紅葉リベンジを兼ねて
名古屋市千種区の揚輝荘(ようきそう)へ〜
揚輝荘は、昭和初期に建設された名古屋の郊外別荘の代表作です。別荘の主人は、松坂屋の初代社長である15代伊藤次郎左衛門祐民(いとうじろうざえもんすけたみ 1878-1940)。大正から昭和初期にかけ、覚王山の丘陵地約1万坪(約35,000㎡)に、建物と庭園がつくられました。
当時は、政財界、文化人だけでなく、留学生も含めた国際的な交流の場となっていました。名古屋市を代表する歴史的建造物として、5つの建造物が市指定有形文化財に指定されています。
(揚輝荘のサイトより)
現在は、北園(約6,500㎡)と
南園(約2,700㎡)とに分かれている揚輝荘。
北園での紅葉茶会に参加しました。
大正7年(1918年)、茶屋町(現・中区丸の内二丁目)の伊藤次郎左衛門本家から移築された揚輝荘最初の建物です。煎茶の茶室で炉は切ってなく、丸窓のなげしなど東洋風のデザインが見られます。
今回のお茶会の場所です。
受付を済ませ、
予約の時間まで園内を散策しました
(北園は入場無料)
お隣の覚王山日泰寺の五重塔(高さ30m)を望む。
赤いもみじ
こちらのもみじが一番美しかった〜
昭和4年(1929年)、鈴木禎次の設計により、尾張徳川家ゆかりの座敷に洋室などを加えて建築されました。
煙突の壁の市松模様がおしゃれ〜
別荘のあるじ
伊藤次郎左衛門祐民さんは経営者ということで、
敷地内にお稲荷さんがあります。
豊彦稲荷社 御由緒
・御祭神 宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)
・御神体 白狐
・御祭日 初午祭(4月上旬)
・御由緒
京都仙洞御所に祀られていた豊春御所稲荷を本社とし、宝永5年(1708)京都大火を機に翌6年、市井の岡崎の里(現在の京都市左京区岡崎西福ノ川町)へ遷されました。それを京都に進出した伊藤屋(松坂屋)が、寛延2年(1749)に豊彦稲荷として仕入れ、店内に分祀しました。
その後伊藤屋は、尾張や江戸でも繁盛したのは、神恵の然らしめるところと謝し、また万一の粗略を懼れ、天明元年(1781)に豊彦稲荷を岡崎の本社へ遷しました。
大正年間に御所稲荷と豊彦稲荷の祭事を兼務していた宮司が没し、後任がいないまま経過したのを憂慮した伊藤家15代祐民が、社殿・調度品を含めて、揚輝荘内に、遷しました。
現在では、年一回、4月上旬に神職・関係者の参列にて、初午祭を斎行されております。
・御神徳
五穀豊穣・商売繁盛・殖産興業・開運招福など。
現在では、家内安全・学業成就・縁結び・疫病退散など様々な願いを叶えてくれる神様として多くの人々の信仰を集めています。
特定非営利活動法人 揚輝荘の会
だそう。
以下は、
椙山女学園大学 生活環境デザイン学科
𣘺本雅好研究室の学生さんによる落ち葉アート
「もみじ」
「揚輝荘」
修学院離宮の千歳橋を模したといわれる廊橋で北庭園のシンボルです。祐民作と伝わる龍の天井絵、手彫りの白木擬宝珠(ぎぼし)などに趣向が凝らしてあります。
ちなみに。
内田康夫の小説『不等辺三角形』に登場する「陽奇荘」は、
この揚輝荘がモデルです。
10年ほど前、テレビドラマになり
揚輝荘でロケが行われてましたね。
フジテレビ「金曜プレステージ」
『浅見光彦シリーズ49 不等辺三角形』
(「ミステリ通信 創刊号」より あらすじ)
そろそろ時間なので三賞亭へ。
この日のお菓子は
不老園さんの「寒椿」。
白い椿を模したものですね。
なんともかわいらしい…
中は、ゆずあんです。
お菓子の左にある懐紙の透かし模様と
茶碗の模様がおそろいだ〜
どうもごちそうさまでした
床の間をパチリ
窓からの風景。
ガラス越しに撮りました。
とにもかくにも、
赤いもみじが見られてよかった〜
紅葉茶会は12月8日(日)にも開かれますよ。
先着70名、一席700円。
当日9時30分から茶室・三賞亭入口にて受付、です。
来年3月までの予定はこちら↓
お時間のあるかた、
ぜひぜひご参加くださいね
「揚輝荘 紅葉茶会」
◆2024年12月1日(日)、8日(日)
揚輝荘 北園 三賞亭(名古屋)
・Instagram →
★ 揚輝荘 →
(北園 : 名古屋市千種区法王町2-5-21)
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