こんな風に考えるのって間違ってるのかな。

でも、今の正直な気持ちだょ。

今の母との生活を掻き乱されたくない。

介護の事で、大変だったねとか、よく頑張ってきたね、とか、そんな労いの言葉は本当に要らない。

本当に本当に地獄のように大変だった時期、ひとりで乗り越えて来た。

ケアマネや介護施設の職員の方々が居てこそとは思う。

でも、実際に時間制限などなく母の介護をしたのは私。

だから偉いでしょ!
とか
凄いでしょ!
とか、そんなレベルの事じゃない。

そんな事、思っても居ないしどうだって良い。

ただ、母の認知症が進行した事、直ぐに忘れてしまう事、理解できない、分からない事ばかりが増えた事で

逆に、認知症介護がやり易いというわけではないけれど

あの怒涛の日々と比べたら穏やかな生活になった。

そう言う事かな。

今となって、私の介護生活に入り込まないで頂きたい。


興味なのでしょうか。

介護生活の進行具合を詮索したいのかも知れませんね。

でも、本当にわたしを心配して下さるなら、黙っていて欲しい。

そう思ってしまいます。








4年前にある日突然始まった両親の介護。

それまで丁寧に積み上げ培って来た生活をすべて180度方向転換。

父は一年介護をして他界した。
この一年も濃密だったょ。

認知症がすでに始まっていた母を諭しながらの父の介護。

父は認知症ではなかった分、頭がスッキリと鮮明だった。

家族思いの父。
病院や施設では孤独に耐え、最後は生きる事を諦めたんじゃないか。







ひとりで父に会いに行くと、甘えてくれた。優しかった。

本当は家に帰りたい気持ちを我慢してる事は行く度にわかった。

2人で色んな話をした。

私が帰ろうとすると必ず笑顔で手を振った。

気をつけて帰りなさい。
早くお母さんのところに行ってあげなさい。








母と2人で父に会いに行くと、父は母の顔を本当によく見ていたょ。

母は、尊敬し自慢だった自分の旦那が弱々しくなってる姿を見たくなかったのか

いつも私のお尻を叩いて言った。

早く帰ろう、と。

父は全てお見通しだった。

なのに、母の前ではひとりでは歩けないはずなのに

ベットの柵に捕まり、テーブルに捕まり、何かに捕まりつたいながら窓際まで歩いた。

母に見せたかったんだと思う。

俺は、まだ大丈夫だ💪という姿を。

けれども、そんな気持ちが汲み取れる母ではない。

それも父は分かっていた。









父が他界したことも、理解したのかしないかのまま時だけが過ぎた。

今日も、父のことを聞くょ。

お父さんは?
仕事?
ご飯、作ってあげなさい、と。

自分の旦那の名前も顔も忘れてる。











反面教師にしてきた母が認知症になり介護をしてる。

本当に色々な出来事があり、やっとやっと今日に至ってる。


母の認知症進行のおかげで、介護生活のペースが落ち着いてきたからかも知れないな。

今日はこんな風に思っていても、明日にはまた手がつけられない程の症状が出るかも知れないけれど。

認知症だからね。

手を差し伸べて下さるなら

中途半端は要らない。

(これは家族以外のリアルな場合のはなしです)







結局

母が生きている内は

私も、そして私を気にかけてくれている人達も気が休まることはない。

言葉のかけようも無いよね。

何かしてあげたい気持ちはあっても何が最善か分からないし、ある意味他人事だからね。

それは、当然!

私が逆の立場ならそうだと思うから。

そう言う事なんだな、って思うょ。

誰も悪く無い。












何度、そっと取り替えても
フォーク2本で食べようとする母。
お箸🥢だと思ってたのかな?
上手いこと使いこなしてたょ👍😊







私的にはキレイに盛り付けたおかずだけど

全て一つのお皿に移し替えて混ぜ混ぜして食べたょ👍😅





介護生活があと何年かは分からないけれど

その後も自分の人生は続く。


自分の人生の中にある介護以外の部分も大切に育んでいこうと思うょ。


やっと、ここまで来たんだから。