5-3 宣言的効果説が主流と言われるようになった理由 | 中国について調べたことを書いています

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5.尖閣問題の解決策を探る
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③宣言的効果説が主流と言われるようになった理由

 

学説では、現在は宣言的効果説が主流であり、通説であると言われている。

なぜ国家承認を国家の成立要件に含めないという考え方が主流と言われるのだろうか。そして、かつては創設的効果説が主流だったのはなぜなのだろうか。

 

森川幸一は、かつて創設的効果説が主流であったことについて以下のように述べている。

 

18 世紀から 19 世紀にかけてそうであったように、 国際社会が 「キリスト教社会」 「文明国社会」 といった同族・同質の国家から成り立っていた時代には、 承認が新国家を国際社会に迎え入れるかどうかの資格審査としての機能を果たしていたと考えられ、 その意味で、 当時の国際社会には 「創設的効果説」 が妥当する現実的基盤が存在していたといえます」

森川幸一(2015)「国際法上の国家の資格要件と分離独立の合法性」「専修大学法学研究所所報」 No.50

 

 また、北村朋史は以下のように述べる。

 

「かつての国際法は、その構造として、自らを「文明国」と称する西欧諸国を中心とするいわば「社交クラブ」のような性格を有していたという点、そしてかつての国際法においては、その根拠として、国が国際法に拘束されるのはその国自身が同意したからであるという考え方(合意主義)がとられていた点に求められます。つまり国際法が西欧諸国を中心とする「社交クラブ」であった時代にあっては、既存のメンバーが新メンバーの入会の可否を決定することに何ら問題はなく、国家承認は、既存メンバーが新メンバーの「文明性」を審査し、入会許可を与える手続きとして機能していたのです」

北村朋史「5 北朝鮮に対しては国際法を守らなくても良い?」森川幸一など編「国際法で世界がわかる ニュースを読み解く32講」岩波書店、45ページ」

 

一方で、その後、宣言的効果説が有力になった背景を、森川幸一は以下のように述べる。

 

「しかし、 その後の国際社会の普遍化に伴い、 承認がかつて持っていた資格審査としての機能は希薄になったこと、 また国際関係が緊密化したことで、 現に一定の領域とそこに住む住民に実効的な支配を確立している政治体を、 法的に無の存在とすることは実際上困難になったことなどから、 今日、 国家承認の法的効果については 「宣言的効果説」 が有力です」

森川幸一(2015)「国際法上の国家の資格要件と分離独立の合法性」「専修大学法学研究所所報」 No.50

 

この考えによれば、「国際社会の普遍化」「国際関係の緊密化」といった理由で宣言的効果説が主流とされるようになったという。

また、北村は以下のように述べる。

 

「国家承認の効果に関するこれら2つの見解のうち、かつては創設的効果説が通説でしたが、現在では宣言的効果説が通説になっています。これにはいくつかの理由がありますが、特に重要なのが次の2点です。

まず第1が、創設的効果説は、国際法の基本原則とされる国家平等原則の趣旨に反するというものです。例えば、南スーダン共和国が領域、住民、政府を備えて新たな国として成立しても、それが国際法上の国として成立し、それゆえ国際法上の権利義務の担い手となりうるかという問題が、もっぱら日本やアメリカ、中国といった既存の国の裁量にかかっているというのは、確かに不平等であるように思われます。そして第2が、創設的効果説によれば、ある国が国際法上の国であるかどうかが個々の国との関係で相対化してしまうというものです。例えば、日本がニウエを承認していることは既に述べた通りですが、国家承認とは裁量的行為ですから、その他すべての国がこれを承認するとは限らず、実際にニウエを承認している国は多くありません。そうすると、創設的効果説によれば、ニウエは日本にとっては国際法上の国だけれども、その他の国にとってはそうではないという状況が生じるのですが、これもやはりおかしな感じがします。」

北村朋史「5 北朝鮮に対しては国際法を守らなくても良い?」森川幸一など編「国際法で世界がわかる ニュースを読み解く32講」岩波書店、45ページ

 

 ただ、創設的効果説にせよ、宣言的効果説にせよ、どちらも時代やその当時の既存国家の主観的な事情に左右される部分が小さくない。

 

 19世紀には欧米、特にヨーロッパの国がキリスト教を背景とした考え方に支配されていた国々が世界の中心にある時代、帝国主義の時代、ヨーロッパの国々が植民地を求めてアジアやアフリカに進出していった時代を背景にして国家という概念が決められた。この場合、承認がなければ国家ではないという考えの方が彼らには都合がよかった。そういうことから承認があって初めて国家が成立するという考え、つまり承認しなければ国家ではなく、そこを支配下におさめても侵略には当たらないというような考え方は、植民地を拡大していこうという考えには都合がよかったのであろう。

 

 しかし20世紀に入り、経済恐慌や2度の世界大戦を経て、世界がキリスト教的な考え方、欧米中心の考え方だけではないことがわかってきた。国家や民族という考え方がアジアやアフリカにも対象が広がり、国際的な組織もでき、平均化、平等化といった考えも広がった。そうなると、承認がなければ国家ではないという考え方は維持しにくくなってきた。民族が自立し、植民地が独立するためには、承認は不要であるという考え方はなじみやすかった。

 こうして宣言的効果説が主流になったともいえる。