2012年の本屋大賞受賞した作品。三浦さんお馴染みのお仕事シリーズの辞書編。映画化(来年4月封切り)も発表されついに文庫化を待ちきれなくて単行本を買った。一般的にはいくらお仕事シリーズといってもここまでコアな世界は、その珍しさが新鮮という意味はあるが、それもなければ縁遠い世界ではある。私はもともと自分でも様々な文章を書いてきたし、同時に編集も重要な仕事だったので、単純に「言葉」の原典のような辞書の裏側が覗けるというような興味もあった。また編集者としてはさらに印刷工程などのバックヤードツアーのような興味もあった。
ところが想像をはるかに超えた世界だった。辞書に取り憑かれた人達が15年もの歳月をかけて辞書を完成するまでの物語り。単純な苦労話ではない。そこは三浦しをんさんにかかると壮大なロマンになる。それは彼女が辞書作りに挑む人達に寄り添いその人たちの人間ドラマを書くからだ。
一人のベテラン辞書編集者・荒木が最初に出てくる。いかに辞書に取り憑かれているか、彼を通して辞書編集の仕事が紹介されて行く。荒木が主人公かと思いきや、彼が定年を前に後継者を求めて出版社内の人材探が始まり、社内では変人だがまじめだという人がみつかった。その人、まじめ一筋で整理癖がある馬締(まじめ)光也が本書の主人公。学生時代から住んでいる古アパートに暮らし、風体の上がらない彼こそ本書の主人公だ。
出版社内で辞書編集部はきれいな本館ではない別館の地下で薄暗く本や資料で埋まったところにおかれている。荒木は一から辞書作りを教えて行く。
「ひとは辞書という舟に乗り、暗い海面に浮かびあがる小さな光を集める。~ 海を渡るにふさわしい舟を編む」これが本書の題名に繋がる辞書の意味。
馬締の真面目な人柄とひたすらな姿勢が、同じの部の先輩社員でややいい加減な西岡を変えていき、西岡の後任に配置された岸辺も変えていく。そんな時、古アパートの下宿に大家の孫の香具矢(かぐや)が引っ越してきて一目惚れしてしまう。恋愛にうぶな馬締は、様々のことを西岡に教えを乞う。ラブレターまで点検して貰う有様。
三浦さんは、今回は章ごと目線を変えていく手法が見事だ。西岡は馬締の真面目さをあざ笑い、からかい、営業部への異動を待っている社員なのだが、馬締が自分にない自由な発想をする西岡に対してきちんと畏敬の念を払ってることがわかり、何ががかわりはじめる。そんなことをきっかけに、西岡は自分の辞書編集部の立場も考えはじめるだけでなく、人生についても考え直していく。その西岡が異動するときに、いつ補充されるかわからない後任者のために引き継ぎ申し送りのマル秘ファイルを残していく。それから10数年たって漸く異動して生きたのが入社3年目の岸辺。そこからは岸辺目線に変わるが、花形女性向けファッション雑誌から辞書編集部にきた岸辺は、部内のすべてに違和感を感じていたが、彼女も馬締の真面目な姿から徐々に言葉の意味を考え、辞書編集のおもしろさを感じていく。そのことの一助になるのが西岡が残した申し送りのマル秘ファイル。(これが傑作)
辞書編集も大詰めになり、完成間近というときに偶然からある言葉が抜けていることが発見され、他も点検しなければと急遽、全編集部員、アルバイト学生数十名が1ヶ月に及ぶ合宿に入る。そのさなかに監修者である松本のの病状が悪化していく。病気の進行と競争するように緊迫の最終作業に入るが、完成を待たず、松本が死去する。15年に及ぶ編集作業を通じ、それぞれがその分年齢を重ねていっていることが、この辞書編集の大変さを重く教えてくれる。
そして、最終盤の大詰め、印刷用紙の試し漉きも始まる(因みに辞書用の印刷用紙は、何回も紙を漉き直してはいい用紙づくりからやるらしい)。5回くらい漉き直しを行い、最終の用紙確認を任された岸辺が印刷会社の用紙関係者、印刷関係者立ち会いの下、完成した用紙をさわり、めくっていく時の西岡の胸の内に去来するもの描写を読む頃には、こちらも当事者感覚で冷静でいられない。
そして、ついに完成を迎え、祝賀の日を迎える。もうそこから最後のページまでは涙、涙でしか読めない。
三浦しをんの仕事シリーズは、綿密な資料による調査はいうまでもなく、関係者への細やかなインタビューなどで、細部にわたりリアリティがある描写が特徴。さらに登場する人間の描き方も面白い。馬締と香具矢の恋、西岡の恋の行方、岸辺と製紙会社社員との恋もすべて仕事と生き方との関わりの中で浮かび上がってくる。これらすべてが応援したくなる。そして馬締も西岡もどちらかというと一般的には女性に持てるようなタイプではなくどちらかというと駄目男に属する男達だが、こうした男への三浦さんの視線があたたかい。こうした人物描写も三浦さんが人気を取る所以だろう。
そしてらこの本を通して、改めて言葉について、考えさせられる。このブログも早さを旨としていい加減な文書になっているし、ここいらで万年筆でも買ってきちんとした文書を書くような事でもしたくなってきた。
最後に本編で辞書の装丁も重要なエピソードとして出てくるが、この本の装丁を見直すと、なんか隠れたオマケを見つけたようなお得感を得ます。写真では半分が見えますが。