移住後初めて医療機関受診へ ここでもトホホ?! | 昼は会計、夜は「お会計!」

昼は会計、夜は「お会計!」

会計をキーワードにコンサル業とASP(アプリケーション サービス プロバイダー)業のメールの二つの仕事をするmoriyanの言いたい放題ブログです。
テーマは、ブログ、会計あれこれ、医業未収金管理、小説・本、エンターテイメントなどなど。

今週初めに左足の指を痛めた。早朝起きるので室内灯をつけないままそろりそろりとリビングに入りソファに座る、それだけなのだが、何せ片付けきれていないので隙間が狭い、そこでソファの脚に足をぶっつけてしまう。たまたま爪をきちんと切っていなかったので、爪が浮くような事態となっていたところ、念入りにも一昨日もう一度ぶっつけた。昨日、朝起床したら爪が浮いて血が滲んで腫れていた。こりゃ炎症が来ているということで急ら受診することとした。

 さて、熱海でどこへ行くか、ネットで調べて家に近くで外科をやっているところ。一番近いところへ向かった。散歩で場所は知っていたので迷わず行けたが、入ってから後悔が始まった。
 小さな受付の窓口から何やらお年寄りの白衣を着た方が薬袋をビニール袋に詰めていた。新患で来たと告げて保険証を出したのだが、「かけてお待ちください」といって作業をやめない。
 見回すと10時前なのに患者はいない、待合室の椅子やクッションがくすんでいる。診察室へ入る扉もシミやらくすみが残っている。不安になって受付の小窓から中を覗くとすでに保険証はなかった。そこに残っていたら保険証を取り返して逃げ帰ろうと思ったのだ。気がついたら受付の事務員も看護師も誰もいない。物音からさっき見えた白衣姿の人がどうやら医師らしい。
 鉄筋のビル様式の建物からは何十年か前には外科胃腸科でオペ等もやって20床未満のバリバリの有床診療所だったのだろう。それが時代に取り残されたように高齢化した医師が一人で維持されているのだろう。
 そんなこんなで気持ちが動揺したが、もう逃げられないからある種、覚悟を決めてまった。なぜかどこでもやるような診療申込みも問診票も言われない。だいぶ待ってようやく名前が呼ばれ診療室へ招かれた。意外と広い部屋だが離れたところの棚やら処置ベッドは書類や本が重ねてあり、アンプル棚もすっからかんで空っぽ。点滴瓶など置いていたであろう棚も埃まみれの書類等で埋まっている。カーテンが埃まみれであったが、白衣の人がやはり医師でよく見たらその白衣も薄汚れていて、こんな医療機関見たこともない。大げさにいえばまるでゴミ屋敷だ。
 仮に腫れたところにメスでも入れようとしても多分、消毒設備もなさそうだし、器具備品棚もなさそうと心配していたら、抗生剤入りの軟膏を塗ってバンドエイド2本使ってとめて、「可能止めの軟膏と抗生剤の内服、痛め止めと胃薬をだすからと昔ながらの一式を処方。痛み止めや胃薬などいらないとも言えない。そこからまた時間がかかった。たぶん薬を探し,薬袋に氏名を書いたり一つひとつの動作に時間がかかったのだろう。まして、医事コンなども入ってないだろうにどのように計算するのか心配していたが手書き領収書で清算。私も最近の点数表など頭にはないが、他での受診経験から言って、直感的には新患(初診)で、処置に抗生剤二種など投薬で、自己負担が安すぎると思ったが、何も言わなかった。昔の医師も事務員などいないような場合は、概算で保険本人と家族で分類して概算で請求するということはよくあった。
 なんだか、この先生の人生がどのようなものであったか、いろいろ想像したりして、誰も継ぐ人がいないばかりか、生活を共にする家族もいらっしゃらないようで、同情に堪えない。うちに帰ってかみさんに話すと「もうお金はいらないから、診療室をきれいにしたり白衣やカーテンの選択などしばらく、きちんとした診療所にしてあげたい意欲、満々だ」といっていた。久しぶりに看護魂に火が付いたようだ。
 今回は簡単な外科処置だけなので、これでもよかったが、年相応に様々な持病を持つ身で、息子たちもちゃんとした病院はあるのかと心配していたが、どうも老人病院的なところばかりのようで、重症や急性期にはどうかとは思っていて、取り敢えず歯科や内科も月1程度は東京のかかりつけ医での対処にしておくと決めている。