仏教のお話し③ | レンタルスペースOWL 【JR線・東武線・京成線「船橋駅」より徒歩7分】 〔防音機能付き鏡張り〕
奈保美です!
いつもご訪問ありがとうございます^ ^
(かなりゆっくりの更新になって
いますが

)
大学時代に講義を受けていた仏教学の
並川先生の、東京での学外講演会に
参加して、そこでお聞きしたお話しを
忘備録的に書き留めている
(かなりマニアックな)シリーズです。
仏教のお話し②では
(講義の説明の所にも書かれている↑)
ゴータマブッダ(釈尊)に始まり2500年もの
長き歴史を歩んだ仏教は、
常に時代と地域に生きた人々の苦悩に
向き合い、それに呼応すべく仏教者は
宗教体験を通して苦悩からの脱却や救済の
方法などの教えを創出し、変貌を遂げながら
新たな仏教を開花させてきました。
の部分について書かせて頂きました。
今日は後半部分の
では「今」と「日本」に生きる我々に
ふさわしい教えを、現代の仏教は開示し
えているのでしょうか。
現代仏教の意義について考えてみたいと
思います。
という所を書きたいと思います。
今回の講演会のテーマも
「いま、仏教が問われていること」
ここからが先生が
今回一番伝えられたかった部分です^^
現代というこの時代、日本というこの
地域に生きる人々が求めているのは何か?
人々が抱える苦しみは何であり、
それにふさわしい教えは何か?
現代社会に生きる人々の切実な声に
耳を傾け、
人々が求めている事に向かい合い、
解決の為に積極的に関わる事。
それが今現代を生きる仏教者の
義務であり、それが為されていることが
仏教者であることの証明ともなる。
とのこと。
そして今を生きる人々(日本)の
固有性(強み)を最大限に活かす
仏教が出現することが、
ある意味仏教たりうるもの
なんだと仰っていました。
過去の歴史を大切な遺産としている
だけのもの、寺院という器や内実を
伴わない形式だけのものは
「息づいた仏教では」ではないと
いうことです。
では現代の仏教は
「息づいた仏教」なのか?
というと、
残念ながら仏教というための
条件を満たしてはいないようです。
(勿論素晴らしい仏教者の方は
沢山いらっしゃいますよ~)
何故なら
危機的状況にあるという自覚と
日本の現状にふさわしい仏教が
何なのかという深い自覚が欠落
しているから。
現実を直視して既存の体制に対して
立ち向かったり使命感を持って真摯な
対応をしたり。
それをすることなく
自分自身で何も実感することなく、
ただ既存の教えを守って伝え、
形だけの状況に甘んじている。
というのが現状のようです。
お正月になったら、初詣、
(これは神社の方ですが)に行って
誰かが亡くなったらお葬式出して、
お坊さん呼んで法事して。
私たちの周りには身近に宗教が
ありますが、でもどちらかと言うと、
商業的になっていたり、単なる儀式的な
ものになっていたり。
仏教者側も受ける私たちもそこに
特別違和感を感じることなく、
もうそういうものだと当たり前に
受け入れている所があるように思います。
母が亡くなってから我が家の法事をずっと
担当してくださっていたお坊さん、
毎回誠実に対応してくださって、
仏教の有難いお話も聞かせて頂いて
とても真面目な良いかたでした。
でも実体験に基づいたお話かというと、
ちょっと違っているようで^^;
正直、お経も法話もあんまり心には響いて
なんせそのお坊さん、本職は郵便局員で
住職はアルバイトだったのでね(笑)
本職は別と聞いた時は結構ビックリ
しました。
お坊さんってそんなアルバイト感覚で
出来るもんなんだ~って。
でも実際そういう現状があるんですね。
私の姉が昔「大徳寺」という有名な
京都の寺院でバイトをしていた事が
あるんですが、母が亡くなった時に、
お葬式にわざわざ家まで駆けつけて
お経をあげてくださったんです。
(既に郵便局員のお坊さんのお経が
終わった後でしたが)
とても格の高いお坊さんでね。
オーラが全然違いました。
大徳寺のお坊さんが入って来られた
瞬間、場の空気がパッと変わるのを
感じたのを今でもよく覚えています。
お経も、全然違う。
お経の事、良く知らないので
内容は分からなかったですが、
魂が込もっていて、聴いているだけで
胸に響いてきて涙が溢れました。
(後で「郵便局のお坊さんと
全然違うやん~」ってみんなに
比べられて、バイトのお坊さん
ちょっと気の毒でしたけどね^^;)
きっとそんな簡単にパッと来て頂ける
ような方ではないのですが、
わざわざ時間を縫って来てくださった事
にもとても感動しました。
滞在されていたのはたった15分程度
だったと思うのですが、未だに
こうやって強く印象に残っている位、
感じるものが沢山ありました。
徳の高いお坊さんというのは、
在り方がやっぱり違うのかも
しれませんね。
並川先生は
現代の日本の宗教は宗派宗教と言って
よいが、時代性を反映することなく、
まるで組織を保持する事が目的化したかの
ように存在し続け、それによって排他的な
状況を生むことになれば、その宗教は間違い
なく宗祖の意思に反している
と仰っていました。
ただ単に信仰しているだけの状態は
一神教になってしまっている状態で
仏教ではないということです。
沢山の宗教がある中で、仏教だけが持つ
素晴らしい特色は
一神教ではない
(=絶対的な神を持たない)
ということ。
つまり絶対的なもの持たないので、
他の考えを否定することがないん
ですね。
絶対的なものを持つと、それこそが
(自分の神こそが)絶対で正しい。
となり信仰心が深まれば深まるほど
それ以外を否定し、自分と考え
(信仰)の違う人達と争うことになる。
歴史的な宗教戦争も人々を救済すべき
宗教が原因となって多くの悲劇を
生みました。
今の日本の仏教の在り方もその目的が
組織の保持になってしまって、
排他的な状況を生めば、
それは宗祖の意思とは
違う方向に向かっていってしまうと
いうことなんですね。
でも停滞した日本仏教の現状とは
反対に、現状社会において、
仏教の存在意義は日本だけでなく
世界にとってもとても大きい
そうです。
それは仏教が人の在り方を問うた
宗教だから。
仏教の大学なので、そういう精神を
もった「人材の養成」が私たち
(先生たち)の使命だと最後は
仰っていました。
個人的には、
仏教は今停滞の状況だとしても、
仏教者という枠を超えて、
(たとえ仏教の教えを知らずとも)
仏教の在り方
(過去の知識にこだわることなく、
常に自分という存在をみつめ、
自分にふさわしい行いを日々実践し、
苦しみから解放され、
時代や地域にあったやり方で
人々を導き救済する。)
で生き、人と関わっていらっしゃる
方って世の中にいっぱいいらっしゃる
なぁ~と思います。
形や、やり方は色々だけど。
(TVに出て来るような有名な方から
アメブロのブロガーさんにも)
だから仏教的精神はちゃんと
息づいているんじゃないかな~
なんて思います。
最初は備忘録的に書き留めておこうと
何気に書き始めたシリーズでしたが、
書き始めたら、私自身、ちゃんと
先生の言葉を理解して書けているのか?
とか色々考えて、思った以上に時間が
掛かってしまいました。
ちゃんと書き留められたかは
分かりませんが
でも書く事で、
更に理解が深まって、自分自身を
みつめるきっかけにもなった
ような気がします。
色々不備もあったかもしれませんが
長くてマニアックなシリーズに
お付き合いくださり
本当にありがとうございました!
※文中の言葉は並川先生の講義で配布された資料から
引用&参考にさせて頂いています。

