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いつもご訪問ありがとうございます^^

 

少し時間が空いてしまいましたが、

仏教のお話し  のつづき

 

先日、

大学の時の仏教学の教授(並川先生)が

行われた東京での講演会に

行って来ました。

 

「お釈迦様」の画像検索結果

 

先生のお話を忘備録の為に

書き留めておきます。

 

(書くと言ったものの、先生が伝えようと

されていた事を、私がちゃんとキャッチして

言葉に出来るか心配あせる

 

きっと仏教に興味のない方には

面白くもなんともない内容だと

思うのでスルーしてくださいね。

 

そして、単に並川先生のファンで

「聞いた話を書き留めておきたい~」

と書いているだけで、私自身は

仏教の事に詳しい訳ではないので、

細かな事はご容赦くださいね~)

 

 

 

仏教の開祖

お釈迦様=ゴータマブッダ

は沢山の言葉を残されているそうですが、

 

並川先生が仰るには

その中でも仏教の根本的立場を表している

のが、弟子からの質問に答えた下記の文。

 

「メッタグーよ(弟子の名前)

伝承によるのもではない。

目の当たりにできるこの世において

正しい考えをあなたに説き明かそう。

その教えをよく知って、(自分の存在を)

あるがままに正しく自覚して修行し続けて

いればこの世のものへの執着を乗り越え

られよう。」

 

という所なのだそう。

 

もう少し簡単に言うと…

 

「過去の知識にこだわることなく

教えをよく知って、常に己という

存在をみつめ、あるがままに正しく自覚し

一人一人に即した、その人にふさわしい

正しい行いを日々実践し続けていれば、 

この世の苦しみの元になる執着を乗り越え

られるだろう。」

 

という事らしいです。

 

 

世界中には沢山の宗教が

あります。

 

でもそれらの宗教と仏教には

大きな違いがあって、

それは何かというと、

 

仏教は「唯一絶対の神

(=唯一絶対の教え)

 

というものを持たない事。

 

お寺にいったら仏像があって

みんな手を合わせて拝むので

私たちは無意識にお釈迦様をそういう存在

だと思っているんじゃないかと

思いますが、(私もそう思ってました。)

 

実はそれはお釈迦様の教え

(=仏教のスタンス)ではないようです。

 

 

お釈迦様は人間として実在された方。

 

インドでは輪廻転生の思想があって、

人は死後また生まれ変わり

それを繰り返すという考えがあります。

 

当時インドは貧富の差が

激しくて、下級階級の人々は

毎日苦しい生活を送っていました。

 

なので、そういった人たちは

輪廻転生の中、

永遠に負のループから

抜け出せず、転生する事は

苦しみだと考えられていました。

 

そのループから抜け出せる

【=解脱(げだつ)できる】のは

上流階級のバラモンだけだと

考えられていたようです。

 

ブッダは自らの体験を通して

苦しみから抜け出す方法を体得して

悟りの境地に至りました。

 

そして苦しむ人々を導き

仏教の開祖となりました。

 

 

ですが

並川先生は

 

「ブッダは仏教の開祖ではあるが、

その存在すら仏教の歴史の一局面

と理解すべきで、彼を原理的な存在者と

みれば、仏教の本質を見失う。」

 

そして、

 

「彼の教えすら、普遍なものではないことを

仏教の歴史は端的に物語っている。」

 

とおっしゃっていました。

 

 

つまり開祖であるゴータマブッダの世界が

継承されて行ったのは、

多くの偉大な仏教者たちがブッダの教えを

継承しつつも、彼を絶対者とすることなく、

自分自身の宗教体験に基づいて、

それぞれの立場でその時代と地域に生きた

人々にふさわしい形に変容させ、

常に新しい仏教を開花させて来たからこそ

生き続けて来たという事なんだそうです。

 

仏教には沢山の宗派があります。

 

その宗祖たちが展開させていったものも

その時代の人たちを救い導くために何か

一つの教えを核として、自らの宗教体験を

元に打ち出されたオリジナルのもので

単なるブッダの写しではないんですね。

 

中国の文献にも

「たとえ、ブッダであろうとも、

宗祖であろうとも

それを絶対視することなく、

それを否定し超えるところに仏教の本来的

意義がある」

 

といった事が説かれたものがあるそうですが

 

そういう在り方こそが、仏教なんだそうです。

 

 

そして、偉大な仏教者の定義は

 

①人間の理想的境地に至った人物

(=苦から解放され真の自由を体得した

人物)

 

②生きた時代と地域で苦しむ人々の要請に

呼応しつつ、新しい価値観によって時代を

蘇生し、人々に新しい座標軸を示した人物

 

③方法や手段に違いはあっても、

人々を分け隔てなく導き救済した人物

 

とのこと。

 

 

そして今回の仏教のテーマは

 

image

 

「今仏教が問われていること」

 

というものだったのですが、

 

長くなったので

 

またつづきにしますね。

 

 

長文お読み頂きありがとうございます。

 

 

※文中の言葉は並川先生の講義で配布された資料から

引用&参考にさせて頂いています。