ジム ヴァランス(ソングライター  ブライアンアダムス  エアロスミス等) | ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatles  影響 評価 

ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatles  影響 評価 

 ビートルズやビートルズのメンバーに対するミュージシャンの発言は今までたくさんありました 。おそらくこれから先もたくさん発言される事でしょう。ここはビートルズが与えた影響を記録していく場所です。

       

       ミューズ オン ミューズ 

 

◎ あなたが音楽に興味を持つことになったきっかけについて教えて下さい。
 

 子供の頃は全く音楽に興味がなくて、テレビで主にホッケーや野球なんかのスポーツを見るのが好きだった。バットマンやスーパーマンのマンガ本を読むのも好きだったな。言い換えれば、カナダ人としてはごく普通の11歳の少年だった。でも、1964年2月9日にテレビでザ ビートルズを見て全ては一変した。その瞬間、「ミュージシャンになりたい!」って思ったんだ。あれこそが僕の人生を変えたと言える。

 

 

◎当時はどのような音楽、アーティストに影響を受けていましたか? 彼等に惹かれた理由もお聞かせ下さい。


  最も大きな影響を受けたのはザ ビートルズだね。それは今でも変わらないよ!彼らのスタジオ録音はプロダクション、作詞、楽器の使用や演奏面でも画期的だった。もはや誰も彼らを越えられないと思う。

 

 

◎あなたはピアノ、ギター、ドラムとマルチな楽器プレイヤーでもありますが、それら楽器に取り組むこととなったきっかけやマスターしていく過程で目標としていたミュージシャンなど当時の思い出についてお聞かせ下さい。


  楽器のチョイスもザ  ビートルズに影響されてのことさ。最初にドラムを選んだのはリンゴが理由だよ。彼は今でも世界で一番好きなドラマーだ。 13歳になる頃にはバンドでドラムを叩いていて、ギターも同じ頃に始めた。ピアノについては7、8歳の頃にレッスンを受けたことがあったので、少しは知識もあった。そんなわけで、13歳の時には、すでにこの3つの楽器をプレイしていたことになる。

 

 

◎その当時は周りの音楽仲間とバンドを組んだりしていましたか? どのような音楽をプレイしていたのでしょうか?
   

   「ザ トレモローンズ」っていう、学校の友達と組んだバンドが最初のバンドだね。誰も歌に自信がなかったので、インスト主体のバンドだった。ザ ベンチャーズの「ウォーク ドント ラン」とか「パイプライン」といったサーフミュージックを演奏していたよ。

 

 

◎ ソングライティングはいつ頃から始めたのでしょうか? 初めて作った曲はいまでも覚えていますか?
 

 

   16歳の時に初めて「Marjory」って曲を書いた。あんまり良い曲だったとはいえないけど・・・まあ、そこまで悪くもなかったかな。

 

 

◎ソングライティングしていく中で理論についても専門的に学んだのでしょうか? 気になるアーティストの曲などに対してどのような観点で分析や研究をしていたのでしょうか?
 

 

   子供の頃に少しピアノを習っていたのに加えて、大学で一年間クラシック音楽を学んだ。でも、ほぼ独学だよ。個人的に思うのは一部のミュージシャンは音楽教育を受け過ぎる傾向にあると思う。彼らは譜面に書いてある音符を読むことはできる。でも、それは耳よりもむしろ目に頼っているということだ。(楽譜が読める)というのは確かに重要なスキルだけど、それよりももっと大切なのは(自分の耳を活用する)ということだ。それこそがソングライティングで最も必要とされるスキルなんだ。

 

 

◎ブルース フェアバーン(エアロスミス ボンジョヴィ、ヴァンヘイレンのプロデューサー)と共に活動していたバンド Sunshyne、Prism について詳しくお話し頂けますか?
 

