」の自分で
クライアントさんに寄り添って、
やれることを全身全霊でやるだけだと思っています。
上からとか、特別なポジションから
「癒しを与える」みたいなことではないんです。

