平成ヒット曲集[中3選曲] 第二十二回 1999① | とある中3の平成名曲ブログ〜だけど内容がかたよってる〜

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だんご3兄弟  速水けんたろう、茂森あゆみ、ひまわりキッズ、だんご合唱団

「だんご3兄弟」(だんごさんきょうだい)は、1999年3月3日発売の速水けんたろう、茂森あゆみ、ひまわりキッズ、だんご合唱団のシングル。佐藤雅彦が1997年頃に、「串だんごが兄弟だったら一番上と一番下どちらが長男になるのか」という疑問を『クリック』という短編集に収めた。同書をたまたま『おかあさんといっしょ』のディレクターが手にしたことから、歌を制作することになり、「だんご3兄弟」が完成した。当時のうたのおにいさん、うたのおねえさんだった速水けんたろう、茂森あゆみが歌って特に子供たちの間で人気となり、CD発売を待望された。『おかあさんといっしょ』オリジナル曲では史上初となるCDシングルとしてポニーキャニオンから1999年3月3日に発売されるや初回出荷80万枚があっという間に完売し、発売当日の追加注文が20万枚、発売日3日目(1999年3月5日)で出荷枚数250万枚を突破する大ヒットとなった。1999年オリコン年間シングルチャート1位、日本音楽著作権協会発表の著作権使用料の分配額では『Automatic』、『Time will tell』(ともに宇多田ヒカル)に次ぐ国内作品3位。第41回日本レコード大賞特別賞、ゴールデン・アロー賞、日本ゴールドディスク大賞(ソング・オブ・ザ・イヤー)など数々の賞を受賞。累計売上はオリコン集計で290万枚以上、KARAO.COM集計で約324万枚。出荷枚数は380万枚(一部報道では350万枚)。当時のオリコン歴代シングルチャート3位を記録(その後サザンオールスターズの『TSUNAMI』に抜かれて4位になる)。1990年代(集計期間:1989年12月 - 1999年11月)オリコンシングル売り上げランキング第1位。通常、童謡曲は買い取り契約だが、「だんご3兄弟」の場合は人気が上がってからCD発売が決定したため、2パーセントの印税契約だった。速水けんたろう、茂森あゆみは『第50回NHK紅白歌合戦』にも出場し「だんご3兄弟」を歌った。バックには当時単独出演だったスプー・『ドレミファ・どーなっつ!』・『にこにこぷん』のキャラクターが登場した。またcobaによるアコーディオンソロが編入された。一時期は社会現象になるほど爆発的な人気を誇り、上記のシングルのほか、アルバム『NHKおかあさんといっしょ いっしょにうたおう大全集40+カラオケ10』(発売2日で10万枚を出荷)やビデオ『NHKおかあさんといっしょ 最新ベスト うたのメリーゴーランド16』(1999年4月5日時点で出荷本数42.5万本)、その他楽譜や絵本などの関連書籍や各種キャラクター商品が爆発的に売れた。その一例としてバンダイが発売した「だんご3兄弟ぬいぐるみ」は1999年4月24 - 25日のわずか2日間で10万個を売り上げた。楽譜は1999年3月21日までにケイ・エム・ピー発行のものだけで36万冊以上(同社の楽譜の通常の売れ行きは1万冊前後)、7社の累計では50万冊以上が出荷された。そのほか、だんご屋が繁盛する、『残業3兄弟』『談合3兄弟』『海老名3兄弟』『ダチョウ3兄弟』などの替え歌が流行する、1999年の通常国会で国会対策委員長を務めた二階俊博・古賀誠・草川昭三の3人は、当時「(永田町の)だんご3兄弟」と呼ばれていた、便乗商品が多数発売されるといった社会的な影響があった。しかし基本的にマスコミの煽りによる面が大きく、2 - 3ヶ月ほどでブームは沈静化した。なお、当時NHKでは、あまりにも異常な人気に戸惑っていたという。作詞者の佐藤雅彦も当時、「『だんご3兄弟』はブームになるよりも長く歌い継がれる曲になってほしい」という趣旨を述べており、ブームを歓迎していなかった。大阪有線(現在のUSEN)では、24時間だんご3兄弟だけがか掛かるチャンネルがあったが、12月をもって終了した。関連商品の売上高は100億円を記録したが、NHKのライセンス料収入は2億円にとどまった。利益の多くは、NHKとは資本関係のない企業のものになってしまった。




