②地位未定論についての台湾独立派の立場
台湾地位未定論は、アメリカ以外では台湾独立を主張する人たち(以下、台湾独立派とする)によって支持されてきた。日本では、1960年代に入ってから、日本で台湾独立運動を主導していた黄昭堂などがこの説を主張した。(参考:彭明敏・黄昭堂「台湾の法的地位」東京大学出版会、1976年、戴天昭「台湾 法的地位の史的研究」行人社、2005年など)
黄昭堂の議論を簡単にまとめると、以下のようになる。
まず、カイロ宣言については以下のように言う。
「カイロ宣言に蒋介石を招いたのは、日本との戦いで中国の奥地に追い詰められた蒋介石を激励するためであり、「中華民国に返還する」という1項も彼に対するお土産のようなものである。カイロ宣言と呼ばれているが、誰の署名もなく、米国政府がそれを発表したのは、会談が終わってから5日後である。カイロ宣言はせいぜい連合国側の意図や政策を表明したものであり、条約ではない。カイロ宣言には何の拘束力もないことは、米国と英国の政府も認めている。」(下線は引用者)
宗像隆幸・趙天徳編訳「台湾独立建国運動の指導者 黄昭堂」自由社、2013年、282-284ページ
彼はカイロ宣言には何の拘束力もないと断言している。実際、カイロ宣言の原紙を見ると、メモのようなものにも見える。署名もない。
国立国会図書館
https://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/01/002_46/002_46_001r.html
つまりカイロ宣言では「満洲、台湾及び澎湖島のような日本国が清国人から盗取したすべての地域を中華民国に返還する」と記されているが、彼はこれが無効であり拘束力がないというのである。台湾や澎湖島は中華民国に返還されていないことになる。もちろんポツダム宣言で「カイロ宣言の条項は履行」と書かれているのも無効ということになる。
次に、サンフランシスコ講和条約については以下のように言う。
「戦争の結果を決定するのは平和条約である、連合国48か国と日本が署名したサンフランシスコ平和条約(1952年4月28日発効)は、署名国が遵守する義務がある。この平和条約の中で、「日本国は、台湾および澎湖諸島に対するすべての権利、権原および請求権を放棄する」と定められているので、台湾と澎湖島が日本の領土でなくなったことは間違いない。しかし、日本が放棄した台湾と澎湖島がどこに帰属するのか、サンフランシスコ平和条約は何も決めていないから、台湾と澎湖島の国際法上の地位は未定なのである。」(下線は引用者)
宗像隆幸・趙天徳編訳「台湾独立建国運動の指導者 黄昭堂」自由社、2013年、282-284ページ
日本が台湾や澎湖島を放棄したことはしたが、その帰属はサンフランシスコ講和では決めていない。カイロ宣言が無効であるならば、台湾と澎湖島は中華民国に返還されることはないのだから、日本が放棄した台湾や澎湖諸島は宙に浮いた形になってしまう。これが地位未定論の要点である。
黄昭堂は台湾の地位が未定であることを述べたうえで、以下のように主張する。
「人民自決権は、すでに国際法として認められているので、台湾と澎湖島の帰属を決定する権利を持つのは、この地域の人民だけだ。台湾と澎湖島の人民が、台湾共和国憲法を制定して、台湾を占領した蒋介石政権が押し付けた中華民国憲法を廃棄すれば、台湾(澎湖島を含む)は国際社会から承認される独立国家になるのである。」
宗像隆幸・趙天徳編訳「台湾独立建国運動の指導者 黄昭堂」自由社、2013年、282-284ページ
ここでいう「地域の人民」「台湾と澎湖島の人民」というのは、台湾居住者を指すのだが、それは主に本省人を指している。ここでは「台湾人=本省人」「蒋介石政権=中国人=外省人」という構図で語られているからである。