週5日は通ってるコンビニの店員の態度が、ここ最近冷たく感じる今日この頃、皆さんセブンイレブンいい気分してますか?
やはり168円のおにぎりを136円のおにぎりに切り替えたからでしょうか。
もしくは、経費削減で愛想までカットされたか。
『冷たくされると傷つきやすいので、優しくして下さい』と申し候。
JRの車内で、おっさんが人差し指で、耳垢を取ろうと四苦八苦していました。耳刺し指。
それはそう、狭い座席に無理矢理お尻から特攻して腰かけようとするおばさんを彷彿とさせる無法さ。
そんなおばさんが、人と人の狭い隙間で、狭い耳の穴の中に指を突っ込むような事をしたら我々は何処に居場所を見出だせば良いのかわかりません。
世界の目がミクロの方角に向かえば、人類も皆狭く小さな所に居場所を求めるとでも言うのでしょうか。
そう考えると、壁一枚先の話し声も聞こえてしまいそうな、都会の穴蔵生活も意外と理解に適っていると言えるのかもしれません。
そういえば子どもの頃、『人差し指で鼻をほじっていると、鼻の穴が大きくなって元に戻らなくなる』と言われてもずっとほじっていました。
これも狭き地への憧れでしょうか。
もしあの時、指を入れなければ今頃イタリアン人のような美しい鼻をしていただろうに!!
もしかしたら、人は狭所に、胎児の頃の安心感を求め狭所回顧に浸っているのかもしれません。
ほじる指先に赤子の我思ふ。
なかなか詩的じゃないですか。そうでもない?えっ?
まぁそんな戯言が尽きない程、おっさんの耳ほじりは醜い光景なんですよ。
しかも、手慣れた手つきで手摺りにふきふき。これだけ手が並ぶと猫の手も必要ないはず。
この手摺りには、おっさんの垢から遺伝子までこびりついてしまったわけです。
もうこの狭い空間に逃げ場はありません。
そう狭所には安心感と同時に逃げ場がなくなるという恐怖感とも戦う事になる…まさに両刃の剣なんですね。
人は矛盾の生き物。
一つの場所に留まる事は楽だけれども、それは同時に崩壊の危機を背負うという事。
今日は深い話になりました。
とりあえず耳垢をとる時は、自宅でお風呂上がりに耳かきか綿棒でお楽しみください。間違っても指は使わないように。
結局何が言いたいって、耳かきを使ってもなかなかとれなかったわけなんですよ。
深追いし過ぎて鼓膜破れたらなんて考えて怖くなる小心ぷり。
だから耳かきを使ってもとれないのに、なんで太い指先でとれるのかと。まぁひがみですね。ええ。
