涙もろくなってきはいるのだけど・・・少し驚きながら涙したテレビ | 昼は会計、夜は「お会計!」

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テレビ世代のはしりと称して、ずーとテレビをつけておかないと気が済まない人生を送ってきた。そして歳を重ねるほど涙もろくなってきてはいるが、何気に観ていたテレビから思いがけない映像が出てきてびっくりして、そして涙するという事を最近二つ経験した。

 一つは、プルデンシャル生命保険が初めてつくったCMというもの。これも後で調べて分かったことなのだが、同社が創業30周年を迎え、はじめてのテレビCMをつくったという。

 新しく考えられたコーポレイトメッセージ「愛をお預かりする、愛をお届けする」に込めた想いを伝えるためのCMということです。

プルデンシャル生命保険のCM

 

 実は、この動画に出てくる女の子が、地団太を踏んで怒っている姿が孫娘に顔というより雰囲気がそっくりなのです。初めて観た時に本当にどっきりしました。今は3歳になったのですが、昨年、秋に我が家に来た時はまだ2歳で、室内遊園地というかキッズステーションのようなところで、元気に走りっぱなしの活発な女の子で、その元気な姿に安心したものです。(以前は、孫の動画などもアップしていたが、そろそろまずいという事で最近はアップしないようにしている)

 

 生まれた時には、超早期出産で超低体重の1100gしかなくて、生後もNICUからなかなか出られない日々を送っていた。遥か岩手県まで会いに行ったが、厳重な出入り管理と全身防護衣に包まれてICUの中の保育器まで案内されたときには、その小さな身体がカテーテル類で包まれ、もう見ているだけでもこちらが耐えきれないような気持だった。それは昔、我が家も二番目の子が(当時の表現で)極小未熟児で先天性の病気や内臓奇形など無数にもち何回もの手術に耐えたが、生後50日で召されて行った時のことと、どうしても重なって、涙があふれるのだが、案内してくれた嫁の手前隠すのに必死だったことなどおもいだしていた。

 そのような状況で生まれたせいか両親や誰もから大事に甘やかされ、なかでも3歳上のお兄ちゃんがもともと優しいこなのだが、妹を猫可愛がりするので、いつのまにか女王様気質になってしまったようだ。かみさんが言うには、悔し涙を流すときに口を四角にして泣く、という。カードゲームで自分が負けるとなると、そうして泣く。すると2回目からはお兄ちゃんが、全部取ったものを妹に手渡す。彼女はただ、にこにこしながらお兄ちゃんから受け取るだけ、カードゲームが成り立たないということだ。

 あのCMを観ると、もう少し大きくなったらあのような感じになるのだろうと、この夏にはアメリカから帰ってくるというので、待ちわびている日々に何回もあの映像をYoutube で観ては癒されているという事。

 

 もう一つは、先週の土曜日、TBSの夕方「報道特集」で東日本大震災で両親とお姉ちゃんを亡くした女の子が(当時小1)が、人前は涙を見せなかったという女の子が、どんな思いで7年間を過ごしてきたのかというドキュメンタリー。この子は、あの日、お母さんは無事だったのだが、その女の子を迎えにお姉ちゃんと車で向かって行く途中に津波にでったという。父親も末っ子の女の子を助けようと向かっていってなくったという。そのような状況を人が話すのを聴いていて、いつの間にか、彼女の中に、両親とお姉ちゃんを死なすことになったのは私のせいだと自分を攻める気持ちが強くなっていったという。最初にお姉ちゃんの遺体が見つかった時には、さすがに泣いたらしいが、両親の遺体が見つかった時にも泣かなかったという。父方の祖父母の家に引き取られて生活をするのだが、意識的にというほど仏壇の遺影や位牌を無視する様な態度があったり、祖父母を困らせるようなことの数多くあったという。そうかと思えば、ボランティアで各地から慰問に来た人たちが合唱をしてくれた時に、自分一人で歌を歌いたいと歩み出てマイクを手に上手に歌を歌う姿なども流れた。もう映像やナレーションを聴いているだけでも涙が止まらない。小さな体でどれだけの衝撃を自分で受けとめようとしているのか、健気ということばでも表しけれないほどだろう。

 中学生になって、ボランティア団体の招待で2週間ほどのカナダホームステイ体験が大きなきっかけになったと叔父さんや関係者言っていた。ホームステイ先にも取材したようだが、最初は頑なだった彼女がホストファミリーの人たちに言葉にだんだんほだされて、いったという。

 どんな契機だったか忘れたが、最近、やはり何かの集いの時に、彼女が自分一人で、お母さんやお父さんに感謝するダイレクトな歌詞、なまなましいとも思える歌詞を涙一つ流さないできちんと歌っている姿も撮影していた。叔父さんも、あまりにもストレートな歌詞だが、本人がきちんと歌っていたことに驚いていた。彼女が一歩ずつ強く生きて行ってることをいいたかったのだろうか。

 地元放送局の女子アナウンサーがずーと追っていたらしいが、初めて彼女が、自分のせいでお姉ちゃんや両親が死ぬことになったと思い込んでいたんだということを語った時に初めて取材者に対しても涙を流すのを見たと語っていた。その女子アナもTBSスタジオで最後に登場していたが、この人も健気に涙も流さないで、きちんと語っていたこと含めて、膳場さんの報道特集らしい、いい内容だったと涙しながら感心した次第。