一貫の美 | Jさんブログ

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ケアマネジャー受験対策講師育成ブログ (さくら福祉カレッジ )

きのうさ。

ホテルでゴミを捨ててね。

ふと、ゴミ箱を見たときにさ。

なにか違和感を感じて。

何だろう、このゴミ箱の感じは、あまり
綺麗じゃないなあ、いまいちだなあって。

そんな感じを受けたんだよね。

コピー用紙とチョコの包み紙とティッシュが
同じ場所に入っているのを見てさ。

なにか違うなあ、って。

そう違和感を覚えたんだ。

捨てたのは全部自分なんだけど。

(笑)

衣類ケースもさ。

靴下と下着とシャツが一つの引き出しに
ごちゃごちゃとしてたら嫌だよね。

なにか違和感を覚える。

整理をしたくなる。

ジャンル毎に分けたくなる。

きっとあなたもそうじゃないかな。

そして、靴下なら靴下、下着なら下着と
分けられていたとしても、それがグチャ
グチャだったらやっぱり整理したくなる。

きちんと畳みたくなる。

あなたもそうじゃないかな。

それと同じ感じをゴミ箱に感じて。

何でこれとこれが同じ箱の中にあるの?
って。

変だよね、わたし。

(笑)

これについては、盲点で。

これまで考えたこともなかったよ。

確かに、ゴミ箱もお弁当箱も、衣類箱も
おもちゃ箱も同じといえば同じだよね。

ひとつの入れ物として同じ。

人間って金太郎飴のように一貫性があるから、
本来だったら取り扱いも一貫性があって然る
べきなのかもしれない。

それが自然といえば自然で。

シンプルといえばシンプルで。

この箱はこう扱います、こっちの箱はこうで
これはこうですって分ける方が複雑で難しい。

だけど、実際にはそれをやってるよね。

ゴミ箱は混沌でも宜しいとか、お弁当箱には
彩りが重要だからトマトで赤を、とかさ。

(笑)

衣類箱は整理整頓が大事、とか。

こういう複雑な区別をつけてるよね。

不思議だね。

だけど、昨日はふと、それらが一緒に見えたと
いうか、どれも綺麗なほうがいいよね、って。

ゴミ箱だからって適当に扱われるのって何か
違う気がするなあって。

そんなことを直感したんだ。

まあ、そんなことを信念にして生きちゃったら
相当に生きづらい人生になってしまうから(笑)
こだわりはしないけどさ。

こだわっていいものでもあるとは感じるね。

きょうは彦根というところで講座をしてね。

彦根城の近くを通ったんだけど、お城の近くは
みんな建物が江戸っぽくなっていたんだ。

風情を統一していた。

これもこだわりといえばこだわりだね。

おそらく、そうすることで耐震性が増すという
わけでも無し、費用が安くすむというわけでも
無し。

理屈でそのようにしているわけではきっとない。

こだわりの部分なんだろうね。

美意識、美学の部分。

ここはそのようにしようという思いがあって、
きっとそうなっているんだろうね。

ゴミ箱の美学、街並みの美学。

いろんな美学があるね。

わたしは最近、信仰の美学ということも少し
感じるようになってきて。

今まであまり考えたことも、感じたことも
なかったけど、最近、少し感じるんだよね。

それによって一つ、変わったこともあって。

役立つかは分からないけど、紹介するとさ。

戒律を持ち始めたんだ。

自分なりの戒律。

戒律というのは、守るべきルールだね。

誰にも言われてないのに、わざわざ自分で
戒律を作って自分を制限するなんて意味が
分からないと思うかもしれないけどさ。

なぜか、そうしたいと感じる自分がいてね。

決してマゾとかってことじゃないよ。

(笑)

自由は大切だけどさ。

その中に戒律を設け、それを守ることに
美しさを感じるようになっちゃったんだ。

不思議と。

それが自分の信仰の美学なんだろうね。

戒律を守りたい自分がいる。

作りたい自分がいる。

この戒律は、少なからず、みんな何かしら
持っているものなんだと思う。

自分が大切に思っている領域について。

子供の運動会には何があっても絶対に行く、
どんなに重要な会議が入ってても行くとか。

こういう戒律を守ってるお父さんもいたり。

お盆だけは絶対に実家に帰って、祖父母、
あるいは両親のお墓参りをする、とか。

こういう戒律を守っているひともいるかも
しれない。

戒律の必要性や重要性を話したいわけじゃ
ないけど、これも美学の一種ではあるんだ
とおもう。

内なる美といっていいかな。

自分の問題として守っている美意識だね。

内なる美があれば、外なる美もあって。

外面上の美というのもあるね。

芸能人が持っているような美かな。

外に対して美しく見せるという美。

これはこれで素晴らしいものだと思うけど、
内なる美に比べて、少し脆さがあるという
気もするね。

ボロが出るというのかな。

「見せるための美」「認めてもらうための
美」というのは、人前と一人の時とで言動
に違いが出るような気がするね。

人気俳優や人気女優で、プライベートが
ボロボロの人とか、ときどき、いるよね。

DVが明るみに出たり。

セクハラ的なものが出たり、薬物的なものが
出たり。

家に突撃取材とかしたら案外、ゴミ屋敷の
ようになってる人もいるかもしれない。

(笑)

どうせ美しくあるなら、内から、芯から出る
美で、外まで飾れるといいね。

外だけの金メッキじゃなく、金でありたい。

そういう芸能人もきっといるんだろうけど、
数としては少ないかもしれない。

見ていると、そんな気もするね。

人々に夢や希望を与えるそういう仕事なんです、
おじさんがミッキーの中に入って頑張っている
のと同じなんです、って言われたら、たしかに
その通りなのかもしれないけど。

それなら金メッキでも応援したいと思うけど。

ひとに夢を与えるための金メッキはいいけど、
ひとを騙して傷つけるための金メッキならば
応援したくはないね。

内なる美。

外なる美。

内外を貫く美。

そう分けるなら、やっぱり貫く美、一貫性の
美を求めたいとおもうね。

内なる美は、信仰から来るものかな。

本質を追求する美。

それをこの世に現象化していこうとするのが
外なる美。

これらは心の美と形の美といってもいいね。

内なる美を高めるために、神仏の美、真理の
美、信仰の美を求めていく。

そうして、一貫の美を体現する。

そんな存在で在れたらいいだろうね。

ゴミ箱から随分話が広がった気もするけど(笑)
何か掴めるものがあったなら嬉しいね。

J