1945年8月 夏休みで郷里・長崎へ帰る看護学生3人がいた。そして数日後8月9日 突然の閃光で何もかもが変わった。原爆で破壊された長崎の街、あちこちで被曝されで助けを求める人々がいる。長崎日赤の救護所はあらゆる場所に茣蓙だけ敷いた所へ人々が押し込めらている。そんな所へ看護学生たちも救護にあたろうと学生たちも救護所で活動する。
日本赤十字社の看護師たちによる手記「閃光の影で-原爆被爆者救護赤十字看護婦の手記―」を原案に、当時看護学生だった少女たちの視点から原爆投下という悲劇を描いた感動作が誕生した、とチラシにある。
ここの看護師たちのエピソードが実に実際の現場で見聞きし体験したエピソードが、原爆被害という漠然とした事実をより真実性を持たせる。たた、個々のエピソードをつなぐストーリーがあいまいなのとカットから次のカットへの説明的表現もないし、原爆の悲惨さ、特に身体的状況や医師が行う医療行為というこれまた各論中の各論が突然出てくるので、戸惑うことが多いのだ。、さらに、視聴者をイライラさせるのは音声が丁寧でないというか雑で、音声だけ別録するということもないのだろう外のうるさい場所はもちろん室内シーンでも、よく聞き取れないボソボソとした感じで(こちらの聴力が衰えてることは棚に上げてるが)何を話しているのかがわからないこともしばしばだった。字幕で被爆後◯日というのが出ることで、時間経過を知ることと、映像などから、大きな構成はつかめてはいるが、役者たちの懸命な演技が飽きてこないことも残念だった。主役級の3人の看護学生たちが抱える矛盾や悩みまで印象がボケて可哀そうと思ったほど。語りに美輪明宏さんがいるが、多用されないし、テロップは経過日数の他はほとんどなかったりで、凄惨な被害現場、救護所の状況とどこかで2人だけのシーンと変わっていく、繋がりがわからないと、もやもやが増すばかり。
時々、いつの映像かと思う風景などが出たり、ラストでは長崎出身の福山雅治さん作曲の歌が3人の主役の素朴な歌声で流れるなど、(三輪さんも長崎出身)長崎あげて作られたこの映画の趣旨は、「決して忘れられない日々がある」というのは十分伝わる。
もうひとつおやっと思ったことは、人々が救護所に助けを求めてくるシーンの中で、「くすりをください」という声に対して「朝鮮人にやるような薬はないとの、応対をすりシーンがあった。(もちろん前後のつながりも説明もない)
ところがエンディングロールが流れる中で、「作中、人種差別する発言があったが、『一般的な風潮で表現しただけで、日赤看護師がそうした発言事実はない』」というのが出てきた。実際には街中ではそんなことはあったのだろうが、中途半端に映画に入れたことが混乱を招いて訳のわからないテロップになったのだろう。
改めて書くと原爆被害という、大きな歴史的事実と個々の体験エピソードで、描こうとする場合、かなりしっかりしたストーリーとそれを表現できる脚本がしっかりしなければならないことだけは、はっきりしている。長崎舞台でやや地元の盛り上がりなどで煽られることは十分理解できるが、エンタメとして世に問う映画にするには、それなりの技術の結集が必要という事だろう。(映画ファンとして不満を書こうとしたが、ちょい偉そうになってしまいました)