Automatic  宇多田ヒカル

Automatic/time will tell(オートマチック/タイム・ウィル・テル)は、1998年12月9日にリリースされた宇多田ヒカルのデビューシングル。デビューシングル。発売前から話題となり、発売と同時にたちまちミリオンセールスを記録。また演歌歌手の藤圭子の実娘であること、アメリカからの帰国子女といったことなども話題となって、さらに売り上げが伸びるなど一大ムーブメントを引き起こした。12cmシングルには初回仕様が存在し、メタリックな紙質のジャケットとなっている。累計出荷枚数は255万枚。「Automatic」,「time will tell」ともにPVが作られている。これはどちらをデビュー曲にしてプッシュするか迷ったからであると後に明かしている。また「Automatic」のPVは2パターン存在する。ビデオ、DVDに収録されている通常のヴァージョンと、一時期間CS放送などの有料チャンネルで放映されていたヴァージョンである。内容の大きな違いは、通常の方にはあった中腰姿勢で歌うシーンが無くなっていたり、「time will tell」のPVの映像が流用されている点である。もう一つ方のヴァージョンはソフト化されていないが、音楽番組で「Automatic」を紹介する際に、こちらの方のPVを流すことが稀にある。オリコンでは2001年5月以降、シングルの8cm盤と12cm盤を合算して集計するようになったが、本作は8cm盤と12cm盤の売上を合算して考えると、1998年12月21日付のオリコンシングルチャートで山崎まさよしの「僕はここにいる」を上回り初登場4位を記録することになる。同様に、1999年2月8日付のオリコンシングルチャートでthe brilliant greenの「そのスピードで」を上回り(1週だけではあるが)1位を記録することになる。オリコンの公式記録では1位未獲得曲で(上記の合算1位という参考記録はあるものの)歴代1位の売上となっている。「Automatic」はオリコンカラオケチャートで13週連続1位を記録した。COUNT DOWN TVの1999年年間TOP100では、オリコン年間1位の「だんご3兄弟」を上回り、1位となっている。1999年度のJASRAC賞では「Automatic」が金賞、「time will tell」が銀賞を受賞している。2006年、宇多田がフジテレビ系音楽番組「HEY!HEY!HEY!」に出演した際、ゆかりゲストとして登場した歌手のさだまさしが当時この曲を収録した1stアルバム『First Love』を自分の足で買いにいったというエピソードとともに、初めてAutomaticを聞いたときの感想を、『サビの「It's Automatic」が「いつお泊まり?」に聴こえ、「なんて生意気な15歳だ、親の顔が見てみたい」と思ったら、聞けば藤圭子の娘じゃないかと驚いた』と冗談まじりに話した。2007年12月7日から12月10日までの4日間、デビュー10周年で「Automatic」の着うた無料ダウンロードを実施、約50万件のダウンロード数を記録した。フジテレビ系「笑う犬の生活-YARANEVA!!-」 エンディングテーマ・FM802、1998年12月の邦楽(J-POP)ヘヴィー・ローテーション・フジテレビ系「笑う犬2008秋」 エンディングテーマ。


