映画館で観て以来、あんまり観返してこなかった「平成モスラ三部作」。
どういう話だったっけ? ということで、観返してみることにしました。折よく家に、ディアゴスティーニの「東宝特撮映画DVDコレクション」で未視聴のまま棚に眠ってるDVDがありましたので、そちらで鑑賞。今のBlu-rayに比べると画質は落ちますが、たぶんリアタイで観た時に近い画質だと思うので、当時のことも思い出したりなんかして、それなりに楽しかったです。
それでは三部作それぞれの、ざっくり感想です。
『モスラ』(1966年)
ゴジラ対デストロイアでゴジラを葬った東宝が、次にフィーチャーしたのがモスラ。何だかんだ言って東宝の怪獣映画は、昭和やミレニアムシリーズ以降の休止期間とは違ってこの時期は途切れていなかった。ゴジラに次いで知名度の高いモスラ、ただしその世界観はかなり違っていて、平成ゴジラがいわゆる「怪獣災害」としてのゴジラや、Gフォースなどミリタリー的な組織との戦いが中心になっていたのに対して、モスラはよりファンタジックな世界観の中で物語が進行する。これはこれで中々新鮮だし、怪獣映画の裾野を広げる試みとしても面白い。また『ゴジラVSモスラ』にもあった自然破壊への警鐘も含まれているのだけれど、こっちはそれほど上手く機能していないっていうか……事の発端が主人公の少年の父親と言うところで、傍から見ると(洗脳されていた一幕があったとはいえ)やってしまったこととその被害の甚大さがあまりにもアウトなので、おいおい……という気持ちになってしまう。特撮部分は、市街地戦がないとかはそれほど気にならなかったが、まず合成のレベルがかなり落ちるように感じる。特にエリアス三姉妹関係の合成は、DVDの画質で観ても(観たからか)、もの凄く違和感。若干ミュージカル的な部分もあって、モルとロラが歌うシーンが何度か挟み込まれるが、最初、モスラを呼ぶ歌になった瞬間にばっちり立ち位置に定まっている画が出たのはちょっと笑ってしまった。新生モスラ、デスギドラ、ガルガルなど、怪獣たちの造形はどれも素晴らしいし、特にデスギドラは強くて悪くてカッコいい、世界中の少年から支持を得そうなデザインと造形。ダムの破壊や、幼虫モスラの進軍(このモスラの動きが異様なほど凝っている)、屋久島での羽化など、画となる見せ場がゴジラ以上に多かったのは、見どころの一つとなるか。ただ、モスラが基本操演なので怪獣同士のバトルは平成ゴジラ――むしろ川北特技監督の怪獣映画お定まりの、光線の打ち合いばかりになってしまったのが勿体ない。今回は幼虫モスラまで光線を撃ちだす始末だから、おいおい、それは何だと。物語面では、新怪獣と新世界観とを無難なく纏めたものとも捉えられるし、子どもたちが物語の牽引役となることで、これまたゴジラとは違うテイストを打ち出してはいる。――が、全体的に演技と演出が安定せず、どうにも芝居臭く見えてしまうところが勿体ないところではあった。
『モスラ2 海底の大決戦』(1997年)
ダガ―ラの悪辣かつ老獪そうなビジュアル、沖縄の海に突如として浮上するピラミッド型のニライカナイなど、設定や造形は中々に凝っている。あの(どの?)満島ひかりさん初出演ということもあって、この人はウルトラマンマックスと言い地味に怪獣特撮に縁のある人だ。物語の方向性は、環境破壊への警鐘を前作から受け継いで、前が森なら今後は海。そこに沖縄の子どもたちの冒険を併せたジュブナイルものになっている。今回は露骨ともいえるほど分かり易い構図で、子どもが善で純真、大人が悪で邪。悪側のベルベラの立ち位置がちょっとずつ揺らぎ始めるのは三作目への伏線だったのか。中途半端なところで救いの手を出したりするから戸惑う。特撮面で言うと、合成は前作よりも違和感が減じているが、沖縄の景色と怪獣の組み合わせがやりたいからって、ちょっと合成カット多すぎでは? そしてそのうちのいくつかは、初期の東宝の怪獣映画を知っている身としては、許せないなという手の抜きっぷり。ダガ―ラが石垣島に進行するカットの多くが実景との合成になるけど、いくつかのシーンでは、ダガ―ラが暴れている手前で、バイクの兄ちゃんが涼しい顔で走っている。ロケで撮った映像を考えなしに入れすぎ。細かいところまで気を配れていないのでは。モスラとの対決も、基本は光線の打ち合いで、それならそれでも良いけれど、別に石垣島上空でドンパチするわけでなし、戦いの舞台はピラミッド周辺の海域に固定されている。