【マッサンの生家 竹鶴酒造】
竹原は竹原小早川家があるなど小さいが城下町で武士が積極的に塩田やお酒づくりを奨励してそれなりに栄えた町らしい。塩田はその後、廃れるが酒造りはしっかりと定着し、さらにマッサン効果で市内どこへ行っても「竹鶴」の銘柄はほとんど手に入らない。いろいろ探した結果、あるところで、ようやく竹鶴の生酛純米原酒をみつけ(現物1本だけ)それをお先好き夫婦の長男の所へ送る手配。
【三原港から筆影山をのぞむ】
夕方の呉線にのって三原へ向かう。呉線は海岸線を通るので瀬戸内海の風景はなんといってもいい。日本軍が毒ガス製造していたので戦前は地図から抹消されていたという大久野島は高校時代などキャンプした懐かしの島やバイクや自転車などでよく通った三原市須波地区なども久しぶりに見たら、なんだか熱海のような人工砂浜のような所もあった。
駅前のホテルにチェックインしてすぐ自転車を借りて墓参りに。途中、この地方でお墓に供えるシキビを売っているスーパーの場所を間違えて探すのに手間取ったがともかくお墓にたどり着いた。周辺は掃除をしてくれてたみたいだ。気になっていた墓参りを済ませ、市街地へ戻る。
日曜日は、新幹線で広島へ。広島市は私用や仕事で何回も来ているが実はいっかも現場に行ったことがない広島城へ行った。この城は天守閣が原爆投下の目標にされたといわれて降り、せっかくその時代まで残っていたが、原爆投下後自重により崩壊したとされている。その後、復元されているが外壁などの木造り感などがいい。広い敷地とお堀も残って重な公園スペースだ。
【鯉城ともいわれる広島城】
広島城を見た後は広島駅へ戻って山口方面から車で来た兄貴と合流しマツダズームスタジオ(そこで何を見たか、何があったかは、お察しください) へ。16時頃球場を離れ山陽道経由でしまなみ海道「因島」へ。日立造船因島工場の脇にある「ナティーク城山」へ。ここで、兄姉3人が揃い食事会。この地方の名物の蛸をつかったしゃぶしゃぶや地のものの魚を使った料理にお酒も広島のお酒で満足。締めもやはりたこ飯。
【ホテルから土生港をのぞむ、左側が生名島】
朝日に輝く瀬戸内海の島々や穏やかな海面、潮の香りなどやはり瀬戸内海はいい。本当に癒やされる。最近は広島へ来る仕事もなかったので、久しぶりだった。
朝食後、土生港から高速船で三原港へ戻り、桟橋近くの停留所で少し待って広島空港行きのバスに乗り10時30分発の羽田行きに十分間に合ったので昼前には羽田へ着いた。
朝食は瀬戸内海を眺めながらゆっくり朝食をたべていたのにお昼はもう四谷で食べれるというのも何とも便利がよくなったものだ。
たださっきの地震は久しぶりに怖かった。事務所の消臭剤やリモコンなどが飛んだりした。テレビもそうだが、吾妻山や箱根、小笠原諸島の西ノ島などでの火山活動が日々伝えられていただけに肝を冷やした。