energy flow  坂本龍一

『ウラBTTB』(ウラビーティーティービー)は、1999年5月26日にリリースされた坂本龍一のマキシシングル。本シングルは三つのピアノ曲で構成され、坂本龍一のアルバム『BTTB』に引き続いて発売された。タイトルの正式な表記は「B」の文字を左右反転の鏡文字にしている(ABBAの1文字目のBと同様)。CM曲として使われたエナジー・フロー(energy flow)の人気、当時注目された収録曲、そして坂本龍一の知名度を背景に、このシングルが大ヒット。インストゥルメンタルのシングルとしては初めて、週間のオリコンチャート1位を記録(それまでの記録は1992年、松本孝弘『#1090 ~Thousand Dreams~』の2位)。その後も10週連続でトップ10入りし、累計180万枚を記録した。直接的な繋がりは無いが、翌年に同系統の楽曲を収録したコンピレーション・アルバム「image」も本作並みの売上枚数であったことから、事実上本曲がイージーリスニング音楽による「癒しブーム」の火付け役と認識されるようになっている。1999年3月から第一三共ヘルスケア(当時:三共)リゲインEB錠のCM曲として使われた。放映開始当初は、スクランブル交差点の真ん中で坂本がこの曲をピアノで演奏する様子を見下ろす視点の映像が使われていたが、その後坂本出演部分がカットされたものとなった。元々CMで使われた30秒だけが作曲されたが、CMで評判が上がり、CD発売が決定したため、急遽他のパートを追加し一曲に仕上げた。CMで使われた音源はアルバム『CM/TV』に収録されている。坂本はこの曲に対してそれほど思い入れがないこと、なぜ売れたのかが分からないというコメントを幾度となく残している。「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」にてこの曲を披露している。

LOVEマシーン  モーニング娘。font>

「LOVEマシーン」(ラブマシーン)は、モーニング娘。の7枚目のシングル。1999年9月9日に発売。グループ初のミリオン達成曲であり、オリコンカラオケチャートでは当時の新記録である17週連続1位を記録。現在に至るまでモーニング娘。として最大のヒット曲であり、グループの全盛期を象徴する1曲である。女性アイドルグループ(少人数ユニットを除く)史上最大の売上枚数となっている。前作「ふるさと」の不振を受け、プロデューサーのつんく♂が明るい曲を提供。ダンス☆マンが編曲(モーニング娘。初)を担当した。それまでのモーニング娘。のイメージを一変させ、非常にポップかつコミカルな要素を含むダンスチューンの路線が定着した。のちにつんく♂は、この曲でモーニング娘。が「全国区」になったと表現している。後藤真希にとっては最初のシングル、石黒彩にとってはモーニング娘。としては最後のシングルであった。元々は、1999年9月9日に9人のモーニング娘。による歌として発売する予定であった。そのため、発売日が通常の水曜日ではなく木曜日になっている。しかしメンバーを2人増員して9人にする予定でオーディションを行ったところ、追加メンバーオーディションの合格者が「1人だけレベルが違いすぎる」との理由で後藤真希1人になったため、8人のモーニング娘。で歌うこととなった。ジャケットは12cm仕様だったが、ディスクは8cmのシングルCDだった。週刊金曜日』では「現代の労働歌」として取り上げられた。後につんくはこの曲について、「音楽の神が降りて来て作った」と語っている。この曲以降、モーニング娘。の曲の振り付けはそれまでとは比べ物にならないほど動きの激しい物になった。また、後に関係者によって語られた所によると、当初この曲に付けられた振り付けは「普通にかっこいい」物であった。しかし、それを見たつんく♂が「自分の考えていた物と違う」と言い出し、色々と注文を付けた結果、ほとんど全部やり直しに。その結果、出来上がった現在の物は、メンバーが最初は「本当にこれをやるのか」と思ったほど奇妙なダンスとなった。中澤は後に「モーニング娘。からの卒業を考え始めたのはLOVEマシーンの頃である」と語っている。その理由を「激しいダンスに自分だけがついて行けなくなった」からであると語っており、この曲の激しいダンスが中澤が卒業を考えるきっかけになったと見られる。それまでのモーニング娘。の曲のプロモーションビデオが屋外でのロケを中心とした物だったのに対して、この曲以降はスタジオ内で撮影し、CGを多用したものになった。プッチモニのデビューシングルである「ちょこっとLOVE」のPVは「LOVEマシーン」のPVのラストと同じシーンから始まっている。またモーニング娘。としては『ザ・ビデオ LOVEマシーン』として、初めてプロモーションビデオが商品化されて発売された曲でもある(1999年10月14日発売、VHSのみ)。9月9日発売のスケジュールに対して、つんくとダンスマンが初めて会い、デモテープを渡されたのは8月8日でプレスまで一週間しかないというタイトな日程で制作された。つんくがギター一本で演奏し鼻歌をいれたデモテープは1993年に制作されたものである。これは元々シャ乱Qの没曲だったことによる。しかしその際の仮タイトルは「まんじゅう娘」で、しかもサビで「おっぱい」と連呼するというダサイ曲であったためメンバーに猛反対されお蔵入りとなった。なおこのエピソードは、「アーティストの嫌うダサイ曲こそ売れる」という持論とともに語られている。最後のラブマシーンというフェイクは矢口真里のアドリブがそのまま採用された。2007年2月に、オリコンにおいて「オリコン歴代シングル、“1000作目”の1位は!?」なる企画が実施され、この曲のオリコンシングルチャート第1位が、オリコンの集計が始まってから丁度700作目の第1位に当たることが明らかになった。