 

    Sunshyneはジャズ、ロック、クラシックの要素を融合させたバンドだった。曲のアレンジ的には中々面白いものがあったので、スタジオ録音の機会に恵まれなかったのは残念だったけど、その一方で、僕らの音楽はラジオ向きとは言えなかった。レコード契約に漕ぎ着けるほどメインストリームではなかったんだ。 それで、Sunshyneの後に加入したのがPrismだ。Prismは僕にとって初めての(スタジオ バンド)で、自分の曲が正式に録音されたのはそれが最初だった。今、聴き返してみるとかなりミスも多いけどね。まあ、厳密にいえば“ミス”というよりは、“今だったらああいうやり方はしない”とか、そういった類のことだな。ともかく、ブルース フェアバーンも僕も若くて経験不足だった。僕らは本当に多くのことを一緒に学んだよ。Prismは僕らにとっての“学校”であり、“実験の場”だった。

 

 

 

◎音楽キャリアの中で自身のバンドではなく、他のアーティストとのコラボレーションによるソングライティングやプロデュースをメインの活動に選んだのはなぜでしょうか?
 

 

  世の中には、ブライアンアダムスやスティーブンタイラーのような“生来のパフォーマー”もいれば、僕やマットラングのような元来“裏方向き”の人間もいる。僕自身はよりプライベートで静かな日常を送る方が好ましい。スポットライトを浴びる必要はないんだ。

 

 

◎ブライアンアダムスとは長い間、作曲でコラボレーションしていますが、ブライアンと仕事するようになったきっかけや初めてブライアンと一緒に仕事をした際の彼の印象は如何でしたか?

 


   ブライアンと出会ったのは1978年1月のことだ。彼は18歳で、僕は25歳だった。僕は彼の歌とギタープレイとエネルギーに深く感銘を受けた。加えて、彼には多くの熱意と沢山のアイデアがあった。「物事をどう達成すべきか」なんて、彼自身、よく分かっていなかったと思うけど、彼には“ともかくやってやる”という決意があった。僕は喜んで彼に着いていこうと思った。

 

 

◎ブライアンのアルバム「Reckless」がリリースされて30周年を迎えましたが、このアルバムを制作した当時の想い出や印象深いエピソードなど教えて下さい。
 

 

   覚えていることの大半は、曲作りに如何に時間を費やしたかということだね。毎日12時間を1年間続けた。大変だったけど、凄く楽しかったよ。

 

 

◎ブライアンとの共同作業では数多くの名曲を生み出していますが、ブライアンとの作業はどのように行われるのでしょうか? 作曲作業のプロセスについて詳しくお聞かせ下さい。

 


   通常はどちらかが何かアイデアを出して、例えばそれはメロディーの一節だったり、歌詞だったりするんだけど、そこからそういったものをお互いに投げ合って、様々な要素を足していくんだ。“ソングライティング”というよりは、“ソングビルディング”って感じかな。曲として最終的に仕上がるまで、まるでパズルのようにピースを足していくのさ。

 

 

 

◎あなたは他にもAerosmith、 Ozzy Osbourne、 Heart、 Alice Cooperといった様々なアーティスト達と一緒に曲を書いていますが、それぞれのアーティストにフィットする曲を作る上ではどのような準備から入り曲のイメージを膨らませていくのでしょうか?
 

 

   敢えていうなら、学校の課題で調べものをするような感じかな。過去の音源を聴き込んで、そのアーティスト独自のバイブに自分自身を浸透させるんだ。で、実際に本人に会った時に、そこからどのような方向に発展させたいのか、あるいは過去の音源からどう変化させたいのかを話し合う。 バンドと一緒に曲を書く際には、事前にアイデアを練っておくことと、スタジオでのスポンテイニアスな曲作りとのコンビネーションだね。

 

 

◎あなたはこれまでに様々なアーティスト達と数多くの素晴らしい曲を生み出していますが、あなたの音楽キャリアを語る上で特に印象深い曲とその理由についてお聞かせ下さい。

 


  ブライアンアダムスと書いた「Summer of 69」は僕にとって重要な曲だ。書いてから30年経っても未だによく取り上げられるし、世界中のラジオ局でオンエアされている。スティーブン タイラーとジョー ペリーと一緒に「ラグドール」を書いたのも良い思い出だ。アリス クーパーやオジー オズボーンと過ごした時間もとても楽しかった。自分はこれまでのキャリアにおいて、人との出会いに本当に恵まれていると思う。

 

 

        リディスカヴァー  2018

 

◎音楽業界でのスタートはいつ、どのように始まったのですか? その後、他のアーティストが演奏するための曲を書くキャリアを積んだのですか?

