「自然体でいなければ」と言う不自然さに気付く | 水沢実験室

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「自然体でいなければ」と言う不自然さに気付く。

エゴを手放しましょう自然体でいましょうと言った側から「さぁエゴを手放すぞ」「自然体になるぞ」と不自然な行為を始めるのがエゴなので、スピリチュアルの探究自体が矛盾に満ちて仕舞うのです。
悟るのを諦めた時、求めずとも最初から悟りの中にいたんだと気付くのがもどかしい所ですが、すかさず「よし、悟りを諦めるぞ」と力むのでループします。

では本当に悟りを諦めたら我々は何をするのでしょうか。もう一生、悟れないしアセンションも出来ないし今世はエゴからの脱却も不可能だとしたら、明日からどう生きるでしょう。

「ワクワクしなければ」「良い気分でいなければ」と必死の形相で自分を追い込み仕事を辞めて無一文になったけど、そこまでしても悟れないなら仕事に復帰するかも知れません。
生野菜にオリーブオイルと岩塩だけの食事で栄養失調になったけど、そこまでしても次元上昇出来ないならバーベキューに参加して乾杯のビールを酌み交わし腹一杯になるまで肉を頬張りデザートの焼きマシュマロまで平らげるかも知れません。
ネガティブな感情を持ってはいけないと愛想笑いをし怒りを抑え付け悲しみから目を背け憎しみなんて無い振りをして神経症になったけど、ここまで耐え抜いたのに聖人への道は閉ざされ凡人として生きるしか無いのなら、今まで隠して来た本音をぶちまけ嫌な奴を罵倒し自分の権利を主張し、やりたく無い事を全て放棄し誰に反対され邪魔されようが子供時代に見ていた夢を実現させるべく奮闘努力するかも知れません。

スピリチュアルの名の元に、一体どれだけの我慢を自分に強いて来たのでしょうか。
無為自然とは在るがままを赦す姿で、意図的にする物では無く、振り返ってみればそうだったと言うに過ぎません。小手先で人生を生きたって虚しいだけです。そんな小賢しさなど蹴り飛ばして、全力でボロボロになりながら生きて行けば宜しい。そこにエゴの出る幕は皆無です。
やがて自分とは幻想で、ただ世界だけが流れていた事を理解します。自分もまた世界の風景に過ぎなかったと腑に落ちた時、あなたが悟りを体現する存在となるのです。