ざっくり感想「ウルトラセブン」第41話~第49話 | 怪獣玩具に魅せられて

怪獣玩具に魅せられて

ゴジラ・ガメラ・ウルトラマン、その他たくさんの特撮怪獣玩具を紹介します。

 

  『ウルトラセブン』第41話~第49話まで ざっくり感想

【第41話】

「水中からの挑戦」(水棲怪人テペト星人・カッパ怪獣テペト登場)

 テペト星人って……まんまカッパやん。正直、今回は敵側の陰謀が全然わかんないので、イマイチ乗れなかった。広大な湖畔を舞台に戦うセブンとテペトは、セブンの赤が水に映えて良かったし、どことなくコミカルなテペトや、必殺仕事人みたいなアイスラッガーの使い方が印象に残るものの、終盤の戦いまでが冗長に過ぎる。テペトはそこまで嫌いな怪獣じゃないけど、全49話の中では「サイボーグ作戦」と並んで、印象に残らない回。よって、あまり語ることもない……。

 

 

 

【第42話】

「ノンマルトの使者」(地球原人ノンマルト・蛸怪獣ガイロス登場)

 出たよシリーズ終盤の意欲作、にして最大の問題作! これまで人類を守り続けたウルトラセブンに突き付けられた、最大の謎。もし本当に、ノンマルトが地球の先住民族で、現行の人類が侵略者だとしたら? セブンの活躍でさえ、侵略の手助けになりかねない――という、トンデモない背負い投げを食らわしてくる。正直、ガイロスとの戦いとかどうでも良くて、このノンマルト問題と、最後の真市君問題だけで十二分に楽しめる作品。脚本を金城哲夫さんが担当しているからか、沖縄問題と絡めて語られることが多いけど、個人的には作家性ってのは一個人の経験と無縁ではいられず、そういう意味では彼の無意識の作家性がうかがえる話ではあるけれど、意識的に沖縄問題について書いているというのは違うと思う。特に金城さんが戦争を体験しているが故に、逆に戦争を描けないというエピソードを知ってからは、訳知り顔で「セブンは沖縄の――」とか言ってくる意見には拒否反応を覚えるようになってしまった。それはともかく、ラストはセブンの中でも屈指のショッキングシーンで、今見ても鳥肌が立つほど怖い。全てを破壊してしまったからこそ、真実は永遠の闇という容赦のないラストまで、とかく印象に残る。シリーズ終了間近にこういう話を持ってくる辺り、まだまだ、セブンで語るべきエピソードはたくさんあったのでは、と想像を逞しゅうせざるを得ない。

 

 

【第43話】

「第四惑星の悪夢」(ロボット長官登場)

 実相寺監督による、異形の宇宙人や怪獣が登場しない回。地球から遠く離れた、地球とよく似た星。しかしそこはロボットの支配下で――と言うと、大長編のドラえもんにでも出てきそうな話だけど、「悪夢」というだけあって、第四惑星はロボットが人間を支配、虐待する悪夢のような星。ここまでくると、「いかに安く済ませるか」についての苦闘もほんのり伺えてくるが、実相寺監督というだけあってか、予算不足をアイデアで覆し、安っぽさは感じない。特に、ロボット長官との会話のシーンは、果てしない奥行きのオフィスとか、すっごく小さいんだけどビックリするギミックとか、ここぞというところの見せ場が楽しめる一本。逮捕されて以降、あちこち連れまわされるところは音楽がなく、ロボット署長がガムかなんか噛んでいる音だけが響く。これがかなり不快で、そこまで強調する必要があるのかと……。まあ、あれがあるから不気味ってことはあるんですけどね。ラスト、地球に戻るところでENDではなく、機械化・都市化されていく地球を前に、明日の天気を下駄で占うダンとソガの二人に安心する。『ウルトラマン』『ウルトラセブン』を見てきたけど、実相寺監督はラストの切れ味や描写が素晴らしい。特に『セブン』は尻切れトンボで終わってしまう話が多いから、最後までしっかり見せてくれる実相寺監督作品には、独自の見ごたえがあると思う。

 

 

 

【第44話】

「恐怖の超猿人」(宇宙猿人ゴーロン星人・猿人ゴリー登場)

 これは昔ビデオで持ってて、「セブンは怖い」という印象を持つようになった最大の原因。いや今見ると、「猿の惑星かよ」とか思っちゃうんですけど、猿人ゴリーが本当に怖かったんですよ。あと、セブンがゴーロン星人の催眠光波? みたいなものに苦しめられるシーンも怖かった。ゴーロン星人はまんまゴリラで、あんまり好きになれない造形。そのゴーロン星人に最初のうちは苦戦して、後半の盛り返しの手裏剣光線で憂さ晴らしをするようなセブンのモーションには笑ってしまう。ウルトラシリーズのトラウマ回の一つではあったわけだけど、非常に不穏な闇のシーンが多かったのも、怖く感じた理由の一つかもしれない。最後の戦いは夜明け後になって、森の中? のモンキーセンターのミニチュアをぶっ壊したりしていて、前半の立ち込める闇と、後半の抜けるような青空とが、良いギャップになっていたと思う。まあ、前2作がとんでもない傑作だから、印象が薄れるのは仕方がない。