 

 

 

  10歳か11歳の若い頃、私は漫画本とスポーツに夢中だった。私は音楽に少しも興味がなかった。そして1964年2月、私はビートルズをテレビで見た。そうだった!その瞬間、私は残りの人生で何をしたいのか分かったんだ。それでギターとドラムを独学で学び、最初はとてもシンプルで原始的な曲を書き始めた。私は安いテープレコーダーを持っていて、実験するのが大好きだった。家の部屋から部屋へとドラムキットを動かして、いろんな音を試していた。私の両親はとても我慢したんだ!


  私はアルバムのスリーブにある「小さなプリント」をすべて読んで、音楽の背後に誰がいるのかを見ていた。ジョージ マーティン、エディ クレイマー、アンドリュー ルーグ オールダムのような名前。数年後,わたしはアンドリューと友達になった。素敵な仲間。彼はとても親切で忍耐強く、ローリング ストーンズとの仕事に関する私の果てしない質問に答えてくれる。エディも同じだ。私は数年前に彼と夕食をとり、ヘンドリックスとレッド ツェッペリンについてたくさんの質問をした。

 

 

 

◎これまでに書いた曲の中で、個人的に好きな曲は1曲か2曲ありますか?

 

 

  私はビートルズ、ストーンズ、ビーチボーイズの大ファンだ。家で音楽を聴くとき、それがステレオに載っている。自分の曲はカーラジオに出てこない限り、決して聴かない。

 

 

 

        ギターワールド 2014

 

◎ソングライティングを始めたきっかけは?


 ビートルズのせいだ。11歳のときに彼らをテレビで見て、すぐにミュージシャンになりたいと思った。ドラムとギターを始めたんだが、ソングライティングは15歳か16歳になってからだよ。私の叔父に曲を書いている人がいて、彼のおかげで人間らしさを感じることができたんだ。(ビートル)である必要はないんだ、と。誰でも挑戦できるんだと。

 

 

           彼のホームページ  2003

 

◎人として、ブライアンのことをどう思いましたか、またはどう思いますか?


   ブライアンは素晴らしい。彼は、私がこれまで会った中で最も知的で、意欲的な人物の一人だ。彼は止められないんだ。ごく初期(1978年)には、誰にも彼の曲を聴いてもらえなかったし、ブライアンをアーティストとして注目させることもできなかった。でも、彼はそんなことで落ち込んだりしなかった。もっと頑張ろうという気になったんだ。


◎ブライアンはあなたのことをどう思っていたと思いますか?曲作りのパートナーとして、あるいはそれ以外として。

  私が彼との仕事を辞めた後、ブライアンはプレスで私について本当に嫌なことを言った。。。例えば、私が「十分に献身的でなかったからマットラングと書き始めたと言ったが、それは全く真実ではない。それは1、2年続いたけど、その後、彼は僕についてすごくいいことを言うようになった!!彼は僕のことを "天才に近い "と言って、僕が一番影響を受けた一人だと言っていた。インタビューで、大きな影響を与えたものとして、「ポール マッカートニーとジム ヴァランス」の名前を挙げているんだよ。これには驚かされたよ。


 

 

 

       ゴールドマイン 2021  

 

 〇人生を変えた10枚のアルバム

 

 

ザ ビーチボーイズ ペットサウンズ

  親からもらったベンチャーズのアルバムをすでに持っていたので、レコード屋で交換してもらったんだけど、お店の人が提案してくれたんだよ。「ベンチャーズが好きなら、ビーチボーイズも好きだろう。」と言われた。私は急いで家に帰り、新しいビーチボーイズをターンテーブルに乗せて、"サーフミュージック "を楽しもうとした。しかし、スピーカーから流れてきたのは、私を困惑させるようなものだった。それは "サーフ ミュージック "から最も遠いものだった。しかし、私は聴き続け、徐々にその良さがわかってきた。50年以上経った今でも、『ペットサウンズ』は個人的に大好きな作品だよ。

  

