その頃、京は付け火騒動に怯えていたが、日々を暇で何事もなく過ごせればいいと思う左衛門府の大志(だいさかんと呼ばれる警備を勤める役人)の橘音近は当時の習いで屋敷には従者、侍女と暮らす。妻や二人の娘は別に住む。若者三人組在原風見は名門在原家の御曹司、風見の友人に伴信人という悪たれの頭領と紀秋実という放火魔(先祖に紀貫之)、貧民街に住む髪が長くきれいという髪奈女(かみなめ)などが中心人物。
貴族の子供らは、暇つぶし度、胸試しのような気持ちで貧民街へ行って悪さをする。その時にそこに住む少女髪奈女を強奪して乱暴を働き路上に放置した。それを勤めから帰るときに、倒れていたボロをまとう少女(髪奈女)が気にかかり従者とともに救助し屋敷に連れ帰る。ところが
貴族の子供らは、暇つぶし度、胸試しのような気持ちで貧民街へ行って悪さをする。その時にそこに住む少女髪奈女を強奪して乱暴を働き路上に放置した。それを勤めから帰るときに、倒れていたボロをまとう少女(髪奈女)が気にかかり従者とともに救助し屋敷に連れ帰る。ところが
少女は記憶をなくしていた。
音近は屋敷に若い女を囲ったとの妻女筋の人たちから評判を悪くするが、何とか記憶を取り戻せないかといろいろ努力をしていく。その頃、付け火騒動の中で放火癖があった紀秋実との関係でsなんいんぐむみと知り合う。その付け火騒動の真の原因はやはり権力闘争が背景にあった。そうしたなかで音近の親戚筋にあたる人から付け火の班員探しを依頼される。それを若者三人組にも持ちかける。音近は同時に髪奈女の氏素性を探し本人の記憶が取り戻せないかと様々なところへ連れ歩く。こうして音近はハリがある生活が始まる。それまで妻女宅へ行っても義父母たちに出世が遅いと嫌みを言われ、長女は男あさりが盛んだし、次女は金遣い荒く父親から金をせびることしか考えていない。妻はどうやら男が通っているみたいで会うことすら拒否される。そんな家にはすすんで帰りたくなかったところに、目的があり、多忙は日々で生き生きとした暮らしが始まる。悪たれ三人組も付け火犯人捜しのことなでで少しずつ暮らし方が変わっていく。
髪奈女は、従者に京の街を連れ歩きながら何か手がかりを求めていたが、変な場所で特異な反応がおきる。また救助したときの服装は貧民街出身だのはずが、きれいな服を着せられと髪が長くきれいで高貴な出身にもみえる。また妙に言葉遣いが丁寧できぞくにしかみえない。
一方、末法の世ということで京では怪しげな御導師のが行う説法に人々が惹きつけられていいていた。若者三人組の一人もそうだった。昔、貧民街で悪さをしたことから懺悔の気持ちが強く、それを御導師に救って貰いたくなっていた。その御導師に会ったときの髪奈女の反応も異常だった。そんなところから、200年前の応天門が付け火で燃え上がった時代と似ていることなどが問題になってくる。その辺から関係者は髪奈女の出自をさがすことが、だんだん謎解きが始まる。200年の時空を超えた物語になっていく。ネタバレするとまずいので物語はこの辺まで。
諸田玲子さんは当時の権力下での官僚体制から街の様子、貧民街の構成、人々の暮らしをきわめてリアルに描くのでその時代が手に取るように浮かんでくる。そういえば、当時、末法の世といわれ今や千年も経っている。まさに末世的状況が未だに続いていると読むのもおもしろい。妙な宗教が流行ったり、モラル欠如の風潮など、結局、平安時代と人間は変わって異いないのかとも思う。確かに、当時の短歌などで恋心など心情などはまったくといっていいほど共感できる。
諸田玲子さんの小説は京都舞台がものすごく多い。どれを読んでも行きたくなる。
「そうだ 京都へ行こう!」
音近は屋敷に若い女を囲ったとの妻女筋の人たちから評判を悪くするが、何とか記憶を取り戻せないかといろいろ努力をしていく。その頃、付け火騒動の中で放火癖があった紀秋実との関係でsなんいんぐむみと知り合う。その付け火騒動の真の原因はやはり権力闘争が背景にあった。そうしたなかで音近の親戚筋にあたる人から付け火の班員探しを依頼される。それを若者三人組にも持ちかける。音近は同時に髪奈女の氏素性を探し本人の記憶が取り戻せないかと様々なところへ連れ歩く。こうして音近はハリがある生活が始まる。それまで妻女宅へ行っても義父母たちに出世が遅いと嫌みを言われ、長女は男あさりが盛んだし、次女は金遣い荒く父親から金をせびることしか考えていない。妻はどうやら男が通っているみたいで会うことすら拒否される。そんな家にはすすんで帰りたくなかったところに、目的があり、多忙は日々で生き生きとした暮らしが始まる。悪たれ三人組も付け火犯人捜しのことなでで少しずつ暮らし方が変わっていく。
髪奈女は、従者に京の街を連れ歩きながら何か手がかりを求めていたが、変な場所で特異な反応がおきる。また救助したときの服装は貧民街出身だのはずが、きれいな服を着せられと髪が長くきれいで高貴な出身にもみえる。また妙に言葉遣いが丁寧できぞくにしかみえない。
一方、末法の世ということで京では怪しげな御導師のが行う説法に人々が惹きつけられていいていた。若者三人組の一人もそうだった。昔、貧民街で悪さをしたことから懺悔の気持ちが強く、それを御導師に救って貰いたくなっていた。その御導師に会ったときの髪奈女の反応も異常だった。そんなところから、200年前の応天門が付け火で燃え上がった時代と似ていることなどが問題になってくる。その辺から関係者は髪奈女の出自をさがすことが、だんだん謎解きが始まる。200年の時空を超えた物語になっていく。ネタバレするとまずいので物語はこの辺まで。
諸田玲子さんは当時の権力下での官僚体制から街の様子、貧民街の構成、人々の暮らしをきわめてリアルに描くのでその時代が手に取るように浮かんでくる。そういえば、当時、末法の世といわれ今や千年も経っている。まさに末世的状況が未だに続いていると読むのもおもしろい。妙な宗教が流行ったり、モラル欠如の風潮など、結局、平安時代と人間は変わって異いないのかとも思う。確かに、当時の短歌などで恋心など心情などはまったくといっていいほど共感できる。
諸田玲子さんの小説は京都舞台がものすごく多い。どれを読んでも行きたくなる。
「そうだ 京都へ行こう!」