父の話② | レンタルスペースOWL  【JR線・東武線・京成線「船橋駅」より徒歩7分】  〔防音機能付き鏡張り〕 

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テーマ:
奈保美です。

いつもご訪問ありがとうございます^ ^


いよいよ大晦日。
平成最後の年越しですね。

夜に父が用意してくれた
年越しソバを食べて、
ゆっくり紅白を観ています。



父の話の続きです。



家庭の金銭的事情で
高校入学後、僅か3カ月ちょっとで
退学を余儀なくされた父


その後、小さな整備屋さんで
住み込みで働く事になります。

いわゆる口減らし的な
感じで出されたようです。


休みはたったの月2回。


住み込みで食事が出たのも
ありますが、それだけ働いても
初任給は今の金額でいうと、

2万円位だったそう。

(パートかいな!と思わず
突っ込んでしまった。)


住み込みで働いていた
のは父だけだったようですが、

その整備屋さんには
子どもが三人居て、

一番上の女の子に
ちょっとした

いけず(いじめのような感じ)
されていたそうです。


女の子は父より
年下だったんですけどね。


女の子から見たら、
父の元で働く従業員。
自分にとっても手下みたいに
思っていたようです。


食事は家族の中で一緒に
食べるのですが、
17歳くらいだった父は
食べ盛りの時期。

ごはん1、2杯では足りなくて、
3杯目をおかわりした時、

その夜

布団を敷こうとしたら、
メモが出て来て、

そこには

「住み込みやのに、
3杯もおかわりって、
厚かましいんちゃう?」

と、書かれていたそう。



こ、怖すぎる!滝汗


まだ直接言われる方が
マシです💦

(まあ、それも嫌やけどドクロ


針のむしろのような状態の中、
楽しみと言えば、


近所の看板屋さん
(当時の映画の看板を作っていた所)
のおじさんが時々くれた
映画のチケットで映画を観る事。

(当時は近くに小さな映画館が
沢山あったみたい。)

後はお給料でハーモニカを
買って、ベランダで星を観ながら
ハーモニカを吹く事。
(家の中だと音がうるさいから)

後は近所のお兄さんから借りた
ギターを弾いたり

本を読んだりしてたみたいです。


この辺の話は
凄く意外な感じがしました。


父と芸術とか文化的な事って、
あんまり私の中では
イメージがなかったから。

そんな一面があったなんて。


でもそう言えば、
昔父の部屋にギターが
あって、時々

「禁じられた遊び」

とか弾いていたなぁ。


そんな日々を2年半位過ごした頃、


(取引先だったかな?)
同じく整備関係の会社の方が、

父の仕事ぶりを見てくださって
いたようで、

「うちに来ない?」

と声を掛けられ、
そちらの会社に転職します。


それでようやく
住み込みから解放されて
実家に戻る事が出来、
当時京都の街を走っていた
市電で新たな職場に通う事になって、
随分気持ちが楽になったようです。


新たな会社では
整備士の資格を取ったり、
運転免許を取ったり。


そこで2年くらい勤めた時

通勤途中の市電の中で、
たまたま職員募集の吊り広告が
出てるのを目にします。


書かれてる待遇の良さに惹かれて、
父は試験を受ける事にしました。


父って、理数系で、
数字に凄く強いのですが、

今だにその時の受験番号を覚えていて、
ビックリしました。

父の番号は

「644」


少なくとも644人の応募が
あったということですが、

募集人数はたったの30人


でも、父は二度目の職場で
取っていた整備士の免許や
運転免許が有利に働いた事も
あってか、見事合格!


それを機に交通局に入って、
市電の運転手をしたり、
市電が無くなってからは
バスの運転手をしたり、

色んな部署を経験し、
定年まで勤めあげました。



何年か前にね、
とあるイベントに参加した時、

自分の両親やおじいちゃんおばあちゃんから
どんな事を受け継いでいるか?

という事を考えるワークが
あったんです。


その時どんな事を書いたか
はっきりは覚えてないけど、

母の実家は農家なので、
自然の中で育まれた感受性の
ようなものとか、
慈しみの心とか、優しさとか
奉仕的精神とか、我慢強さとか。

確かそんな事をイメージしたかな。


でも父の方はあまりイメージが
湧かなくて、

父側の親戚は割と賑やかで明るい感じなので、

自分の中にある陽の部分は
父側から受け継いだのかなぁ

位にしか思ってなかったけど、

苦しい状況の中、
何も無い所から、自分で自分の道を
切り開いていった父の話を
聞いていたら、

もしかしたら、
私にも少しはそういう遺伝子が
受け継がれているのかなぁと

改めて自分のルーツに
思いを馳せる事が出来て、

自分の力と自信となったような
気がします。


2018年は
自分の人生の中でももしかして一番?

って言うくらい、私の中では
苦しい一年だったけど、

父や母から受け継いだ
ギフトをしっかり活かして、

2019年、

またあら新た気持ちで
進んで行きたいなぁと
思います。

私的な話を読んでくださり
ありがとうございました!


そして今年も繋がってくださった
皆さまありがとうございました!


2019年も宜しくお願いいたします音譜


良いお年を!





























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