ビートルズ   サージェント ペパーズ ロンリー ハーツ クラブ バンド 

  15歳だった私は、発売された週にサンフランシスコのヘイトアシュベリーで『Pepper』を購入した。正直言って、このアルバムには戸惑ったが、オープニングからすっかり魅了されたよ。大胆さと気まぐれさが同居するこれほどまでに素晴らしい作品は他にはなかったからね。新しく出てきた常識を覆すものだよ。ゲームチェンジャーだ。Pepperのすべてが新しく、予想外であり、驚きだった。。。まるでカーニバルの乗り物のように、奇妙で風変わりで、それぞれの曲が次の曲とはまったく違っていた。私は圧倒された。今でもそうだよ。
  

ジミ ヘンドリックス エクスペリエンス   アー ユー エクスペリエンスド

   学校の友達に "Purple Haze "聞いたことある?"と聞かれた。ようやく聴いたとき、私の心は大きく揺さぶられた。一瞬のうちに、音楽について知っていると思っていたことがすべて消えてしまった。ヘンドリックスはギターで 「可能」 と考えられていたものを手に入れ、 「不可能」 の領域に足を踏み入れた。彼の人生とキャリアはあまりにも早く終わったけど、ジミ ヘンドリックスはその短い期間で音楽を永遠に変えてしまった。

 


ボブディラン、  ボブ・ディランのもう一つの側面, 

   10代半ばの頃、私はベティという女の子に恋をしていた。ベティにはマーレイという兄がいて、彼は大の音楽好きで、バーズの音楽を紹介してくれた。"Mr. Tambourine Man" や "My Back Pages" といった曲で、これらの曲はボブ ディランが書いたのだと教えてくれた。ボブって誰?と言うと、マレーは彼の大事なディランのアルバムを家に持ち帰って聴けという。「きっと理解できるはずだ。」と彼は言った。そして、結局、私は理解できたんだ。

  
イエス、クローズ トゥ ザ エッヂ

   1971年、YESのアルバム『Fragile』、特に "Roundabout "という曲が目に留まった。名人芸のような音楽性、ベースとドラムの緊密な相互作用、リック ウェイクマンのクラシック調のキーボードワークが印象に残っている。その1年後にリリースされた『Close To The Edge』では、2倍の感動を覚えた。サイド1、レコードを裏返す、サイド2、この繰り返しで、何度も何度も聴いた。

  
ザ ローリング ストーンズ  レット イット ブリード

  1964年当時、君はビートルズファンかローリングストーンズファンのどちらかになった。二つの陣営。中間はない。私はビートルズを選び、その結果、60年代の残りの期間、ストーンズの音楽の多くを聴き逃した。そして1969年の夏、レコード屋で「ホンキートンクウィメン」を聴いた。ブルース、R&B、カントリー、そしてロックのハイブリッドであるこの曲の威勢のよさに、私はすぐに惹きつけられた。カウベル、ギター、ドラム、そしてミックのヴォーカルだけという、ミニマルでシンプルなヴァースも気に入った。その瞬間から、私は筋金入りのストーンズファンになったんだ。

  
レッドツェッペリン  レッド ツェッペリン

 私が初めてレッドツェッペリンを聴いたのは、友人のアレックスが昼休みに屋外で、特大の重厚なアンプ付きスピーカーから「グッドタイムズ バッドタイムズ」を大音量で流した時だった。ヘビー "という言葉では言い表せないほどだった。こんな音は聴いたことがない。雷を音楽として再構築したような。他にどう表現したらいいのだろう。私はまだ完全に立ち直っていないよ。

  
ザ バンド、ザ バンド

  私が最初に心を奪われたのは、彼らの2枚目のアルバム、シンプルなタイトルの「ザ バンド」でした。一見ルーズに見えるが、実は完璧にタイトな演奏と、アメリカ南部と過ぎ去った日々への本物の回帰。。。。カントリー、ブルーグラス、初期のロックンロールの色合いが好きだった。

  
ジョニ ミッチェル

 

  彼女の歌詞は非常に個人的であるが、完全に共感できる。彼女の声は天使のようだ。またダルシマーのアコースティックギター、パーカッションの組み合わせは、 「オールドスクール」 であると同時に斬新なサウンドも提供する。繰り返し聴けるアルバムを探し出すときには、Blueが最適だ。それは、私の魂のための食べ物だったし、今でもそうだよ。。私のお気に入りのジョニミッチェルのアルバム。