終活騒ぎ はじめてはみたものの・・・ | 昼は会計、夜は「お会計!」

昼は会計、夜は「お会計!」

会計をキーワードにコンサル業とASP(アプリケーション サービス プロバイダー)業のメールの二つの仕事をするmoriyanの言いたい放題ブログです。
テーマは、ブログ、会計あれこれ、医業未収金管理、小説・本、エンターテイメントなどなど。

終わったのは、手紙・はがきなど郵便物の類は処理を終えた。(シュレッダーにかけてごみ収集へ)ただ、疑問に残る差出人をどうするかということだ。なぜか、大学1~2年生の時のものしか残っていないのだが、その中で典型的なのはそれ以前(高校時代)やその時代以降(大学3年生以降)の記憶には、なぜその2年間にそんなに「文通」(今の時代は死語だが)していたのか、どうしても解せないのだ。中には、高校時代に同じクラスだった女性でそんなに会話などしていなった記憶なのだが、手紙では結構、いろいろ励まされたり押し花を送って貰ったけど無くしたなどののやり取りが残っていた。この人には、人づてに現住所を聴いて、失礼ながらと手紙を出した。(上記のような記憶で、なぜ文通するようになったのか、なぜ交流が途絶えたのか、いずれにしてもあんなに交流があったのに、古稀同窓会で逢ったときにもきちんとしたあいさつや会話もしていないので、大変失礼をしたことなどを詫びた。

 同じようなケースでは小学校時代の同級生で高校も同じだけどクラスも一緒でないのでそんなに会話をしていなかったのに、その2年間に何通も手紙が残っていたとか、小学生時代のマドンナのような人で高校も違っていたので、ほとんど何年も交流がなかったのに、その人からの手紙があった。(私の自炊生活を励ますべく、小学生時代の時に坊主頭に三角巾とエプロンしてフライパン返しの使い方が上手と先生に褒められていたじゃない、など書いてくれていた。本当に驚き、だとしたら、もっときちんと文通しておかなければいけなかったのに・・。)

 もっと不思議なこともあった。何通か封書や絵葉もあるのだが、宮城県の住所からいっても一切縁がない人で、名前にも全然、記憶がない。処理し始めた時に、1通だけ残して(住所だけわかるようにしておけばいい)他は、処理してしまった。全部を時系列で読み返したりする中で文面からどういう関係だったのか、思い出せたかも知れない。調べたら、今は住所表記も変わっている。市役所へ尋ねたら、現在の住所表記もわかった。だけど、そんなところに、私は誰でしょう、のような訳の分からない手紙を出すこともおかしいし、かといって、気持ちがすっきりしない。ネットで氏名で検索をかけたら、なんと「暮らしの手帳」のバックナンバーでヒットした。しかも、暮らしの手帳はバックナンバーの中古本販売専門の会社もあって、取り寄せた。そしたら、投稿欄に詩のような散文のようなもので、受験のことをかいている。多分、その人そのものではないかと思う。でも、なぜ縁もゆかりもない土地の人と手紙をやり取りしていたのか、いわゆる「文通」というのが流行ったのはもう少し前の時代だろうし、私自身はそんな趣味はないので、気分はすっきりしないので、どうしたものかと思っている。

 意外な収穫は、バラバラの写真のなかで結婚式や何か大勢が集まった会などで飲んでいる写真や集合写真で、結構、ギターを抱えた写真が多い。大学ではマンドリンアンサンブルでギターパートという地味な存在だったけど、練習の合間にはギターでみんなで歌ったり、クラスの行事で学生フォークの曲を流行らせたりしたものだ。だから勤めるようになっても、結構、ギターを弾く機会は結構あったので、飲み会の写真の多くでギターを抱えた写真が多いのだろう。体型的にも今からみればずいぶんすっきりとしているし、文字通り青春時代を思い出させてくれて、終活の産物だ。

 ところで、今まで取り組んだ楽器は多いが自分で所有していたのは、ウクレレ、ギター、マンドリンだったのが、諸事情でみんななくなって、数年前に、老後何かを再開しようと散々迷ったげく、音の大きさや楽器の保管を考えてだと思うが、ウクレレを買ったのだ。それでいいと思っていたのだが、結局、鳴らす機会もなく一度もあけていないで事務所で眠っている。でも、今回、このギターを抱えた写真などをみると、やはりガットギターできちんと練習したり、弾き語りなどをやり直した方がいいのか、などと揺れている。(左手が固くなるまでとても痛くなることに決心つかないのだ)