ラストチャンス  Something ELse

「ラストチャンス」はSomething ELseの6枚目のシングル。1998年12月23日発売。
Something ELseは1998年秋までに5枚のシングル、1枚のアルバムを発表するが、どれもがヒットに恵まれず、レコード会社、所属事務所と契約切れ寸前の“崖っぷちバンド”であった。そんな折、日本テレビの当時の人気番組雷波少年の『3ヶ月間、3人で1つの部屋にこもって曲を作り、その曲を次のシングルとしてリリースを約束する代わりに、そのシングルがオリコン初登場20位以内に入らなければバンドを解散・音楽以外の職種に転職』という企画の白羽の矢が立つ。メンバーはスタッフの方針に不信感を募らせるが、「自分達の音楽がいかなるものなのか、答えを知りたい」と企画参戦を決意。当時のSomething ELseのスタッフの中でも賛否両論があった。また、テレビ番組による似通った企画もこの頃は少なくなく、ネット上では様々な議論が交わされた。約3ヵ月半(118日間)に及ぶ共同生活の末に完成した「Give me a chance」(仮タイトル)を6枚目のシングル「ラストチャンス」として1998年12月23日に発表。発売日には、バンドの誕生の地である柏駅でストリートライブを行った。当時雷波少年が放送されておらず、Something ELseがあまり認知されていなかった青森県や富山県、高知県などではストリートライブを行い、バンドの存続を訴えた。事前に会場は用意されておらず、漁港や居酒屋の店頭、さらに学校や住宅街に至るまで、メンバー自らが場所の選定を行っている。基本的には合宿生活中によりメンバー自らがこれ以上のプロモーションはできない為、レコード会社スタッフが各地を移動し、CDの手売りを行った。 1999年1月6日付オリコンランキングではこの作品が初登場2位になり解散を免れる。翌週には1位を獲得。20週に渡って100位以内にランクインするロングヒットを記録した。オリコン上ではわずかに100万枚に達していないが、出荷枚数は120万枚以上でゴールドディスク認定されている。初めてメンバー3人で共同作業を行って完成させた曲。「こういう状況だからこそ、ハングリー精神というか、自分達の叫びを伝えたいと思って選んだ。あの状況でなぜこんな曲ができるのか、と驚かれた」と後に明かしている。Something ELseは同曲で第41回日本レコード大賞の優秀作品賞を受賞、第50回NHK紅白歌合戦にも出場した。 1999年のオリコンシングル年間ランキングでは12位だが、上記の出荷枚数や有線リクエスト等を加味した音楽番組によってはトップ10(主に第10位が多い)にランクインする。

