映画『兄を持ち運べるサイズに』 村井理子原作の事実をもとに「家族」の中野量太最新作! | 昼は会計、夜は「お会計!」

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今週封切り並んでる中で、避けるものが多い中で、柴咲コウ、オダギリジョー、満島ひかりが並び、家族ものをたくさん出してきた中野量太脚本・監督ということでこれを選んだ。  

 他の作品の時に「ダメ男をやらせたら一番!」という「呼び声」が高かったオダギリジョーが文字通りダメな兄ちゃんをやった。見る限り、そりゃ誰だって怒るよ、というようなお金の無心を妹にしてきたという。そんなことの連続の日々、突然、宮城県警からの電話で、兄が死亡したので遺体を引き取りに来て欲しい、息子は県の児童施設で保護している、という内容だった。滋賀県に住んでるという妹で作家の村井理子(柴咲コウ)は露骨に嫌な顔をしながら宮城に向かうことに。その時にむしろ2人の息子は、母親を嗜める感じで送り出していた。そんな状態で宮城に向かった理子は現地で兄の別れた元嫁・加奈子(満島ひかり)、娘・満里奈(青山姫乃)などと再会、兄を荼毘にふす。兄が住んでいたアパートを訪ねるとゴミ屋敷そのもので、その一方で理子や兄たちの子供の頃の写真が飾られており、母が一方的に兄を溺愛していたことなどが思い出すが、また一方で両親が共働きしていたので、兄が妹を庇い面倒みてくれたことなども思い出す。そんな時になぜか兄が実在するよかのような幻影を見るのだ。そんな後片付けの日々を過ごす中で、兄に対する想いや家族に対するものも、様々よぎりながら変わって行く。

 それぞれが兄や元夫や元の父を幻影として次々と見ていくシーンなど、言葉としては適切ではないかもしれないが、原作そのものも少女趣味的と言える展開で、少ししらけた感じは否めない。そういう点からも文学作品でもないし、ある家庭の像としては、エンタメとして筋道立てて描いたものであることに変わりはない。「いい人だったじゃない」という雰囲気が流れて、兄の数々の悪行が消えていくたいう仕掛けもどうかとも思うが、涙を誘う映画ではあったように思う。