ここ1か月の間で、ガイハさんもU田さんもお酒で失敗をした為に、泊まりでの飲み会が中止になった今日この頃、皆さん記憶の忘れ物してませんか?
トラウマによってすっかり弱りきっていれ"れしーと25cm"。
その姿はまさに水に濡れて印刷の滲んだ使い物にならないレシートの様。
いつの日かお互いにトラウマを払拭出来る日は来るのでしょうか。
そして4月になれば"れしーと『25.5』cm"。
はたして靴のサイズのような名前で活動が許されのか…今後の動向にご注目下さいませ。
申し訳ありません。
書き出しから謝罪。
アイアムジャパニーズ、ペコリーノ。
本日の日記は面白さナッシングです。
日記を読んでくれている読者がいて、そんな方々にメッセージの発信者として何か心に残したり問題提起出来ればと、常々思っているわけですが、個人的に考えさせられる事があったので、本日は少し真面目な話をさせて戴こうと思います。
そんなのガイハじゃない?
つまらない?ふざけ?
雹(ひょう)や霰(あられ)が降る確率でこんな日があっても良いじゃないですか。
さて、前置きが長くなりましたが、さっそく。
『いのちの食べかた』という映画の予告を見ました。
食べ物が、どういった過程を経て食卓までやってくるかというテーマを、『生き物』から『食べ物』に変わっていく生々しい映像で淡々と伝えるドキュメンタリー。
生きた牛は切られ肉の塊となっていく…。
日頃、目を背けたくなるような事実…命あるものを食べて生きている事、人間によって食べられる為に生まれる命がある事を語りかけています。
生きる為に生を奪わなければならない事実。
その事実を否定するのではなく、それを踏まえた上で何を思い、何が出来るのか。
ガイハさんだって偉そうな事を言って、何も出来ていないのかも知れませんが、たった1つ大切にしている事が『いただきます』『ごちそうさま』の礼。
いただきます…只の食前の挨拶ではなく、命を与えてくれた事への感謝、それによって生きられる事への感謝の言葉。
ごちそうさま…目の前の料理が一言で『ご馳走』に変わり『礼』を尽くす言葉。
『いただきます』や『ごちそうさま』には、『bless you』や『amen(アーメン)』では表現出来ない、日本語独特の優しさや奥床しさといった美意識が潜んでいるように思えます。
この言葉が言えるだけでも無味乾燥な人と食べ物の関係が『生きた』関係へと変える事が出来るのではないでしょうか。
そういうわけで、ガイハさんも、腐っているとわかりながらも変色したハムを食べて異様な甘さにノックダウンした事も…
脳みそのように変形した"たこわさび"を口に流し込んで覚醒したのも…
卵抜きシーザーサラダをオーダーして、お約束通り卵が載っていた事に激怒したのも…
全て命の無駄を防ぎ感謝の気持ちを込めて…あれれ?
何か違いますよね。はい。
ついつい笑いで締めてしまたくなってしまうのが僕の悪い癖。
最後は右京口調になってしまいましたが、もし読んでくれた人に、食べる事に対して、何か心にひっかかるものがあれば嬉しいですね。
…まとまってない?
ええと、歌で締めましょうか。
ガイハさんの牧場で イーアイ イーアイ オー
おや鳴いてるのはふーりんさん
にゃーお にゃーお にゃー!!
ひぃっ。
牧場なんてないっ!