🟢90歳実母
🟢要介護4
🟢認知症末期症状
🟢在宅ひとり介護中
〜現在の介護形態〜
🟠月曜〜土曜
ディサービス
⚫︎家族送迎
⚫︎帰りは自宅まで送って貰える
⚫︎当日の朝の母次第で利用可否判断可能
🟠日曜
自宅
今日は仕事はOFF!
朝、母をディサービス迄送りその足で予約をしていた美容院へ!
今日は何となく家で過ごしたい気分だったのでそのまま帰りました。
何だろなぁ。
お天気のせい🤔
とても穏やかにゆったりした気持ちで過ごせたょ😊
母の布団を干し、家中の掃除!
お風呂掃除はいつもはチャチャっとですが今日は時間をかけてピカピカに掃除した🛁✨✨✨
母の帰宅まで大の字になってゆっくり\(^-^)/
その場所からは広い空がよーく見える👀
窓からは心地良い風😌
父が倒れたと母から電話があった5年前の朝の事を思い出したょ。
朝だったので急遽仕事は休みにして関わっている人たち全員に事情を書いて一斉メールをした。
取り敢えずの衣類などをバッグに詰めて車でGO!
実家まで高速も利用して安全運転で約7時間。
あれから5年も経ったんだなぁ。
改めて思ったょ。
父はかなり衰弱。
母はと言うと元気でしたが既に認知症が発症してた。
思い返すとそれ以前から心当たりが幾つもあった。
私は遠方に住んでいた。
自分の家庭がある。
時折、様子を見には来ていたけれどまだまだ他人事だったんだよなぁ。
今日は夕方ケアマネの月1訪問でした。
今日の様な気持ちで月1訪問に向き合ったのは初めてだょ。
母の事を客観的に話せる様になっていて、あぁ〜最も大変だった時期は超えてるんだなぁ。
そう実感した。
長かった。
本当に長かった。
本当に本当に長くて真っ暗闇だった。
針の先程でも良い。
光が見えたらと何度願ったか。
でも、何にも見えないんだよね。
とにかく真っ暗。
いつもジメジメした感覚。
とにかく息が苦しい。
頭の中は常に膜が張ってるかの様にモヤモヤ。
スッキリした日が無い。
自分、これからどうなるんだろう?と不安ばかり。
人のせいによくしていたなぁ。
母を反面教師にしていた私はここぞとばかりに母のせいにした事もよくあった。
ディサービスの職員さん達。
認知症の母を本当にとことん根気よく「待つ」事をして下さる。
ケアマネは母の写真を見せてくれた。
「そぅそぅ、そう言えば」と言って携帯を取り出した。
ディサービスで母がリクライニングの椅子でウトウト眠ってる写真でした。
可愛いなぁーと思って写真を撮りたくなりました。って。
ケアマネが帰った後胸が熱くなったょ。
みんな、優しいなぁ。
介護生活の中で腹の底からそう思えたのは今日が初めての様な気がする。
今迄も思っていたけれど、今日の感覚とはちょっと違った。
ケアマネが私に言った。
「〇〇さんは自宅で介護が希望なんですよね。」
母の認知症の度合いからしても自宅は無理。
ご自身の経験からも今の母の状態で在宅介護を1人でしていた人は居ないとは時折聞いていた。
施設、、、と言いたいケアマネの気持ちが痛いほど分かったんだよね。
何かあったら直ぐに連絡下さい。
毎回言って下さるけれど今日ほど素直に有難いと思った事はない様な気がします。
今までは感謝をしてる!と言いながらも心のどこかで醜い気持ちがあったんだな、と思ったよ。
確かに介護職のプロだし経験豊富なケアマネだし様々なパターンの認知症の家族を抱える介護者を沢山知っているでしょう。
けれども、実際に認知症の人と24時間365日生活をしてみないと現実が分かるはずはない。
そう思う気持ちがあった。
現実問題、そうかも知れない。
でも、違う。
自分の仕事に責任を持って最善を尽くす。
当たり前の事をしてくれているだけなのに、介護疲れを理由に捻くれた感情で受け取っていた自分が恥ずかしいょ。
それぞれが出来る範囲で私たち親子を支えてくれている事を純粋に感謝出来ました。
介護自体は何一つ変わらないけれど私の気持ちの在り方に変化を感じた日になったょ。
認知症介護を言葉で説明する事は本当に難しい。
認知症の段階によっても介護者の感情にも変化がある。
それに伴い年月が過ぎれば自分自身も年を重ねていく。
周りの環境にも変化がある。
私には介護経験は必要だったのかも知れないな。
この過酷な5年間を過ごした事で、認知症患者の尊厳を守り「待つ」という事がどれだけ大変な事かを身を削って経験してる。
だから今日の様に心底周りの人たちに感謝する気持ちを持つ事が出来たのかも知れません。
やっと、やっと、、、
まだまだストレスを抱えながらの介護生活は続きます。
自分の感情(喜怒哀楽)を素直に認めながら進んでいこうと思うょ。
この穏やかな気持ち。
長く続くと良いなぁ☺️