中国が一人っ子制度を始めたきっかけは何かという議論は、幾つかの説があることは既に述べた。代表的なのは以下の3つである。
①1978年7月に胡喬木がある会議で行った発言
②1978年12月に天津医学院の44名の女性教師が出した「一人っ子提議書」
③1979年1月26日に開かれた全国計画生育弁公室主任会議
しかし、これ以外に1980年に宋健が出した人口予測で、2050年に人口が40億になると述べたことが契機だという記述が見られる。
例えば、以下のような記述である。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/101059/053000155/
http://bbs.tianya.cn/post-worldlook-1648132-1.shtml
宋健の予測については、2075年に40億になるという記述も見られる。
http://www.sohu.com/a/241030560_100004407
まず、2つめの「2075年に40億」という記述だが、これは1980年9月に第七機械工業部の宋健らが「中国科学」という雑誌に発表した論文で述べられていることである。(宋健、于景元、李広元「人口発展過程の予測」(人口发展过程的预测)、「中国科学」1980年9月)
https://wenku.baidu.com/view/7f4546abfab069dc50220179.html
これによれば、合計特殊出生率(15歳から49歳までの一人の女性が一生に産む子供の数の平均)による総人口(単位は億人)の予測は以下のようになっている。
合計特殊出生率 年 |
2.1 |
2.3 |
2.5 |
3.0 |
2050年 |
15.32 |
19.03 |
21.64 |
29.23 |
2075年 |
14.81 |
20.83 |
25.36 |
40.10 |
出所:「人口发展过程的预测」《中国科学》1980年09月第09期,p931の表1から抜粋
確かに合計特殊出生率を3.0とした場合の2075年の総人口予測は40億人を超えている。
先に見た通り、1979年の中国の合計特殊出生率は2.753である。
(世界銀行《Fertility rate, total (births per woman)》
https://data.worldbank.org/indicator/SP.DYN.TFRT.IN)
このペースで人口が増加してゆけば、2075年には40億近くなることになる。
また、1980年10月3日の光明日報で宋健は「現代の科学から見た人口問題」(从现代科学看人口问题)という文を発表し、そのなかでは以下のように述べている。
「現段階で我が国の人口技術は青少年が人口の半分以上を占めているという状況下では、もし全ての女性が平均2人の子供を産んだとすると、我が国の人口はこれから70年増え続け、2050年の人口は15億4000万人になってから初めて自然増加率がゼロ付近にとどまるようになるだろう」
https://www.sohu.com/a/151156750_556637
これも、先の「中国科学」の記事の予測に概ね一致している。
そこで一つめの「2050年には40億」になるという予測について考えてみよう。これは新華社の発表だということだが、実際にこのような記述が「人民日報」や新華社の他の刊行物にあったのかどうかは残念ながら確認できなかった。
「光明日報」では、もし2とするなら2050年に15億4000万としている。また、「中国科学」では、2.5で21億6400万、3.0で29億2300万となるので、2.7で40億というのはちょっと多すぎる。あるいは、「2050年に40億」というのは、もう少し出生率が高い場合(例えば3.5)の数字であったのかもしれない。あるいは宋健が2075年の予想数字を言ったのを、誰かが2050年のものだと勘違いしたのかもしれない。
いずれにしても「2050年に40億」という記述は、少々怪しげな感じがする。
さて、この宋健の40億という予測が、一人っ子政策のきっかけになったとする説はどう考えたらよいだろうか。
ここまで見てきたとおり、「一人っ子政策」のきっかけとなったといわれる3つの出来事は概ね1979年ごろに起きたことである。宋健の40億予測が出されたのが1980年の中ごろくらいなので、これをきっかけとするには、時期が少し遅すぎるような感じもする。公開書簡が出されたのは9月だし、婚姻法改正も9月である。
やはり先にあげた3つのいずれかをきっかけにするのが良いように思える。