執筆者 たか
橋本真也 ~プロレス年表~(主な点のみ)
1984年4月 新日へ入門(この時、蝶野・武藤も入門)
1985年3月 YL杯9人中7位
1986年3月 YL杯8人中3位
1987年3月 YL杯9人中2位(優勝は蝶野)
<この成績等によって、カルガリー・プエルトリコを短期遠征>
1988年7月 闘魂三銃士結成
1989年4月 初の東京ドーム進出。IWGP王座決定戦で準優勝(優勝はベイダー)
<この時、初めて長州をフォールする>
1990年2月 ドームで猪木・坂口組vs蝶野・橋本組で対決
<名言:戦う前に負ける事考えるヤツが居るかよ、バカヤロー!が生まれる>
1990年12月 T・ホームと異種格闘技戦しTKO負け(膝を痛める)
1991年2月 T・ホームと再戦 KO負け(この後、中国で少林寺修行をし、水面蹴りを会得)
1991年9月 T・ホームに雪辱
1991年10月 長州のグレーテスト18クラブに挑戦、敗退。
1992年8月 G1においてNWA王座決定戦が行われるが、二回戦敗退(対戦相手は故リックルード)
1993年2月 WARとの対抗戦ムードが高まり、天龍と対戦を熱望し、WAR巡業に参戦する
<天龍と対戦した事により、「善戦マン」を返上し、上位に食い込む強さを身につける>
1993年6月 天龍と初シングル 惜しくもパワーボムで敗退
1993年8月 天龍と二度目のシングル 又もパワーボムで敗退
1993年9月 G・ムタからIWGPを初奪取(四度防衛)
<この年から、新日の顔となる>
1994年2月 天龍と三度目の対決 初勝利
1995年4月 藤波に破れ、王座転落
1995年5月 藤波とリターンマッチで王座奪取(その後、九度防衛)
1995年5月 武藤に破れ王座転落
1995年8月 G1初の決勝進出を果たすが、武藤に敗れる
1995年10月 Uインターとの対抗戦で中野龍雄と対戦 勝利
1996年4月 高田からIWGPを奪取(七度防衛)
1997年4月 柔道メダリスト小川と対戦 裸締めで敗退
1997年5月 小川とIWGPを賭け再戦 勝利
<ここまでの小川は、顔がふっくらしていて、謙虚さを残していました>
1997年9月 ボクサーのジーンフレジャーと異種格闘技戦 3R三角締めで勝利
1998年8月 悲願のG1優勝(蝶野と武藤は優勝経験済み)
1998年8月 天龍の持つ「J1王座」に挑戦 惜しくも敗退
1999年1月 小川と再戦 シュートを仕掛けた小川に成す術もなく滅多打ちされ、失神。しかし無効試合
<これより、因縁の対決,、そして、橋本の苦悩の日々が始まる>
これから以後は、ZERO-ONEを設立。
新日本内の道場制度の先駆けと言われたが、独立する事に。
これに呼応した大谷や高岩を引き連れて、三沢や小川といった夢の対決を続けていく。
しかし、昨年11月、実質上の団体崩壊。
多額の借金などを背負って、負傷した体を療養するために、休養。
1999年以降は、橋本に対して、良い思い出が少ない。
中堅選手として輝いていた、やんちゃ坊主は、いつしか、目の上のタンコブを追い越し、団体の看板を背負う。
しかし、一つの戦いによって、積み上げてきたモノを崩され、自らの存在を見失い迷走していく。
残念ながら、最後まで選手として逝く事は出来なかった悲運はあるが、その類稀れなる体躯を生かし、ファンを魅了した橋本真也。
輝かしいベルト防衛記録を持ち、アチラの世界でも、DDTや蹴りを決め、先に逝った、鶴田や馬場と夢の対決をして貰いたいものだ。
~了~
*長々、マニア話を書かせて頂いた、ブログメンバーへ感謝。