能登半島地震から

丸っと5ヶ月が

経過しました。





↑上のブログなどで綴ってきた友人の

その後の話を書きたいと思います。




2月に夫ヤサオと往復18時間かけて

被災した自分の自宅と車を

確認しにいってから

(詳しいことはヤサオのYouTubeが

みやすくておすすめです)



ヤサオYouTube



仮設住宅の申請をして

3月中に着々と珠洲市へ

戻る支度をしていきました。





そう、なんの迷いもなく

彼女は復興の力になりたいと

能登に戻ったのです。




そして4月に仮設住宅に

入れることになりました。





部屋の中の写真や動画も

送ってくれました。




水道がしっかり出るのはもちろん、

風呂が追い焚き機能付き

普通に快適なものだったり、

最初からテレビ炊飯器

設置してあったりと

思った以上に支援されていると

実感しました。








完全ではないですが

だいぶ水道の復旧も

進んだとのことです。





でも5ヶ月経っても

景色はコレです。






これは被災地から帰ってきた

ヤサオから聞いて衝撃だったのですが

個人的に自宅を片付けることすら

許されていないそうです。




片付けて

まとめたものを

ポンと置くと

不法投棄とみなされる




だからみんな

手がつけたくても

つけられないのです。







もちろん服とか日用品などの

私物で使えるものは

避難所や二次避難所に

持ち出しているのですが

明らかにゴミと化してしまったものは

解体業者の順番を

待つしかないのす。




基本業者も支援者も

金沢を拠点に滞在します。

そこから奥能登に行くのは

移動だけでもかなりの時間を

とられてしまいます。

それがあらゆる復興が進みにくい

条件の一つになっているとのことです。






今回の地震で多くの支援が

能登半島に届きました。

それはどれも本当にありがたいことで

それがあったからこそ

また自活できる生活に戻ることが

できた人がいる一方で




避難所でお世話してもらえるのが

当たり前になってしまった人もいて

無料の老人ホームみたいになって

しまっていたり、

炊き出しでご飯をおもてなし

してもらうのが当たり前に

なってしまっていたり、




被災者間の負担の差などが

問題になっている、

そういう現実もあるそうです。




そして輪島市にも行った

写真もくれました。


「やっぱりあそこだけ

別世界だったよ」

 











実は彼女も

復興のために何かできないかと

1月から頑張って

インスタ発信を始めています。






うまくリンクが貼れなかったので

「すずといきる」で検索して

みてください💦




もうこのアカウント名がさ

珠洲市のために頑張るっていう

決意を表してるよね。




私なんかがここに綴るより

友人が書いてるインスタの

言葉が全てだと思います。

ぜひ応援してあげてほしいです!

あとヤサオのYouTubeもね(笑)





私は防災漫画を無料で読めるように

今流行ってるKindleのインディーズに

まとめようかなと考えています真顔




長くなっちゃったけど

ここまで読んでいただき

ありがとうございました🙇‍♀️