異例の長時間生中継で「おわら風の盆」を初めて観る | 昼は会計、夜は「お会計!」

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昨夜はNHKBS(一部総合も合流)で18時から3時間半の生中継で、「おわら風の盆」をやってくれた。この番組の告知の時から、ざわざわというかワクワク感で待ちきれなかった。というのも、私がこの八尾という地域や音楽や踊りなどを知ったのは、80年代初頭の頃、当時私は何故か月刊小説雑誌を夢中になって読んでいた時期だ。それは、様々な賞を取れるかなど単行本より前に、これら雑誌を読んで自分なりの評価や判断がどうであったか確認できるのが楽しみだった。いずれも分厚いので購入したらまず鋭利な剃刀で半分の厚さで分けて綺麗に表紙を被せてカバンに入れても嵩張らないようにしていたことも併せて思い出す。調べたら小説新潮の1984年6月に高橋治「崖の家の二人」として発表された。衝撃的な感動で、翌月の7月号で完結した。たくさんの小説を読んで方がもっとも鮮明に覚えてるほど感動や感銘を受けた。その翌年だったか「風の盆恋歌」と改題して、単行本化された。さらにはテレビドラマ化や石川さゆりさんで主題歌出され大ヒットした。

 前置きが長すぎたが、要はその小説を読んだ時からおわら風の盆は9月1日から3日までの3日間行われること、その音楽が民謡では珍しく胡弓が使われ、三味線など地方が奏でる曲調も(その時は)聞いてはなかったが哀調を帯びた独特なものであることなど、知っていた。それ以上に八尾の町は北アルプスからの雪解け水が急峻な坂道の脇を流れて.街には絶えず水の流れる音が響いていたことなどなど、私の中ではいつ八尾に行くか、行けるか毎年カレンダーや予定表を見てはため息をつくような状態からだった。そのうち仕事も多忙になるし、何より八尾や風の盆が有名になりホテルなども近県含めてかなり遠方からバス送迎としても予約でいつも満員とか聞かされるほどだった。

 たまにテレビなどで映されることはあったけど、昨夜のは本当に生中継で、何ヶ所にもテレビカメラを配置し、町ごとの趣向の違いなども分かるし、何よりこの時代に祭りを継続させるだけでも難しい時代に、八尾では昔からのしきたりなどを守り続けていることなどにも、感心した。因みに地元の八尾高校の、民俗芸能部で地元の方々の指導を受けながら地方の演奏から歌、踊りを、全部週何日かの部活を通じて習得して行くが、こうしたことが特例的に認められて町内に住んではいないが出演が認められるのだということだった。昨夜初めて知ったが町々で、趣向を違ってもメロディや踊りは同じとのこと、歌詞は何千とあってさまざまに組み合わせるのだとか。街流しの仕方もまちまちで、特殊なのは元花街の街ではなんとかいう坂が絶好の観覧席になり、踊り手も男踊りと女踊りが、混合で踊り、途中、盃でお酌する振り付けや二人で月を見る仕草には観客席からは、これを見にきた、と言わんばかりの拍手も沸いていた。

 踊り手は女性も男性も編笠を深く被り顔は見えないけど、女性の衣装は町によって他社は違うが帯だけは黒で統一感をもたせているとか、男性の衣装は併せで裏地にはトランプの模様があるなど驚きのデザインで、それらと踊りの振りの独特さが.国内の他の地方の盆踊りとはまったく異色でなんとも、不思議なくらいだ。歴史的には専門家の方の指導などもあって今の形ができたようだが、貴重な民俗芸能だと思う。大事に育ててほしいと、つくづく思った次第。