 

 

 

【第45話】

「円盤が来た」(サイケ宇宙人ペロリンガ星人登場)

 サイケ宇宙人って……(笑)。確かに勢いのあるサイケデリックな見た目だし、言動も人を食ったようで今までにないキャラクターのペロリンガ星人。こいつがまさかのペガッサ星雲出身とは、宇宙は広いなあ。こんななりとフレンドリーなキャラで、普通に地球侵略を企てているあたり、怖いですね。しかもこの宇宙人、地球の童話に随分と堪能なようで、「狼小僧」作戦で挑んでくる(笑)。ストーリーはフクシン君を主軸として、彼の好きな「星を見る」ことから、トンデモない事件に巻き込まれていく。本格的な予算不足で、お椀のような宇宙船団の中で、早回し絵のセブンとペロリンガ星人の死闘が展開する。これがね、中々スタイリッシュというか、早回しのセブンのアクションが中々カッコいい。やっぱりセブンは格闘に映えるウルトラマンですね。

 

 

 

【第46話】

「ダン対セブンの決闘」(侵略宇宙人サロメ星人・ロボット超人にせウルトラセブン登場)

 にせセブンとアギラの、ウルトラファイト的な戦いは良かった。セブンを見失って、「どこいったんやろ」みたいに頬杖付いているアギラが可愛い。遂に地球侵略作戦のバリエーションも尽きたか、もう一人のセブンが最大の敵に。ウルトラマンにおいては、ザラブ星人の前哨戦でしかなかった「偽」が、今回は最大の目玉に。しかしラインビームと言い、決着の付け方と言い、イマイチパッとしない。やっぱり40話も過ぎると、けっこう厳しくなっていくなあという印象。画的な寂しさを第42話や43話はストーリーで補っていたけれど、40番台後半はそれも難しくなってきている。そうした「大人の事情」が如実に表れるところも、ウルトラセブンらしさなのかもしれない。

 

 

【第47話】

「あなたはだぁれ?」(集団宇宙人フック星人登場)

 非常にスケールの小さい作品というか、「円盤が来た」のように個人的視点で怪異を描いたエピソード。当たり前のように帰って来た団地で、自分の存在を誰も認知してくれないというのは、「世にも奇妙な物語」的な怖さのある設定で、中々面白い導入だし、地球侵略の前に「居住区」を作るというのもこれまでにないアイデア。セブンの宇宙人一、アクロバティックなフック星人との肉弾戦や、地下に隠された「本当の団地」など、それなりに見どころも用意されている。が、肝心のセブンとフック星人の戦いに、ウルトラマンならではの巨大感やダイナミックさが欠けており、勿体ない仕上がり。等身大のバトルに終始して、非日常のホラー感を出すなど、どっちかの方向に突きぬけていれば、「円盤が来た」と肩を並べる終盤期の異色作として、今よりは知名度が上がっていたかもしれない。

 

 

【第48話】

「史上最大の侵略 前編」(幽霊怪人ゴース星人・双頭怪獣パンドン登場)

 いよいよセブンの物語も大詰めに。感無量というかなんというか……。「史上最大の侵略」と銘打ってはいるけど、前編においてはまだ地味な印象の画作り。一方、ダンの個人的事情はヤバいを通り越してエグイ。前作では普通にフック星人と殴り合いしてたやん! とツッコミをいれるのも憚られるほどの不調っぷりで、ミスやらかしまくり。そんなダンを労わるソガ隊員のキャラクターや、そのシーンでコミカル調に流れるウルトラ警備隊のテーマが涙を誘う。次々と侵入してくる円盤や、ゴース星人によるアマギ隊員の拉致など、不気味な事前工作で、この後とんでもないことが起こりそうな予感。無人機かと思いきや、双頭怪獣パンドンの登場。しかしエメリウム光線は届かぬし、アイスラッガーも叩き落される。とにかくセブンがやばいということを痛烈に印象付ける戦闘。そこでセブンを援護するのがアンヌ隊員だというところがアツい。何とか勝てるには勝てたが、ダンがいよいよヤバくなった状態で、ついに最終話へと――。

 

 

【第49話】

「史上最大の侵略 後編」(幽霊怪人ゴース星人・双頭怪獣パンドン登場)

