クール&ザ ギャング | ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatles  影響 評価 

ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatles  影響 評価 

 ビートルズやビートルズのメンバーに対するミュージシャンの発言は今までたくさんありました 。おそらくこれから先もたくさん発言される事でしょう。ここはビートルズが与えた影響を記録していく場所です。

Kool & the Gang

Robert "Kool" Bell

ロバート クール ベル (ソングライター ベース ヴォーカル)

 

 

    2018     クリプティック ロック 

 

◎ Kool & the Gangの創設メンバーとして、ソングライターとしてあなたは過去50年間に8,000万枚以上のアルバムを販売し、25曲のトップテンシングルを出すなど、多くの成功を収めました。あなたの音楽の旅を簡単に説明してください。

 

  それは、経験の進化です。1964年にThe Jazziacsとしてスタートし、その後、The Soul Town Band、Kool & the Flames、そしてKool & the Gangと名前を変えてきました。その時、ジェームス ブラウン&ザ フェイマス フレイムスがいたので、ゴッドファーザーとのトラブルは避けたかったので、クール&ザ ギャングに改名することにしたんです。最初のアルバムは1969年7月7日に発売されましたから、実は来年はクール&ザ ギャングの50周年にあたります。


  その後、いくつかのアルバムを録音しましたが、70年代の大作は『ワイルド&ピースフル』(1973年)です。その後、『ライト ザ ワールド』(1974年)を録音して、映画『ロッキー』(1976年)にも使われた「サマー マッドネス」を収録しました。その後、『オープン セサミ』(1976年)というアルバムを作って、映画『サタデー ナイト フィーバー』(1977年)に出てくるタイトル曲「オープン セサミ」を収録しました。80年代に入ってからは、リードシンガーを雇うことにしました。というのも、ジャクソンズのツアーに参加していたとき、プロモーターが (君たちは素晴らしい演奏をしているが、リードシンガーが必要だと思う )と言ったんです。アース ウィンド アンド ファイアにはフィリップベイリーとモーリスホワイトがいたし、コモドアーズにはライオネルリッチーがいたから、それも悪くないかもしれないと思いました。


  シンガーはJTテイラーです。実際のところ、多くの人をオーディションしたわけではありませんでした。彼は私たちと同じ、ニュージャージー州ウェストオレンジにある(House of Music)というスタジオで働いていました。J.T.は8年間バンドに在籍し、80年代のその時期にヒット曲を連発しました。


◎ Kool & the Gangのキャリアは本当に素晴らしく、多くの成功を収めてきました。Kool & the Gangのサウンドでユニークなのは、R&B、ソウル、ファンク、ダンス、ロックなど様々なスタイルをミックスしていることです。その多様性は、ソングライターやパフォーマーとして常に求めていたものだったのでしょうか?

 

  業界の中で進化していくうちに、自然とそうなっていきました。ジョン コルトレーン、マイルス デイビス、レジー ウッズ、ロン カーターなどを聴いていたので、ジャズへの関心は幼い頃からありました。それで、The Jazziacsという名前になったのです。その後は、テンプテーションズ、スモーキー ロビンソン&ザ ミラクルズなどのモータウン、ジェームスブラウン、スライ&ザ ファミリー ストーンなどを聴いていました。そして、ビートルズ、ローリングストーンズ、スティービーワンダー、アース ウィンド アンド ファイアーなどを聴いていました。これらすべてが今日の私たちの進化の一部となったのです。

 

 

 

      ソウル サバイバーマガジン 2017

 

 

 

◎東海岸には、Fatback、Brass Construction、Crown Heights Affair、そして後にはCameoといったストリート ファンクを奏でるバンドがたくさんいました。また、クール&ザ ギャングが「Funky Stuff」や「Jungle Boogie」で大成功を収めた理由は何だったのでしょうか?

