外の誰かが好きでも嫌いでも、心の愛は自分の体に向ける。


大人になってからというか、ここ最近(数年)は特になんだけど、まず前は領域侵犯されてるという認識や、エナジーバンパイア的なこちらの気力を奪われるという意識がなかったため、または単純にそういう意味での『気が合わない』だけだったのかもしれないが、領域侵犯する人(集団でいると最初はそれが誰なのかすらよくわからないが)といるとものすごい体調不良になるようになった。症状でいうと、頭痛、吐き気、ひどい時は発熱、全身の体のだるさ。集団といってもまだ少人数、もしくは仕事等の限られた場なら、場に合わない人がいると判断してそこを辞めるか去るか抜けるか。という選択肢もあるが、それだとどこに行っても、たまたま領域侵犯しない人ばかりの場ならいいが、また領域侵犯する人が現れる度にひどい体調不良でその場を辞めるか去るか抜けるかしかなくなる


では、どうすればいいのか?まず、体調不良は全て『領域侵犯されて(そのままにして)ますよ』のシグナルで、領域侵犯に気付かせるための警戒アラート。

領域侵犯は『 心をこっちに向けてよ!』と物理的心理的に強要支配コントロールを向けられてる状態。


はい、領域侵犯に気付きました。私の経験上、多いのは『物理的に接近して視界に入ってくる』

『大きな声や音を発して話を聞かせようとする』


そうやって、『心をこっちに向けてよ!』と領域侵犯してるわけですね。


それに気付いたらまず心の愛を自分の体に向けて、

『今、何が不快?』『どうしたら快になる?』『どうしたい?』と聞いてあげる。それだけで心の愛は自分の体に向けられるから、心の不快は落ち着く。


全て心の不快は心を自分以外の外に向ける事で起こるから、心の愛を自分の体に向け直せば心の不快はなくす事ができる。


で、領域侵犯されて心を向けてあげたい時は、どうするかだよね。


まず、いつ何時も、心の愛は自分の体に向けておく。その時に、『何が不快?』と問い合わせしても『何も不快はないよ~今のままで何も変えなくていいよ~』と返事が返ってくる場合には何をしても自由。


なんだが、領域侵犯されて嫌じゃなくても外の誰かに気をとられたら自分はさみしくなり何か不機嫌になりだす。


領域侵犯されて嫌じゃない時はおそらく『誰かの役に立って嬉しい』とか『誰かに好かれて気にいられて嬉しい』とか親切サービス、相手に心を向けた報酬(人に感謝され喜ばれる事)が得られて嬉しいというのがやはりあるのだ。


これはさっきの、体調不良になるほど嫌な人と何がどう違って嬉しいのだろうという気はするが、おそらく領域侵犯を単なる『悪い態度』で出すと嫌われる事を学習した人達が、あくまで根本は領域侵犯であり『心を向けてもらう事』が目的なんだけどそれなしでは生きていけないと思ってるからペットショップで買われるのを待ってるペットのように、飼い主に気に入られて生きていく事を生業にしてしまってるんだよね。生業といっても職業じゃなくて生きていく道、意識的な生存戦略としてね。これだと飼い主に失礼な態度は取れない、けれど徹底的に、飼い主に好かれ好まれ気に入られ買われるような態度を取る事で領域侵犯、つまり心をこっちに向けてよ!とやはりこれもコマーシャルや、くしゃみを出させるためのこよりアピールなんだよね。


ただ、これがさ、本心から意識的にやってるんならまた別でさ。


一番大事なのは、それなしでも今、生きてるって事でね。野生動物なら、人間にアピールして買ってもらわなくても、つまりそれなしでも今生きてるよね。だから必死に積み上げてきた、自分が好かれ気に入られるための、生存戦略としての親切サービスや好意アピールみたいなのは、それで領域侵犯して死活問題だと思ってたけど、実はなくても生きていけるものだったと


もちろん人に好かれたいし気に入られたいし、できたら買われたいとかね、人間でもあるかもしれない。単純に心を向けてもらえたら嬉しいし。だから心を向けてますよサービスは市場で需要もあるんだろうし。


でね、一番大事なのは、『心の愛を向ける』事は自分で出来るよ、心を向けてもらえたら嬉しいのは、自分の体に宿った心の愛を、自分の体に向けてもらえるのが一番嬉しいんだよ、って。


まずここに、立ち戻るんだよ。というか大事な事はただそれだけ。


今まで一生懸命、外の誰かに向けて心をこっちに向けてよ!って領域侵犯してた生存戦略を、自分に向けて直すだけ。


言い換えると、心の愛を自分の体に向けて、

『自分の体の役に立って嬉しい』

『自分の体に好かれて気に入られて嬉しい』

『自分の体に喜ばれて感謝されて嬉しい』

これが、心の愛を自分の体に向けた一番の報酬なわけ。


ここの根本をいつまでもわかってなくて心の愛を自分の体に向ける事が抜け落ちてるからいつまでたっても心を外に向けて外の誰かから心を向けてもらおうと領域侵犯して、なるべく万人に嫌われない他人ウケする外向きサービスや、コマーシャルや好意アピールして、心を向けてもらう事を生存戦略にしてしまってるのね。


つまり、悪い態度をとってあっけなく嫌われてなかなか心を向けてもらえない領域侵犯タイプよりも、何としてでも嫌われないように飼い主に買われるための生存戦略を立ててきたこよりアピールの領域侵犯タイプの方が、思ったより根は深いのかもしれない。


ま、とにかく外の誰かに好かれたい気に入られたい心を向けてほしい、この気持ちは全部、心の愛を自分の体に向けて叶えて満たす。誰かの役に立って好かれて気に入られて喜ばれて感謝されて嬉しい、これも心の愛を自分の体に向けて叶えて満たす。


あんなに必死に、生存戦略として打ち立てて、それなしでは生きていけないと思って依存行為を続けていたのが、もうそれなしでも自分だけで今、生きてるから領域侵犯しなくてよくなる


つまり、領域侵犯されて飼い主の側に廻ってたとしても、それをいったん外の誰かに気をとられたのに気付いたなら心の愛を自分の体に向け直す、いつも向けておく事が大事でね。


つまり、領域侵犯にのってくれないとわかったら、今までは領域侵犯して気をひくだけだったのが、目の前で心の愛を自分の体に向ける事に集中してる人がいたら、気をひくよりも心の愛を向けるしか、コミュニケーション手段がなくなるのよね。


人間界で見捨てられた動物が、人間に接した時に悪い態度をとってしまうか、気に入られようと徹底的に良い態度をとるかの二択みたいな。


でも、人間に拾ってもらわなくても、元々野生動物みたいに自分だけで今生きてる事に気付いたら、領域侵犯はしなくてよくなるんだよ。


もちろんいきなり領域侵犯やめたら誰にも好かれず拾われず見向きもされないかも!って思うかもだけど、


外の誰かが誰も見向きもしてくれなくても、心の愛を自分の体に向けて、自分だけは心の愛を自分の体に向けて自分に注目していれば、それでいいんだよ。