どれほどこの時を待ったことかーー。
って、長すぎるだろ(笑)
ようやっと公開された、『シン・ウルトラマン』。公開未定時期が異様に長くて、ほんとに辛かった。公開しないんじゃないの? って思ったり。一方、シンウル関係のおもちゃについては、マビマンから始まってアーツやら、マフェックスやらフィグゼロやら出て、うちにももう4体ですよ。あと、コトブキヤからシンウルのプラモが出るって話、どうなったの??
それはともかくとして、今日! 13日の金曜日(縁起悪し)! ついに公開した『シン・ウルトラマン』。こりゃ、公開当日に行かなきゃね、ってことで、早速行ってまいりました。
今回は『シン・ウルトラマン』のレビュー的なものを書くわけですが、公開初日ということもあるので、内容には踏み込まず、ネタバレも避けます。どちらかというと、公開を待っていた期間、僕らの中にあった色んな期待と、それが本編でどのようになっていたかを、僕なり視点で紹介したいと思います。
1.『シン・ゴジラ』と比較した時の、『シン・ウルトラマン』への期待。
2016年公開の『シン・ゴジラ』から話を進めていきましょう。このブログのシンウル関係の記事でも度々書いていますが、シンゴジ公開前、情報はかなり制限されていたと思います。
キービジュアルとなるゴジラ第4形態(鎌倉さん)の公開は早かったし、鎌倉さんと自衛隊が市街地戦をするシーンや、火の海の中を悠然と歩く鎌倉さんなど、印象深いショットも、いくつかは公開されました。キャストが矢継ぎ早に映る表現も、シンゴジとシンウルの予告編で共通した特徴でした。ただ、それ以外の要素は、本編を見るまでは殆ど分からなかった。
その点において、シンウルとシンゴジは共通していますが、1つ、大きな相違点もあります。それは、『ゴジラ』が1話完結の映画であるのに対して、『ウルトラマン』は、ラジオドラマ色の強い、テレビ番組だと言うことです。
1954年版『ゴジラ』を見たことがなくても、どんな話なのかは、大体想像がつきます。
ゴジラが現れる→街が壊れる→戦う→どうにかなる
この根本を揺るがせず、それぞれの要素において、登場人物の人間ドラマが挟み込まれる形となります。だから、『シン・ゴジラ』がどんな話かっていうのを、ハイコンセプトで言い表すならば、
ゴジラが出てきてえらいこっちゃ
となります。この大筋は、普通に予想できるものです。
ところが、一方、『シン・ウルトラマン』の場合は、その予想がなかなか難しい。かつ、それを予想する楽しみがあります。Youtubeで、いくつもの解釈・予想動画が上がっていますが、みんな、予告編や特報の細部から、なんとか手がかりを掴もうと躍起になっています。
ウルトラマンにおいても、怪獣が出てきてウルトラマンと対峙するという点それ一つをハイコンセプトとすれば、ゴジラ同様に揺るがないものがありますが、ウルトラマンの場合には、それに付随しているドラマも、同じくらいの密度を持っています。そして、そのドラマが、いま見返しても驚くくらい、多彩に富んでいるのです。
1954年版『ゴジラ』における人間ドラマの主軸は、2人の科学者がそれぞれに持つ葛藤でした。山根博士と芹沢博士。片方はゴジラを殺すことしか考えない人間を嘆き、片方は人間そのものを信じない。それぞれに人間社会から外れて、むしろゴジラに近しいものを感じる2人を中心に物語は進みます。それ以外の人間はーー若き2人のロマンスなどはありますがーー、ゴジラによる東京蹂躙――地獄絵図の引き立て役に徹している。だからこそ、『ゴジラ』では、その足元で死んでいく人々一人一人を容赦なく、克明に写す。
一方のウルトラマンは、子供たちがお茶の間で楽しむことを優先して、怪獣被害についてはそこまで触れられない。代わりに、ウルトラマンを取り巻く、科学特捜隊一人一人のドラマが充実している。主人公のウルトラマン=ハヤタは狂言回しに徹し、ドラマの中心となるのは、イデ隊員やアキコ隊員やアラシ隊員やホシノ君。彼らの視点からも描かれるドラマが、よりいっそう多彩さを帯び、結果として、『ウルトラマン』の段階で、すでに全てがあった。
知的宇宙人とのファースト・コンタクトを描く『侵略者を撃て』『遊星から来た兄弟』『禁じられた言葉』
ホラーテイストを前面に押し出して、良い子のトラウマとなった『ミロガンタの秘密』『ミイラの叫び』
コメディ要素が強く、みんなで楽しく見れる『宇宙から来た暴れん坊』『空の贈り物』『無限へのパスポート』
むしろ大人の心にずしんと来る悲痛なテーマを描く『故郷は地球』『まぼろしの雪山』『恐怖のルート87』
ウルトラマンが必ずしも正義のヒーローとして扱われない『恐怖の宇宙線』
正義のヒーローチームの是非を問う『小さな英雄』『撃つな、アラシ!』『オイルSOS』
それぞれのストーリーが独立して、とにかく面白い。毎回、全然違った味わいがある。
だからこそ、『シン・ウルトラマン』という形で、これら独特な39話を、どのように纏めるかということについては、非常に興味深いものがあると思っていました。
ただの物語の羅列だけならば、面白くない。
それぞれの物語の良いところを抽出しつつ、ストーリーに連続性があって、それぞれ伏線的、多重的に呼応しなければならない。
予告編の段階で、『遊星から来た兄弟』と『禁じられた言葉』をやるのは分かっている。でも他は? ポスターのゾフィーの言葉が本編でも出てくるならば、『さらばウルトラマン』もやるだろうし、ウルトラマンとのファースト・コンタクトから始めるならば、『ウルトラ作戦第一号』の立場はどうなるんだろう? ネロンガや、ガボラの登場もわかっているんだから、『科学特捜隊出動せよ』『電光石火作戦』もやるんだろうか。それぞれ30分弱の独立した物語であり、舞台も全然違う。それを2時間の映画の中で、どうやって落とし込むのだろう――。僕が一番気になっていたのは、そこだったんです。
で、観てきたわけですが。
ネタバレを避けるために、あまり深くは言えませんが。
とにかく、序盤です。
序盤の楽しさ。
個人的には、ストーリーに入る前。そこで、まずアガります。
同時に、非常に重要なものでもあります。この『シン・ウルトラマン』が、どのような位置づけの映画であるか、一瞬で分かるからです。この小粋な演出――そこで一気に持っていかれました。
以降、ストーリーが始まりますが、本編自体は、『シン・ゴジラ』の雰囲気と共通したものも多く持ちます。すなわち、せりふによる情報量の多さと、「もし実際にウルトラマンが地球に現れたら……」というシュミレーション、およびその中で浮かび上がる、現実の世界への問題意識。作風や色合いが非常によく似ているので、「シン」シリーズのテイストと言っても良いものなのでしょうね。
どのストーリーが含まれているかについては、ここでは取り上げません。僕の期待に対してどうだったかという点のみに絞ると、僕が期待したような多彩さが売りではなかったです。ただ、やりたいことは分かるし、そのやりたいことに対しての堅実な話選びだったとは思います。同時に、その「やりたいこと」は、ウルトラシリーズ全体に通底する「そもそも論」でもあるわけで、それを「シン」という独特な世界の中でやってのけた、一種の「戦略」は非常に興味深いと思いました。
ということで、ストーリーについては、僕の予想や期待とはまた違ったところで、独自の面白さが出ていたと思います。
長くなりましたので、2つめの期待と結果については、記事を変えて書きたいと思います。