フラワー  KinKi Kids

「フラワー」は、KinKi Kidsの7作目のシングル。1999年5月26日発売。オリコン調べで3作ぶり通算4作目のミリオンセラー。オリコン調べでは、2012年6月現在本作がKinKi Kidsのシングルでは最後のミリオンセラーシングルである。『第50回NHK紅白歌合戦』にKinKi Kidsが特別出演した際に、サビのみではあったが、歌唱された。『KinKi KISS Single Selection』(DVD)に「フラワー remix ver.」が収録されているほか、沖縄・奄美地方の楽器・三線をフィーチャーした、ラジオ番組のオンエア用に製作されたバージョン「フラワー~Remix Radio Edit~」も存在するが、こちらは現時点まで未作品化となっている(プロモーション用の非売品CDに収録)。このシングルの初回版にはピンナップが封入されてはいたものの、ジャケットは珍しく通常版と同様である。横浜ベイスターズの下園辰哉が打席に入る際の入場曲としてこの曲を使用している。同時期に浜崎あゆみの楽曲も担当し、ヒットさせることとなるHΛLによる作詞・曲。また、日本テレビ系『伊東家の食卓』で、ピアノの黒鍵だけで弾ける曲としても紹介されている。ちなみに黒鍵だけで弾けると言っても、実際はキーが原曲より4つ高いものである。「ジェットコースター・ロマンス」でもタイアップになったANA「'99パラダイス沖縄」キャンペーンソングになり、同じくCMとPV撮影を兼ねて沖縄で行われている。なお、PVには初めてKinKi Kids以外の第三者(女の子)が登場する。



『Boys & Girls』(ボーイズ アンド ガールズ)は、浜崎あゆみの9枚目のシングル。 1999年7月14日に発売された。浜崎初のマキシシングルでの発売。薄型ケースを使用しているのはこのシングルのみ。 1曲目がリミックスで、2曲目が"AUBE Original Mix"となっている。次作「A」より後にミリオンセラーとなり、第41回日本レコード大賞の優秀作品賞を初受賞。大晦日の『第50回NHK紅白歌合戦』にもこの曲で初出場した。花王「AUBE」CMソング。
Grateful Days  Dragon Ash feat ZEEBRA & ACO

「Grateful Days」(グレートフル・デイズ)は、Dragon Ashの5枚目のシングル。1999年5月1日発売。前作「Let yourself go, Let myself go」から続く作品。前作から約2ヶ月の短い間隔で発売され、「I LOVE HIP HOP」との同時発売となった。品番の関係上本作が5th、「I LOVE HIP HOP」が6thとなる。本作発売時には、まだ前作がロングヒット中であったこともあり、同時発売の話題性も含め発売前から話題となる。ゲストとしてタイトル曲にはZEEBRAとACOが参加。また作品の名義はDragon Ash単独のものだが、タイトル曲はDragon Ash feat ZEEBRA & ACO(Dragon Ash featuring ACO, ZEEBRAとも表記される)名義である。『速報!歌の大辞テン』では、タイトル曲の名義であるDragon Ash featuring ACO, ZEEBRAとしてランクインした。発売週のオリコンシングルチャートでは、前作を上回る初登場3位を記録。この時は、L'Arc~en~Cielの「HEAVEN'S DRIVE」と宇多田ヒカルの「First Love」に阻まれ3位に甘んじたが、2週目ではこの2作の週間売上を上回り(L'Arc~en~Cielは3週目)、バンド初のオリコンチャート1位を獲得する。同週には「Let yourself go, Let myself go」が7位(最高位は4位)、「I ♥ HIP HOP」は4位にチャートインしていた。最終的にはミリオンセラーにはならなかったものの、2010年現在バンド最大のヒット曲となっている。また、本作はヒップホップの作品、ミクスチャー・バンドのシングルとしては共に初のオリコン1位獲得作品となる。トラックは、1993年に発売されたスマッシング・パンプキンズの「Today」のギターフレーズをサンプリングしている。本作に参加したZEEBRAとは友好関係にあったが、翌年発売の「Summer Tribe」発売以降作風の変化などについて、キングギドラの「公開処刑」にて厳しいディス(批判・バッシング)を受け、現在は対立関係にある。タイトル曲の歌詞は一部著名となり、この曲のヒットやインパクトを象徴しているが、その部分を歌っているのは降谷建志ではなくZEEBRAである。1メロ(降谷)→1サビ(ACO)→2メロ(ZEEBRA)→2サビ(ACO)→3メロ(降谷)という進行である。また、CDTVでは名義がDragon Ashであるためか、必ず降谷が歌う部分が流されていた。Dragon Ashは、フィーチャリングの曲はその相手がいないとライブではまず演奏しないので、この曲もViva La Revolutionの横浜公演でZEEBRAをゲストに迎えて披露したきりである。また、このシングルが単独名義の「I LOVE HIP HOP」と同時発売であるため、ACOとZEEBRAと共に写ったアーティスト写真がなかった。ある雑誌のインタビューで、降谷は「正直やんなきゃよかった」と溢している。ただ、ZEEBRA自身も発売当時はマスアピールだということでかなりの批判を受けた。現在でこそミクスチャー・バンドとして活動しているが、当時はヒップホップをメインジャンルとして専攻していたため、本作及び2003年のアルバム『HARVEST』発売以前の作品は、ヒップホップの楽曲として取り上げられることが主である。本作は、CDシングルの形態が従来の8cmから12cmに移行していたことに伴い、12cm盤で発売されている。8cm盤の同発が存在せず、12cm盤のみで存在しているが、本作当時にはまだ比較的珍しい試みであった。c/wは新たに製作されず、タイトル曲のリミックスを2曲収録している。