 何とか峠を越したセブン。しかし真実を打ち明けられないが故、ウルトラ警備隊という居場所さえ失ってしまう。孤独に戦うセブンの姿は、こういうところから印象付けられたものか。そんなダンに最後の手を差し伸べるのが、子どもと、常に傍にいたアンヌだというところが泣ける。ゴース星人がついに動き出した! というところで、「史上最大の侵略」開始。各都市の破壊は『世界大戦争』からの流用で、映画的なスペクタクルに満ちている。これ以上はないという地球の危機を前に、自らの命を捨てて立ち上がるウルトラセブン。もちろん、その前にあるアンヌとの別れのシーンは、ウルトラシリーズでも屈指のメロドラマに仕上がっている。『ウルトラマン』ではそれほど言及されていなかった男女の「想い」がここでは強く描かれることに。最後の最後でアンヌから聴けた、「人間であろうと宇宙人であろうと、ダンはダンに変わりない」という言葉、これまでに作り上げてきた第7話、第12話、第26話、第37話などを経て、ついにセブンの想いが結実した瞬間などだと思うと、それだけでグッと来るものがある。最後だから、ということで、ゴース星人の基地などはそれなりに凝った作り。最後、夜明け前のパンドンとの死闘は、ピアノの戦慄が狂おし気に奏でられる中で、終始不利な戦いが続く。その中で、ウルトラ警備隊の面々が「セブン」ではなく、「ダン」と呼びかけるところが良いし、パンドンに致命的な隙を作らせたのが、クラタ隊長の一撃というところも、キャラクターの関係をよく踏まえた上での流れ。戦いを終え、ふらつきながらも東の空に帰りゆくセブン。全49話を戦い抜いた「ウルトラ警備隊7番目の隊員」の全てを掛けた物語は、悲しくも美しい形で、幕を閉じることになった。

 

 

 

 

 ということで、全49話のざっくり感想でした。

 巷では、セブンこそウルトラシリーズの最高傑作と言われているし、セブン人気も凄いものがあります。僕自身、ウルトラセブンは大好きですし、ウルトラシリーズ屈指の話も多数あると思っています。

 ただ、『ウルトラマン』『ウルトラセブン』とそれほど間を置かずに観た時に、個人的に肌が合うというか、全ての話を「面白い!」と感じることができたのは、やはり『ウルトラマン』の方でした。この二つを比べる(ことがそもそも間違っているのかも知れませんが、それでもあえて比べるとした)時に、どうしても意識されてしまうのが、圧倒的予算不足。まず市街地での戦いが殆どないし、後半は殆どが荒野。話によっては、異形の宇宙人も怪獣も出てこない時さえある。中盤まで、明らかな引き延ばしをやっている話もあれば、いくら予算不足と言ってもこれは子供だましなのでは? という円盤さえ登場する。予算を湯水のごとく使って、とんでもないスケールのミニチュアを毎回ばんばかぶっ壊していた『ウルトラマン』に比べると、画面に寂しさを感じてしまうのは、これはもう仕方がないと思います。

 

 ただ、予算不足だったから画がしょぼくて『ウルトラマン』の方が好き、ってわけでは全然ないです。なぜって、僕の中で名作エピソードとして1,2を争うくらいに好きなのは、第37話「盗まれたウルトラアイ」だから。あれは正にストーリーの勝利であり、描写の勝利でした。そして『ウルトラマン』の全39話は、程度の差はあれ、画作りと同じくらい、そのストーリーや描写にも力を入れていたと思うんです。だからこそ僕は、『ウルトラマン』全39話の中に、以降のウルトラシリーズで語られていることの全てがあると信じている。セブンの話のいくつかは、『ウルトラマン』を遥かに凌ぐ深遠なテーマを語り、永遠に考えさせるような命題を叩きつけてきたりする、魅力的なものに仕上がっている。それが全49話全て――とは言わないが、予算不足をカバーできるほどに数多の話の中で見つけられていたら、本当に他のシリーズとは隔絶した、全編とんでもなくヤバいという永遠のマスターピースになったかもしれません。

 

 とはいえ、難しいテーマや永遠に考え続けなければならない課題なども丁寧に入れ込みつつ、全49話を走り抜けたウルトラセブン、やはり唯一無二の独自の魅力を持っていると思うし、「セブン」の世界だからこそ語ることができたものの輝きは、今後も永遠に色あせることがないと思う。55周年を迎えた今、改めて全てを見直しましたが、今後とも、ウルトラシリーズの傑作として、たくさんの人の心に感動や葛藤を与えていくに違いない。僕、そしてウルトラシリーズが大好きな僕の息子も、ことあるごとにお気に入りのエピソードを見返して、「セブン」ならではの世界の中で、色んなことに気づき、思いを巡らせていくのでしょう。