最近のネット社会がメディアへの登場のしかたに違和感 | 昼は会計、夜は「お会計!」

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 新聞も読むしテレビも観るが、最近気になるのは、ネット社会で話題になったことが、主要メディアなどに紹介されることが多い。それは、それで検察庁法改正案に抗議するネット上の声がやっと一般社会に届いたいい事例だとは思う。
 しかし、昨今のネット社会、とりわけSNSは異常になつている。Twitterが闇アカウントなども使って更に匿名性の闇の世界を背景に、しかも先日書いたようにトレンドプログのように、話題性が高ければそのままお金になる、そのための自動化システムまで売られている。どこの馬の骨ともわからない匿名ブログで刺激的な表現や過激な表題のものを集めるまとめサイトとして人を惹きつける。それは、あたかもかつて三流週刊誌や夕刊紙がやったように、(その頃は活字による真実性の補完)活字になったものはなんとなく事実だろうとか、話半分としても多少の真実はあるだろうと、世の中の出来事を面白おかしく興味半分で、売り上げを競った。この頃が荒れはじめの最初か?
 時が変わり今は画面に出る文字になった途端に力を得るのか、信じる人がいて、さらに確認もしないでそのまま拡散する人がいる。良くも悪くも誰でも簡単に発信できる(身を隠して)。
 コロナ禍も検察庁法改正案も政権をめぐって、首長のやることをめぐって、メディアをめぐって、コメンテーターを巡って、過激さを競うように発信し続ける人たちがいる。先に書いたように、今はそのことがメディアのニュースでも取り上げられる。とりわけ、目立つのが以前はネトウヨと呼ばれるような論調が主流になったかと思えるほど、政権擁護、体制擁護、世の中に批判的な言動に対しては、「クソ」とかありとあらゆる罵詈雑言を過激に発出したり、すぐ「反日」とか攻撃する。芸能人が検察庁法改正案に抗議しますとツイートしただけで、めちゃくちゃ叩かれている。その批判もまったく内容がないのだが、数とボリュームで圧倒してねじ伏せる。あちこちの「自粛警察」とやらはもその典型で、我は正義なりと法的にも許せないことを平気でやって威張っている。
 潮干狩りの名所で感染対策のためゲージやロープで封鎖しているところを、平気で乗り越えていっている庶民のなんと多いことよ。インタビューでも罪の意識もない人が多い多いとか、河川敷を封鎖しているにも拘らずバーベキューして大量のゴミを放置したまま地元民が困っている、そんなところには自粛警察は出没しないのか!
 こうしたことは一面ではメディアがメディアとしての役割というかジャーナリズム精神がなくなってきたという側面であろう。有料のメディアでも無料のブログ並みの記事や論説しか書けない。大した差がないから信頼や権威もない。日曜日だったかTBSのサンデーモーニングで寺島さんがコロナ禍に関して「科学ジャーナリズムの弱体化の問題でもある」と言われていた。私なりに要約すると、コロナが怖いとかそんなことばかり流して、時代的に感染症とどのように付き合うべきかの論がなさ過ぎたとの意見だった。また与野党揃って経済への支援金争いだが、類を見ない赤字国債で賄ってて、その国債は誰あろう日銀が買い支えているだけ。株もそうだが、政権の言いなりの総裁がアベノミクスの権威のために株価を公金で支え、この国の財政がどうなるかを真剣に報道していないという話だった。

 話を戻して、モリカケ、桜と続いて政権への忖度が付き纏い、筋を通そうとする官僚が自殺するという事態になっても平気な人たちがトップに立っている国だ。日銀やNHKに息がかかっている人を公然とすえ、さらに検事総長など検察庁組織までも意のままにしようとする政権だ。

 こうしたことが続くと自分もブログで発信している一人として、つくづく嫌になってやめようかとも思う事も多い。
 以前なら外の世界の人との語らいや映画や音楽など感性の世界で癒されることも、昨今は再現されてままならない。