今でこそ4月15日がジャッキーロビンソンデーとして、MLB中継が常態化してるし、大谷選手など日本人選手の活躍で、自然とテレビ中継で知ることとなる。それでも日本では、その意義をきちんと伝えているとは思えない。
私が小学生の頃、60数年前だ。野球ノートとかつけて、土地柄広島カープファンが自然の流れの頃だった。大学に進学した兄貴が、帰省した時だったと思うが、「大リーグで初めての黒人選手で様々な差別に屈しないで、全米でも尊敬される選手」だと教えられた。当時は今ほどめメジャーリーグというのは、日常的には報道されないし、全く身近ではなかった。学生運動をやってるという兄貴が言うのだから、アメリカの黒人差別反対運動か何かで知ったのだろうという認識。一時期、夏休みだか何かで兄が帰省するという話が家族に伝わる前に、警察が近所に聞き込みにはいって、探っているという情報が我が家で騒がれていた頃でもある。それ自体が本当かどうかは知らないが、誰か言いに来る人がいたのだろう。田舎から出たこともないお袋は、そんな話には怯えていたが、親父もお袋も自慢の長男だったので、部活の遠征帰りかなにかでも、兄貴が帰省する事を待ち望んでいた。スポーツ関係の部活なので、がたいのいいお兄さんが突然だけど、田舎の狭いうちに何人も連れてくると大変だったが、お袋は嬉しそうにせっせと世話をしていた。
話を戻すと、ジャッキーロビンソンデーは、ロビンソンの引退後、2005年から全国的な祝祭としてもようされるようになったとか。もちろん、今では中南米をはじめ、世界からメジャーリーガー目指して若者たちが集まってくる。長年の黒人差別の歴史から脱却して、新しい民主主義アメリカの象徴なようでもある。そういう意味では、MLBが意図したように単に野球だけでなく、アメリカの民主主義を裏打ちするものとして、より趣旨が広がる事を望むばかりだ。
昨日の中継で、改めて何年かぶりにフィールドのみんなが同じ背番号である特別な日に、何十年も前の記憶を掘り起こしてみた。ら