「A・RA・SHI」(アラシ)は、嵐の1枚目のシングル。1999年11月3日に発売。表題曲「A・RA・SHI」は、1999年のフジテレビ系『バレーボールワールドカップ』イメージソング。同タイアップとしては、V6の「MUSIC FOR THE PEOPLE」に続ぎ、その後NEWSが「希望~Yell~」でCDデビューしている。PVの監督は、川村ケンスケ。ジャケットの嵐の文字は、ジャニー喜多川が書いたものである。ジャニーズ事務所内のグループでは、KinKi Kids以来のCDデビューである。『とんねるずのみなさんのおかげでした』内の「新・食わず嫌い王決定戦」に嵐のメンバーが出演し勝負に負けると罰ゲームとして歌い、踊らされる曲である。以前に出演したメンバーの映像と合成して放送される。『うたばん』内でもゲームに負けると連帯責任など何かと理由をつけられアカペラで歌わされていた。その際、最初は中居正広からの駄目だしが入るのが定番であった。A・RA・SHIの作詞をしたJ&Tは、ジャニーズ事務所の後輩、Sexy Zoneの菊池風磨の実父である。もともとは「REACH OUT FOR MY DREAM」という曲があったが、お蔵入りした。デビューシングルとしてはKinKi Kids「硝子の少年」、近藤真彦「スニーカーぶる~す」、KAT-TUN「Real Face」に次ぐジャニーズ事務所歴代4位の売り上げ。嵐のシングルでは最高の売上を記録した。また、初回出荷枚数は発売が決まった時点で36万枚と決定されていたが、発売週のうちに追加出荷がなされた。初週の売り上げは嵐デビュー以来本作が最高の55.7万枚を記録していたが、後11年目の2010年度リリースした34thシングル「果てない空」が57.2万枚を記録し自己最高初動記録を更新した。

BE TOGETHER  鈴木あみ

BE TOGETHER(ビー・トゥゲザー)は、1999年7月14日発売の鈴木あみのシングル。自身初のオリコンシングルチャート1位を獲得し、自身最高の初動売上枚数を記録。オリコン集計での累計売り上げは80万枚を超え、自身最大のヒット曲である。マキシシングル、アナログの2形態で発売。アナログには前作「Don't leave me behind」のリミックス曲を2つ収録された。当時最大のライバルといわれていた浜崎あゆみのシングル「Boys & Girls」と同時発売になり話題に。オリコンシングルチャートでは、このシングルが初登場1位、浜崎のシングルは2位となった。しかし、翌週逆転し2位となった。アルバム『infinity eighteen vol. 1』には小室哲哉によってアレンジし直された「BE TOGETHER(Shadow Dancing Mix)」が収録されている。発売年のNHK紅白歌合戦(第50回)ではこの曲が披露された。2007年(平成19年)にリリースシングル「FREE FREE/SUPER MUSIC MAKER」の後に中田ヤスタカがエレクトロサウンドで新アレンジバージョンを制作した。ライブでのみ披露しており、CD等には現在未収録。モスバーガー「夏のキャンペーン」CMソング。