私、実は一度、目の前で虐待を見たことがあります。

 

 

 それは私が、全くの無経験から介護の仕事を始めてすぐの頃。介助のやり方を先輩スタッフに見せてもらっていた時のことです。若い男性スタッフがその先輩。重度の認知症で、もうほとんどコミュニケーションをとることもできない利用者さんを、トイレ誘導していました。

 

 トイレに座らせたその男性スタッフ、おもむろに、利用者さんの下腹部を拳で力いっぱい押したのです。それと同時に、素っ頓狂な声が利用者さんの口から発せられました。その声がなんだかおもしろくて、ついつい私は笑ってしまいました。

 

 

 ……後々考えたら、これは吐き気がするほど、ひどい話です。あまりの自己嫌悪に、今でも忘れることができずにいます。

 

 でもその瞬間は、私はそのひどさに全く気付いていませんでした。男性スタッフが「この利用者さんは下腹部を押した方が尿が出るから。」と説明した上で行った行為だったからです。

 そして、その利用者さんとほとんど初対面だった私は、発せられた声が、『痛い!』という苦痛の叫び声だと、すぐには気付けなかったのです。

 

 

 実はこの下腹部を押すという行為自体は、虐待の定義に入ることではありません。“手圧排尿法”などと言う名前が付けられた、排尿を促すための行為であり、今でも実際に行われているかもしれない行為です。

 

 しかし、優しくゆっくりと下腹部を圧迫するのではなく、力いっぱい拳で圧迫するのは、いかがでしょう。『痛い!やめて!』と泣き叫ぶ利用者さんを尻目に行うのは、虐待以外のなにものでもないのではないでしょうか。

 

 

 新人の私にそれを見せた男性スタッフは、虐待をするつもりなど欠片もなかったのではないかと思います。

 ただ、彼はきっと知らなかったのです。その行為は、やり方によっては危険だとされていることで、そして彼のやり方は間違っていることを。強い痛みを訴えて嫌がる方に、無理やりでも行うような行為ではないことを。排尿が困難なのであれば、まず専門医に相談するべきだという当たり前なことを……。

 

 

 

 

 

 

 

 施設に預けた要介護者の体に内出血(あざ)を見つけ、『虐待された!』と訴えるご家族さんがいます。もちろん、本当に虐待だった可能性も残念ながらないとは言えません。しかしそうでないケースも充分に考えられるのです。

 

 少しでも介護を知っている方や、ちゃんと高齢者に目を向けている方には常識だと思うのですが、高齢者の方の皮膚は非常に弱く、人によっては軽く圧迫するだけで内出血ができ、また皮膚が裂けて表皮剥離を起こしてしまう場合があります。

 

 

 これは実際にあった聞いた話ですが、ショートステイで施設を利用された後に、ご家族さんが内出血を見つけて怒鳴り込んできたことがあったとのこと。

 しかし対応したスタッフ数名に確認すると、暴れて転倒しそうになった利用者さんを咄嗟に支え、その時強めに掴んでしまったところがあざになったことがわかりました。

 

 暴行をしようとしたのはむしろ利用者さん。そのご家族さんはあまり介護に関わっていなかった様で、知らなかったのです。とても簡単なことであざができてしまう体の状態であることも、暴力行為の現状も。

 

 もしこの方が直接怒鳴り込むタイプではなく、SNSにつぶやいて憂さを晴らすタイプだったら?もしかしたらその施設は、虐待をしたと全国の人に誤解を受け、廃業に追い込まれていたかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 一体、なにが虐待で、なにが虐待でないのか?

 

 

 

 

 虐待の定義は示されているとは言え、やはり、その線引きは非常に難しいものだと思います。

 

 難しいからこそ、まずはしっかりと状態を知り、知識を得ること。そしてご本人の立場で考えることが重要なのではないでしょうか。