絶対的に無理があり、非現実的な妄想を言ってしまいますが……。

 

 

 介護を“義務教育”として、国民全員(特別な理由がない人を除く)が学ぶ制度ってあったらいいなと思うんです。

 学ぶのは学生時代じゃありません。30歳~40歳の間くらいで、その期間内いつでもいいから、介護の施設で実際に1~3ヶ月ほど働くんですよ。

 

 我ながら、言っててすごい無理があるなーとは思うんですが、でも韓国の徴兵制度(男性全員が1年半ほど兵役させられるやつ)考えたら、この程度のこと、頑張ればやれそうな気もする……。

 

 

 

 なんでそんな突拍子もないようなことを言ってしまったかと言うと、それほどまでに、介護の経験は、誰もがするべきだと思うからです。スキルを身に付けるというだけでなく、人として絶対に体験した方が良いと思うからです。(具体的な理由は次回、介護職の魅力についてお話します。)

 

 でもその必要性って、特に若いうちにはなかなか気付けないもの。そして必要と思ったとしても、なかなか簡単に学ぶことはできません。大事なのは、テキスト上で学ぶ座学ではなく、あくまで実習ですから。

 

 

 

 私、昔から“認知症”という病気があることは知っていました。でも初めて実際に認知症の方に関わった時、本っっ当に衝撃を受けたんですよね。あれはまだ20代前半の頃でしたが。

 

 “過去の記憶がなくなる”“新しいことも覚えられない”というものだと思ってたのに、初めて見たその方は、服の着方も忘れていて。食事の時に、スプーンを上下逆に持ち、あれ?すくえない。すくえない。と延々と繰り返していました。

 そんな、人として当たり前に何十年もやっていた動作すら、できなくなるなんて。本当に愕然としたんです。

 

 介護を知っている人にはこんなことは常識。でも、私が実際知らなかったように、案外知らない人ってとても多いと思うんですよ。

 近年は認知症がテレビドラマなどでも描かれることもだいぶ増えましたが、認知症の本当の現実なんて一切描いてくれませんし。第一、テレビ離れが激しいこの世の中。見るべき人はきっと見ません。

 

 

 

 なんでも自由に選択できることの弊害 って、そのうち顕著に出てくるんじゃないかと思います。

 

 毎日電車に乗って周りを見て、ほとんどの人がスマホを見ている光景にぞっとしますもん。自分が見たいものしか見ず、移動中すらスマホに釘付け。耳もイヤホンで塞ぎ、外界を完全に遮断する始末。


 家に1台しかないテレビ。親に合わせて、見たくもないニュースを見、見たくもない番組も見て、それについてなんでもない会話を交わすこと。

 昭和生まれにとっては当たり前だったその日常は、無駄なように思えて、知識を広め、理解力や想像力を育てる、重要なことだったのではないかと思います。

 

 しかし、見たいものしか見ない今の若者はどうでしょうね。極論ですが、もしかしたらそのうち高齢者の存在すら忘れるんじゃないかと思う程、狭い世界しか見ていないように思います。

 

 

 

 だからこそ、“義務”じゃないと意味がないなって。

 

 こうして国民全員が介護を知り、ほんの少しでもスキルを身に付け、介護問題への意識を高めることで、これからの超超高齢化社会、乗り切れないかなぁ……。

 

 

 

 ただの絵空事、失礼しました。