これは予算の関係だと思うんですが……ゴジラシリーズの方が、まだあっちこっち進軍してたよね、一つの作品の中で。翅があって、自由に飛べんだろお前なモスラで戦闘舞台が限定されてしまうのは勿体ない。あと、今回は、けっこうハリウッド映画を意識してるところがあって、ピラミッドの中の冒険は完全にインディー・ジョーンズ。『最後の聖戦』と同じ装置まである。水中モードモスらがダガ―ラの体内に入り込むシーンは、どう考えたってスター・ウォーズのデス・スタートレンチシーン。「あっ!」っていう気づきは面白いが、いずれも安い(笑)。基本的には文句ばっかり言っております。ただ、沖縄の少年少女のひと時の冒険と言う不思議なノスタルジック感は嫌いになれず、見終わるとほんのちょっぴりしっとりした気分になる。なんか、こんな夏、自分にもあったらな、みたいなね。これはモスラならではで抱ける感慨だと思います。
『モスラ3 キングギドラ来襲』(1998年)
ストーリー的には一番記憶に残っている。主人公の少年が、『学校の怪談3』の主演と同じということで、過去に『学校の怪談3』でマジ泣きした経験のあるワタクシからしたら、それだけでちょっと評価上澄み。事実、子役の演技に関してはこの3が一番安定して見える。子供たちが消えていくシーンは、当時リアタイで見た時にけっこう怖かった。一作目が環境問題重視、二作目が少年少女のジュブナイル物だったのに対して本作はより一人の少年にフォーカスして話が展開し、そこにエリアス三姉妹が絡んでくる感じ。主人公の少年が不登校という設定自体の是非はあるけど、「人が見落としてしまうものまで見える」という性格を序盤にちゃんと細かく表現にしていたり、父母との微妙な距離が上手くあらわされていたりと、モスラ三部作の中では一番、人物に寄った描写が光っていた。展開という意味では、モスラの戦闘にも一応は戦略があるし、モスラ最後の変身も、奇跡が起こりましたとか力を貰いましたとかじゃなくて、「行きは急行帰りは鈍行」という中々に域なものになっていた。怪獣たちの造形は、グランドギドラもヤングギドラも素晴らしいの一言。何が凄いって、どっちも走る。飛ぶ前に助走する。これには驚いた。けど、走り方が内股気味でちょっとカッコ悪いし、グランドギドラは下腹部が弛み気味……。あと、モスラとギドラの着ぐるみのバリエーションだけでお金が飛んだ結果か、大規模なミニチュア破壊は本作でも拝めず。基本はCG合成による破壊シーンとなっている。前二作に比べて違和感なく仕上がってはいるものの、破壊の描写が一辺倒なのは寂しい。あと、白亜紀(笑)!! ジュラシック・パークから5年も経っているというのに、あの恐竜の描写はない。おもちゃじゃん。ストーリー的には三部作で一番気に入ってはいるけれど、特撮描写は一番寂しさを感じたかなと。ただし、白亜紀での空中戦は良かった。上空からのギドラの火球を、地面すれすれを飛行しながら避けるモスラのカットは様になっていたし、ここに来て空中戦のクオリティは相当に上がっていたと思うし、操演であのスピード感が出せるのは凄い。白亜紀ではギドラを引っ掻いたりと肉弾戦も頑張っていました。ただ、モスラもそうだし、平成モスラに登場する怪獣は、みんな格闘映えできない構造の怪獣なんですよ。もともと怪獣って肉弾戦できないのに、四足歩行であったり手がなかったりと、とにかく怪獣同士のぶつかり合いがし難い。製作陣的にはモスラがそもそもそういう構造の怪獣だから肉弾戦は諦めて、敵怪獣もモスラに合わせたフォルムや今までとは異なるフォルムにしようという戦略があったのかも知れない。そうなるとバトルスタイルが固定されるのは避けられないわけで……。結果的に三作で終わったモスラだけど、そういう「怪獣表現」的な部分でも限界が来ていたんじゃないかなと思ってしまう。
以上、平成モスラ三部作の感想でした。今見ると、なかなかぬるたい展開や、当時の映像表現の限界などが気になるシリーズだなぁと思ってしまいますが、ゴジラとは異なるファンタジー路線を、モスラで切り開いたのは一つの新機軸として面白かったと思うし、古代文明との絡みもモスラならではの試みでした。これがうまいこと継承されれば、今日の怪獣映画はまた一つ違ったものが生まれていたかもしれない。
ゴジラ銀幕不在時期を支えたモスラでしたが、平成モスラシリーズは三作を持って完! となり、トライスター版のゴジラを観た東宝が「これじゃぁいかん」ということでミレニアムシリーズを始動させていくことになります。