 

   1960年代にThe Jazziacsとして経験したことや、ソウルタウンでモータウンについて学んだこと、ジェームスブラウンを聴いたこと、スライ&ザ ファミリー ストーンに影響を受けたことなどを取り入れていました。ジャズやRBの影響を受けて自分たちのサウンドを確立し、それが1970年代のKool & The Gangのサウンドになりました。それは、1979年にJTテイラーをリードシンガーに加えて、再びサウンドを変えるまで続きました。私はニューヨークで演奏していたのですが、毎週金曜日の夜はレディース ナイトだったので、JTテイラーがリードヴォーカルになったときに「Ladies Night」という曲を作りました。「Ladies Night」、「Celebration」、「Get Down On It」、「Joanna」などなど、よりポップなサウンドになりました。これは、私たちの音楽の進化となり、シンガーができたことで、そのような曲を作れるようになりました。プロデューサーのデオダートが「みんな!バンドにシンガーが入ったから、シンガーのための余裕を作ってくれよ!」と言いました。私たちはほとんど渋々ながらもOKしました(笑)。

 

 今のヒップホップ界と同じように、Be Bopの時代には人々はお互いに聴き合っていました。 私たちのサウンドは、ホーンによって定義されていたと思います。ホーンは主にストリートでの楽器として使われていましたし、亡くなったチャールズ スミスは、ジェームス ブラウンのような、しかしそれとは全く違う信じられないようなギターラインを生み出しました。彼が「Funky Stuff」や最初のレコード「Kool & the Gang」で演奏したリックの表現方法は、すべて私たちの前にいた先人たちからの影響です。 自分たちの好きなものを切り取っていったのです。 

 

 

  初めて「くるみ割り人形」を聴いたのは、オハイオ州の小学3年生のときだったことを覚えています。後に「オープンセサミ」をやるようになったのも、ジョンフィリップソウザの音楽が普遍的であることと似ていますね。 ブラスコンストラクションでは、アート ブレイキー&ザ ジャズ メッセンジャーズやアース ウインド&ファイアー、コモドアーズなどを聴いていました。 例えばモーリス ホワイトはジョン コルトレーン、ラムゼイ ルイス、チャールズ ステップニーの後ろで演奏していたそうです。私は マーヴィン ゲイ、スタンリー タレンタイン、エルトンジョン、ビートルズ、ストーンズなど、あらゆる音楽を聴いています。前にも言ったように、私たちはティナターナー&テンプテーションやスライ&ザ ファミリー ストーンのようなバンドのバックを務めなければなりませんでした。 自分たちのサウンドを作ろうとし始めたのが、クリエイティブになったきっかけです。




     フォー ベースプレーヤー オンリー 2010

 

 

◎あなたは何歳からベースをはじめましたか?

 

 

 14歳か15歳ですね。1968年頃ですかね。

 

 

◎ミュージシャンになると思っていましたか?

 

 

 まったく思っていないです。

 

 

◎曲は作っていましたか?

 

 

 まったく。。。(笑)いいですか。2歳のときに祖父と一緒に車の下で働いていて、祖母が「あの子を車の下から出して!」と叫んでいたんです。7歳のときには、芝刈り機のモーターを自転車のフレームに取り付けて自分でバイクを作ったりするようなそんな子供でした。

 



◎若いころに影響を受けたベースプレーヤーの名前を何人か挙げてみて下さい。

 

  

  私は最初はジャズに夢中だったのでロン カーターやジャズ クルセイダーズのレジー ワークマンのような演奏を聴いていましたが、同時に60年代後半はベース演奏に関して革新的な時代だったので、R&Bではモータウンのファンクブラザーズのジェームスジェイムスン、スライ&ザ ファミリー ストーンのラリーグラハムも聴いていました。それからロックならビートルズのポールマッカートニーですね。他にはアース ウインド&ファイアーのヴァ―ダインホワイトも聴いていました。共通しているのは革新的ではありますけど演奏でサウンドを作ろうという意識があるプレイヤー、メロディックなプレイヤー、打楽器みたいですけど、言葉を話すように演奏するプレーヤーが好きですね。