今年の年賀状にそろそろやめたいかのようなメモがあって、書くことが好きなN先輩なのに、。どうしたのかと思っていた。なのに突然、雑誌が送られてきた。Nさんが住む地方都市で有志が集まって同人雑誌を創刊したという。Nさんもそのメンバーで、その道ではかなり有名人らしい絵手紙集を掲載(残念ながらモノクロ)、もう一つは全国紙のローカル面ではないかと思われるところに連載している随筆集だ。両方とも面白い。先輩は新聞部の卒業生で唯一、新聞社に勤めていた人。高校時代から真面目一筋という感じだったが、退職後は地域のボランティア活動を様々やりながら、絵手紙をはじめたようで、ローカル紙への投稿などたまにどさっとコピーを送ってくれていた。その頃から、奥様のことや自分の老いなどを笑いにすることにどんどん傾いていってた。絵手紙の世界では、全国大会というか、数日かけた交流があるらしいが、毎年、そこで何らかの活躍をされてたようだ。年賀状でぼやいていたことから、すると、なんだ元気でよかったと、喜んですぐ、そのことと感想を書いて送っておいた。
Nさんは1学年上の先輩で、その上の先輩部長がYさん。私が入部した時の部長でもあったし、東京の大学受験の時から、ずーとともに東京暮らしだったこともあって、何かと気が合い、長年の付き合い。この人は田舎の簡単郵便局の局長を父、母からいわば世襲で受け継いだ人で、その地区の名家で、遺産を含めてお金には困らない。在職中から時々、自費出版の同人誌をずーと続けている。若い時ならいざ知らず、中年の時や退職後も、ずーと同じような詩集を出している。私は悪気はなく、よくあんな詩が書けるなと驚いている。最近、ようやく孫娘のことを書いたりした時には、やっと年相応になったかとほっとしたような気になった。この人は、田舎の自宅を売却し、(息子に世襲させた曲のあるところから距離をこうとしたようで)近隣都市の駅前の豪華マンションに移った。それとは別に、東京は銀座の裏にマンションを持っていて、毎月、一定期間、東京で暮らす。時に子どもや孫に会うこともあるようだが、大半は学生時代の延長のような趣味の世界であちこち行ったり、女性と食事など楽しんでいる。奥様は東京出身だが、実家通いというより、趣味の世界で遊んでるとか。時に一緒に、別の日程での上京もあるらしい。こういつのを悠々自適というのだろう。
なんとも元気な我が新聞部の先輩たちであるという話。だが、3代目の部長であった私は、いち早く社会的な活動からも外れているようだ。
まあ、ギリ、こんなブログをやっている程度だ。やれ、やれ。
ところで、今日は、先日行ったMRI検査の結果を聞く受診で東京に向かってるところ。(なぜか連休中ではないが、JRから小田急経由)