ある日突然、かみさんが屋根裏のユーティリティからどさっと釣り道具を持ってきて、「要るものと要らないものを分けて」という。よくみると心当たりがある私のものと思われるものは数点で他は息子のものではないかと言っておいた。私のものは捨てていいと言って、用事は済んだと思ったら、釣り道具を片付けて今度は、大量のカセットテープを持ってきた。一目見ただけでケースの色やデザイン、背面や表に見えるインデックスなどみただけで私のものは一切ない。それを告げると「エー」とか言いながらも「これは私の」といいながらぶつくさ言いながらまた段ボールへ戻していた。
次に出てきたのが段ボール数箱の本、雑誌等。何回かの引っ越しのたびに泣く泣く本は処分してきたはずだが、その後ため込んでいた図書類が出るわ出るわ。引っ越しの時には処分しきれなかった専門書(といっても社会保障・社会福祉より財務・会計)だったり、特殊な資料(例えば日航御巣鷹山事故関連の図書、飛行機事故図書、卒論原稿や資料まであった)などがやはりいつの間にか、そこそこの量になっている。さすがここで考え込んだ。
本のことまできて、なんでこんなことを要求しているのか、ようやくわかってきたとともに、少しドキッとした。「もう一回くらい整理するタイミングもあると思うから、全部判断できなくてもいい」などと言うが、どう考えても、もう机について読み直したり、調べて何か文章を書くこともないだろうと、「全部処分していい」といった。ただ、自分が書いた本が2冊と歴史的と思っていた掲載雑誌があって、それだけはよけといた。「棺桶にでも入れてくれ」と言ったのが、耳が遠くなっているかみさんには聞こえなかったようで、コピー資料などで個人情報が入っていないかなど点検して選別している。その後は大量の紙がシュレッダーにかけられていっていった。
やれやれ、断捨離も若ければその後の生活が軽くなり人生まで変わるかもしれないが、高齢期になると、生前遺品整理のような気になる。テレビなどで「実家問題」「遺品整理屋」などがいろいろ言われていたが、いよいよ我が事として受けとめなければならないのかも知れない。
高齢期と言えば、フィットネスを9月下旬から再開していたところだが、10月からはプールも追加していた。ところが瀬戸内海育ちで泳ぎにはそれなりの自信があったが、そもそも海水とプールは全然違うし、何より加齢しているしCOPDはあるなどで、水泳もままならない。平泳ぎならまだ何とかなるがクロールでゆっくり泳げるようになりたいと練習を試みるが、やはり過呼吸のようになり持続できない。プールの真ん中でクロールをやめて立とうとしたら底のペイントですべって妙な体勢になったが、何とか戻ったが、監視員のビブスをきた若い女性が「大丈夫ですか?」と寄ってきた。もしや年寄りが溺れそうになっていると思ったのかも知れない。「何だかゴーグルが合わなくて・・」とその場を取り繕ったが、いやはや困ったものだ。まあ無理しない程度でいいから続けようとは思っているが・・・。
明日からは久しぶりの福島入りをする。今回は主には福島の近代史の遺跡を訪ねるが、裏磐梯に暮らす旧知の人をそれこそ「最後になるかも知れない」と尋ねる予定。
不安含みだった広島カープのファイナルステージ初戦も今シーズンらしい快勝で酔った。今夜からBCASカード持参で自宅、福島と移動する。