名古屋 松坂屋美術館
『ミュシャ展 マルチ・アーティストの先駆者』(2023-24年)

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2023年最後の記事は『ミュシャ展』ですピンクハートピンクハートピンクハート
これで来日何回目になるのかな?の
チェコ在住ズデニェク・チマル博士のコレクション。
会場内はフラッシュNGでの写真撮影0Kですよニコニコ

が、、、
今展はちょっと……
手放しでは喜べない情報が。
ワタシの好きなサイト『ミュシャを楽しむために』に、
「贋作で知るミュシャの魅力」というページがあります。
そちらによりますと、今回の『ミュシャ展』には、
ミュシャのオリジナルではない作品、ミュシャの真作ではない作品が、
複数含まれているようですタラー

「魅惑のミュシャ展」が「疑惑のミュシャ展」に??
当該作品について、ここでの明言は控えますが、
今後この展覧会をご覧になる予定のかたは、
心にとめておいていただくとよいかと考えます。

ではでは、
印象に残った作品を紹介しますね音符
(展示総数169点。うち初来日92点)


◆ 第1章 挿絵画家としての出発

無名の画家であった頃から、
徐々に自身を確立した時期の作品を紹介しています。


雑誌『フィガロ・イリュストレ、1896年6月第75号』
(レ・カフェ・コンセール特集)表紙
「イヴニング・コンサート」
1896年 リトグラフ/紙
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雑誌『パリ=ノエル』挿絵
1896年 リトグラフ、凸版印刷/紙
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『パリ=ノエル』は、1885年から1913年にかけて毎年12月にパリで発行された年鑑形式の文芸と芸術の雑誌であり、毎号30頁程度で上質な大判の紙が使用された。当時人気のあった作家らによる詩、短編小説、詩歌が掲載され、さらに当時の有名な芸術家によって贅沢に挿絵が添えられた。
出品作の1896年版には、アンリ・デ・ウーによる短編小説『見つけられた子ども』のための、ミュシャによる3点のカラー挿絵が掲載されている。



連作ポストカード「12ヵ月」
1900年 リトグラフ/紙
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ポストカード
「チェコ国立心臓疾患慈善団体」
「ブルノ学校協会」「ズノイモ学校協会」
1917年、1914年、1920年
リトグラフ/紙
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当時オーストリア=ハンガリー帝国のチェコ領内で問題となっていたことのひとつが、教育の問題、なかでもチェコ語を教えるかどうかということであった。
このポストカードのうち、2つは若者たちのドイツ語化を防ぐために作られた学校に関係するものである。また、チェコ国立心臓疾患慈善団体は、貧しい子どもたちや孤児たちを支える団体であり、国内外における子どもたちの生活の資金を負担していた。この慈善団体のためのポストカードには、1917年にミュシャが描いた大型の油彩画が図案に用いられている。



蔵書票
「J. シャイナー博士」
「ヤロスラフ・ポリーフカ」「ヴォストジェバル」
1920年、1913年、1917年
リトグラフ/紙
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ミュシャが作成した興味深い3種の蔵書票である。
ヤロスラフ・ポリーフカは、ミュシャの友人の建築家で、油彩画《エリシュカ》(第5章)のモデルとなったエリシュカ・ポリーフカの父親である。
ヨーゼフ・シャイナーは、チェコの弁護士、役人、代議士、そしてソコル(プラハで創設された民族的体育運動協会)のメンバーだった人物であり、彼のために1920年に作成されたこの蔵書票には「利益も栄光もない(Not Profit-Not Glory)」という言葉が記載されている。



メニュー表
「サラ・ベルナール50歳の誕生日会」
1896年 リトグラフ/紙
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1896年の12月9日、サラ・ベルナール(1844-1923)に敬意を表した誕生日会がパリのル・グラン・ホテルで開催された。これはそのときのメニュー表であり、サラの名を冠したケーキを含め、多数のきわめて豪華なごちそうがメニューとして記載されている。
1896年にパリの印刷所ウジェーヌ・ヴェルノーによって印刷された。



