🟢90歳実母

🟢要介護4

🟢認知症末期症状

🟢在宅ひとり介護中



〜現在の介護形態〜

🟠月曜〜土曜

ディサービス

⚫︎家族送迎

⚫︎帰りは自宅まで送って貰える

⚫︎当日の朝の母次第で利用可否判断可能

🟠日曜

自宅





今日もお疲れ様です!


一昨日は大量の嘔吐、大量の軟便がつづき一気に体力を消耗しぐったりした母。


昨日はディサービスに行こうか休みにしようか迷い、時間を決めてそれまでは見守ることにしました。


やっぱり今日は無理そうかな、と思った時急に着替えをする仕草をした母。


血圧、脈拍、体温、その他特に異常なし。


食欲がいつもより無かったくらい。


嘔吐が髪の毛に着いたり軟便が背中まで広がる程だったのでお風呂に入れてあげたかった。


ホットタオルだけでは綺麗にするには限界があったから。


足腰に力が入らず昨日は車椅子で過ごした母。


前日まであんなに歩き回っていた母が翌日には自力で立てない。歩けない。


また今回も今を大切に過ごすことの大切さを確認したょ。






今朝は支えがなければ歩けないのでヨチヨチ歩き👶

食欲は少し回復しつつある様子。



今回は介護生活になってからすっかり忘れていた事を思い出すキッカケとなったょ。


反面教師の母と極力関わらない様にして生活していた頃。

自分の家庭を第一優先にしていたけれど母からは頻繁に手紙や宅急便が届いてた。



言葉と行動が一致しない母をわたしは見下していた所があったんだな。


それでも手紙や荷物が届いた時は嬉しかったし楽しみにしている自分が居たんだよね。



お化粧はしなくても美容院にはお金をかけなさい。


そう一筆書いて美容院代にはあまりに多すぎるお金が入っていたり。


私には小さい頃から続けている事があり技術が身につきそれを仕事として長年やって来ました。

仕事として今は出来ないので趣味として継続しています。


いつの間にか私には無くてはならない存在となり身体の一部となり今では自分の軸となり今までもそして今も私の揺るがない支えとなっています。


これは子供の頃から母が無理矢理やらせていたな。

でも嫌ではなかった。

多分わたしに向いていたから私は好きだったんだと思う。


ただ、母は私に期待するばかり。

重圧をかけ続ける。

自分自身の事は何も続かないし深く掘り下げて学ぼうとしない。

納得出来なかった。

そんな人の言う事を聞きたいと思えなかったな。

私が手を抜かないよういつも見張ってた。

でもお金はかけてくれていた。


口癖は「〇〇(私のこと)には命を賭けてる」


この言葉は重荷で仕方なかったな。



その時のわたしの師匠に裏でお金を包んでいる事を知った時は驚いた。

私の実力じゃなかったんだと思ったので悲しくて悔しくて仕方なかった。

そしてどんな事情にせよそれを受け取り続けていた師匠にガッカリ。

事情は特に言わず直ぐにその時の師匠から離れた。

継続する為に自分で付きたい師匠を自分で探した。


今となってはそれが母なりの私への愛情表現だったんだと分かるけどね。

いやいや、間違ってるでしょ。


介護生活に入る前、確かに母は反面教師ではあるけれど、母にして貰った事には感謝出来る様になってたな。


だから今こんな風に自分の力となり役に立ち仕事として成立出来る迄になったんだと思うと母に感謝が出来た。









介護生活に入りまた価値観の合わない母との生活が嫌だった。


最初は尊敬する父の介護も同時にあったので何とか出来てた。


母の性格にイライラしても父と話すととても落ち着けたから。


母の認知症が進行し今の状態になり、

一昨日の様な急変があり、

ぐったり気力を失う母が目の前にいて、

ディサービスにも行ってくれる、

ショートステイにも行ってくれる、、、


またあの時の母への感謝の気持ちを思い出すキッカケとなりました。

この為に敢えて具合が悪くなってくれたんじゃないかとさえ思ったょ。


母が生きている内に思い出せた事は私には有難い。

介護を通して恩返しができる。


感謝を伝えてももう既に分からなくなってる母だけど。


例え私が頑張る事で母自身がチヤホヤされたいが為だったとしても。


実際に諦めずに私に命令し続け、重圧をかけ続けてくれなければ今の自分にはなれなかったから。



見方を変えれば、そんな性格の母だから、母親として申し訳ない気持ちがもしかしたらあったのかも知れないなと思ったり。


でなければ、わたしが結婚してから介護生活になる迄の30年以上もの間手紙や荷物を送り続ける事は出来ないかも知れないな。

 

「あなた、チョット痩せたわね」

私を娘と認識は無くなったけれど、私の顔を見てそう言った母。

確かに2kg痩せた。


昔から私のちょっとした変化に直ぐに気づく母。


もしかしたら娘という意味が分からなくなっただけで私を〇〇とは潜在意識では分かってる様な気がする時があるんだよね。


私は父似で母には見た目も内面も似ていない。


そんな私を母はいつも心配してた。

いつも私を見てもどかしそうにしてた。

だからいつも私がやろうとする前に口出しして命令してた。



母は後先考えずに直ぐに行動する。

人なんて関係ない。


自分がしたい事は人に迷惑がかかろうが、人を利用しようが、嘘をつこうが、お金をばら撒こうが、やり通し必ずやり遂げる。


悪気は全くない。

微塵もない。

それが母の性格。

憎らしい時はあったけれど最後は何だか笑える母なんだよね。


私はそんな母を否定しながらどこか羨ましかったのかも知れない。


母の口癖「我が人生に悔いなし」

やりたい事をやりたい様にやってきた、といつも言ってた。


それが母の人生。

それは母にとって幸せな生き方。なのかな?

本心は母にしか分からないけれど。


真似たいとはやっぱり思わない。

道標にしたいともやっぱり思わない。


けれども、そこまで自分のわがままを貫き通しやりたい放題、散らかしっぱなし、叶えたい事は必ず実現してきた生き方はある意味凄いな!と私は思っているんだと言う事にも気づく事が出来たょ。


そして父に最後の最後まで大切にされた母。


今は娘が介護をしてる。

それも自宅で。


冷静に眺めるとこれほど幸せな生き方はないよなー。


やっぱり母の生き方に賛同は出来ないしやっぱり今でも反面教師ではある。


でも、

出来るだけ最後まで優しくしてあげたいとは思うょ。

極力、ね。





今日も無事にディサービスから帰宅した母。

復活に向かってるかな。



今朝は朝ご飯のあと菓子パンを見つけてしまいガブリついた母。すると、、、



パンをちぎって私に手渡してくれたょ☺️ありがとう☺️





せっせと寝室から掛け布団を運ぶ母。





クローゼットからシーツを取り出して畳む母。


復活だな👌😄

良かった、よかった。