義歯「介護まめ家の冒険」 | 介護まめ家の冒険

介護まめ家の冒険

岐阜県羽島市の宅老所デイサービス介護まめ家の架空の日常を綴ります。

いつもは入れ歯を入れているおばあさんが、何らかの理由で(或いは特に理由もなく)入れ歯を入れていない時の顔は、とても老けて見える。

 

もっとはっきり言えば、呆け老人に見える。

 

入れ歯と言うのは、見た目においても大事なものだと思っていた。

 

入れ歯がないと、呆けていない人が呆けているように見えたり、呆けのある人だって、入れ歯があることで、しっかりした人に見える。

 

しっかりした人に見えると、しっかりした人として扱われて、結果的にしっかりした人としてその場にいることになる。

 

それは、その人がしっかりした人である、と言っていいことだろうと思う。

 

そんなことってあるんじゃないかな。

 

***

 

あるおばあさんが、風邪気味で火曜日にまめ家を休んだ。

 

木曜日には、来てくれたので、大した体調不良ではなかったと思うが、ご家族が休んでいた時のおばあさんのことを話してくれて、それは僕にとってとても意外なおばあさんの姿だった。

 

「昨日、息子がそこにいると言い続けて、一日こだわり続けて、最後には玄関に布団を引っ張ってきた」

 

おばあさんは、90歳を超えているとは言え、とてもしっかりしている。

 

短期の記憶はとても怪しいが、論理的に物事を考える力や、倫理観は、まったく傷ついてはいない。

 

しっかりしたおばあさんだ。

 

その方が、自宅でそんなことになってるなんて、意外過ぎた。

 

おそらく、風邪による体調不良が、気持ちの面にも影響したのではないか。

 

一時的なものではないか、と思った。

 

まめ家に復帰したおばあさんは、まだ体調が戻りきっていない様子で、元気がない。

 

マッサージが得意で、みんなのところをまわって肩もみをしてくれるいつもの元気がない。

 

土曜日、おばあさんを自宅に迎えに行った時、おばあさんは入れ歯をしていなかった。

 

お嫁さんは「さっきまでしていたのに。。。ま、食事の時はいつも外してしまうから、今日はなしで言ってきや」と言って、おばあさんを送り出した。

 

あのしっかりしたおばあさんが、ひどくボケを抱えた人に見える。

 

おまけにまだ元気が足りない。

 

僕は、その気のないおばあさんに声をかけて、じっくりマッサージをしてもらった。

 

特に大きな変化を感じなかった。

 

そして、次の火曜日、自宅に迎えに行ったおばあさんは、またしても入れ歯をしていない。

 

お嫁さんは「昨日はしていたのに」とのことなので、ついそこに置き忘れた程度なのだろう。

 

風邪症状はよくなっていて、体表も戻ったようだ。

 

その日の夕方、自宅に着いたおばあさんが言った。

 

「ここ、私の家やったっけ?」

 

***

 

いやいや、別に体調不良による一時的なものだろうとは思う。

 

これで、おばあさんが急にボケを深くしてしまった!とか早合点するつもりはない。

 

僕がその時思ったのは、全然違うことだった。

 

「普段入れ歯をしている人が、入れ歯を忘れると、呆け老人に見える」

 

これは、ちょっと違うかもしれない。

 

「普段入れ歯をしていた人が、入れ歯の管理が出来なくなるほどのボケを抱えた、そのことを如実に表しているのが、入れ歯のない、呆けたような顔なのかもしれない」、と。

 

入れ歯の管理が出来なくなって、やがて入れ歯のない人になることは、その見た目のせいで、まわりに「呆けた人」として扱われる可能性がある。

 

「しっかりした人」として扱われた方が、その人がしっかりした人でいられるなら、おばあさんの義歯紛失事案は、ちゃんと対処した方が良さそうだ。

 

一時的な混乱が、その人の固定の「呆け」として扱われたら、ホントにそうなっちゃうかもしれないし。

 

入れ歯って、大事ね。