書籍『永遠の歌』
(ポール・ルドネル著)の挿絵より
1898年 リトグラフ/紙
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フランスの詩人、作家、記者で象徴主義の影響を受けていたポール・ルドネルによる『永遠の歌』には、多数の画家が挿絵を寄せたが、ミュシャもそのひとりであった。この作品の図像は、同書の挿絵のために描かれたものである。

写りが良くないけれど、この章のイチ押しピンクハート
連作「四芸術」の《音楽》のデッサンとポーズが似てる。


書籍『装飾アルバム』より
上 :「ビザンティン」(pl.46)
下 :「花言葉」(pl.35)
1900年 リトグラフ/紙
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『装飾アルバム』は、複数の画家による多数の装飾パネルと装飾デザインが所収された3冊セットの図案集である。同書には、ミュシャがパリのカール・グスタフ・フォラー工房のために考案した、室内装飾用布地のための2つのデザイン(「ビザンティン」と「花言葉」)が掲載されている。


書籍『装飾資料集』
(アルフォンス・ミュシャ著)より図版pl.49、pl.59
1902年 凹版印刷/紙
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書籍『装飾人物集』
(アルフォンス・ミュシャ著)より図版pl.8
1905年 凹版印刷/紙
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書籍『装飾人物集』
(アルフォンス・ミュシャ著)より図版pl.17
1905年 凹版印刷/紙
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書籍『装飾人物集』
(アルフォンス・ミュシャ著)より図版pl.9
1905年 凹版印刷/紙
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書籍『装飾人物集』
(アルフォンス・ミュシャ著)より図版pl.34
1905年 凹版印刷/紙
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『装飾資料集』(1902年)ほど大きな成功には至らなかったが、ミュシャは1905年に出版された『装飾人物集』のために改めて人物のモティーフを選んだ。同書には、ミュシャによる素描40点が掲載されており、四角や丸だけでなく幾何学文様のような枠のなかに大人や子どもの女性を描いたパターンが収録されている。これらは『装飾資料集』の掲載作品以上にチェコの民族性が表れた図像が含まれており、いずれも細密な素描で表されている。


プログラム
「ドイツ劇場(ニューヨーク)」表紙
1907年 リトグラフ/紙
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ミュシャは、ニューヨークのドイツ劇場からその改修にあたり、装飾(内装と壁画)の依頼を受けていたが、それが完成したのは、1908年の秋であった。
この劇場は、その後1年で閉鎖してしまったが、出品作は同劇場のプログラムである。



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手前から
雑誌『タウン・トピックス、休日版、
1904年12月8日号』表紙
1904年 リトグラフ/紙

書籍『国際年鑑 : 芸術と文学』表紙
1902年 凸版印刷/紙

書籍『クリスマスとイースターの鐘』
(エミール・ゲパール著)表紙、挿絵
1900年 リトグラフ/紙


◆ 第2章 成功の頂点  ポスターと装飾パネル

ミュシャの代名詞ともいえるポスターを中心に、
その成功の頂点を飾る作品を紹介しています。


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「メディア」のポスターが好きすぎて、
「椿姫」の右隣にある「ジスモンダ」のポスターを入れるの忘れたタラー


ポスター「ジスモンダ」
1894年 リトグラフ/紙
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このポスターは、フランスの大女優サラ・ベルナール(1844-1923)のために、ミュシャが手がけた最初のポスターである。1895年の元旦、このポスターがパリの街に現れると、たちどころにパリのポスター収集家たちに大きな評判を得た。彼らは掲示されたポスターを夜間に剥がしたり、ポスターを掲示する作業員を買収してまで、このポスターを手に入れようとした。
この大きな成功の後、サラ・ベルナールは、ミュシャに自身の宣伝用ポスター、舞台用の衣装、髪型および宝飾品の制作における、6年間の契約を申し出た。



ポスター「椿姫」
1896年 リトグラフ/紙
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ポスター「ロレンザッチオ」
1896年 リトグラフ/紙
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ポスター「サマリアの女」
1897年 リトグラフ/紙
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ポスター「メディア」
1898年 リトグラフ/紙
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ポスター「ハムレット」
1899年 リトグラフ/紙
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ポスター「トスカ」
1898年 リトグラフ/紙
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劇作家ヴィクトリアン・サルドゥが女優サラ・ベルナールのために手がけた『トスカ』は、恋人のために殺人を犯し、その後自らも命を絶った歌姫トスカを題材にした悲劇である。サラの写真をもとに作成されたこのミュシャのポスターは、メロドラマ的な雰囲気は欠いているものの、作品の時代設定に合わせた1800年頃を思わせる歌姫の装いのトスカが巧みに描かれている。
他のサラのための6つのポスターと同様のスタイルながら、「トスカ」は小さな判型で作成された唯一のものであるが、その理由は判明していない。



ポスター「ジョブ」
1896年 リトグラフ/紙
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ポスター「ムーズ・ビール」
1899年 リトグラフ/紙
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ポスター「通り過ぎる風が若さを奪い去る」
1899年 リトグラフ/紙
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ポスター「モラヴィア教師合唱団」
1911年 リトグラフ/紙
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ポスター「イヴァンチッツェ地方の見本市」
1912年 リトグラフ/紙
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ポスター「《スラヴ叙事詩》展」
1928年 リトグラフ/紙
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連作装飾パネル「四季 : 春、夏、秋、冬」
1896年 リトグラフ/紙
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この連作装飾パネルは、印刷会社シャンプノワ社が考案し、ミュシャが手がけた最初のものである。1896年の出版時、出版社の手違いで春と夏の図版を入れ替えて印刷されたが、ミュシャはこれを承認した。ここでは出版時の順番を尊重している。


連作装飾パネル
「一日 : 朝の目覚め、昼の輝き、夕べの夢想、夜のやすらぎ」
1899年 リトグラフ/紙
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この作品は、ミュシャの芸術のひとつの完成形を示している。装飾文様と花で飾られたゴシック様式の窓のなかにいる若い女性たちは、それぞれ一日の異なる時間帯を表している。朝、女性は目を覚まし、昼に生命を輝かせ、夕方にまどろみ、そして、夜は眠りにつく。


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連作装飾パネル「星 : 月光」
1902年 リトグラフ/紙
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連作装飾パネル「星 : 北極星」
1902年 リトグラフ/紙
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チマル・コレクションには、非常に貴重な連作装飾パネル《星》の4点セットのうち、2点が所蔵されている。ミュシャは、人物の姿によって夜空の詩情を表現したこのシリーズにおいて、星を象徴的に扱っており、夜空を横切って漂う青白い月光と雲の表現は幻想性を帯び、間接的な夜の光が神秘性を強調している。
これらの独創的な装飾パネルは、印刷会社シャンプノワ社によって販売された。この作品以降、ミュシャは装飾パネルを手がけることはなかったという。


ミュシャのリトグラフで一番好きな、連作「四つの星」ピンクハート
そのなかでも大好きな《宵の明星》がなくて残念…
でも、二番目に好きな《月》が見られてよかった。


カレンダー「パリスの審判」
1895年 リトグラフ/紙
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カレンダー
「ビスケット・ルフェーヴル=ウティール」
1896年 リトグラフ/紙
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カレンダー
「ビザンティン風の頭部 : ブロンド」
1900年 リトグラフ/紙
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カレンダー
「ビザンティン風の頭部 : ブルネット」
1909年 リトグラフ/紙
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二人の女性が向かい合っていないパターン、
初めて見たわ。


カレンダー「チェコの音楽界」
1930年 リトグラフ/紙
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このカレンダーは、1930年、チェコのトジェシュチにある織物工場R. バルトゥネク社が自社のために作成したもので、ミュシャの油彩画《チェコの音楽界のパンテオン》(1929年)の図像が採用された。この絵には、チェコの作曲家たちが描かれている。

顔でわかるのは、真ん中にいるスメタナとドヴォルザーク。


それでは次回は、
第3章から第5章の作品を紹介しまーすニコニコ
(すでにUP済みです。「次の記事へ」をご覧ください)


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『ミュシャ展 マルチ・アーティストの先駆者』
◆2023年12月9日(土)-2024年1月21日(日)
 松坂屋美術館(名古屋)
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熊本市現代美術館天童市美術館(山形)、パラミタミュージアム(三重)ほかに回る予定です)


松坂屋美術館 →
(名古屋市中区栄3-16-1 松坂屋名古屋店 南館7階)

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