美術館「えき」KYOTO
『ユトリロとヴァラドン 母と子の物語』(2015年)
京都駅で、たまたま時間つぶしに行ってみた……
ユトリロの個人展は観たことないし、お母さんのヴァラドンのことも全然知らなくてね。
そしたら、これがなかなか面白かった!
・第Ⅰ章 ヴァラドンとユトリロ、ふたりの芸術家の誕生(1865-1910)
・第Ⅱ章 ヴァラドンの再婚とユトリロの「白の時代」(1911-1920)
・第Ⅲ章 ヴァラドンの円熟期とユトリロの「色彩の時代」(1921-1930)
・第Ⅳ章 晩年のヴァラドンとユトリロ(1931-)
(展示数 : ヴァラドン40点、ユトリロ39点)
まず、二人の略歴を。。。
(展覧会のチラシより)
★ スュザンヌ(シュザンヌ)・ヴァラドン(1865-1938)
お針子の娘としてフランス中部リモージュ近郊に生まれる。父親は不明。
幼い時にパリに出る。サーカスの曲芸をしていたが、空中ブランコから落下して怪我をし退団。ルノワール、ロートレックといった著名な画家たちのモデルとなった。
ロートレックや作曲家エリック・サティとの恋愛関係、18歳で父親のわからない息子(ユトリロ)を出産し、49歳で21歳年下の男性と再婚。画家としても確かなデッサン力で個性的な裸婦像の作品を描くなど、自由奔放でエネルギッシュな生き方をした。
★ モーリス・ユトリロ(1883-1955)
パリ、モンマルトルに生まれる。父親は不明。
7歳の時にスペイン人ジャーナリスト、ミゲル・ウトリーリョ(ユトリロ)・イ・モルリウスが息子として認知し、モーリス・ユトリロとなる。
絵画制作と恋愛に忙しい母に代わり、祖母が幼いユトリロの面倒を見た。寂しい環境の中、10代の頃から飲酒癖があり、20歳でアルコール依存症のため入院。治療の一環として医者にすすめられたのが絵を描くことだった。
27歳のヴァラドンと9歳のユトリロ
1892年
ヴァラドンは、画家からモデルを依頼されるのも、
また数々の浮き名を流すのも、納得…な美貌の持ち主
一方、母の愛に飢えていたユトリロは身体が弱く、情緒不安定。
20代半ば頃、アンドレ・ユッテルという友人ができ、嬉しくてヴァラドンに紹介したところ、彼女はユッテルと恋に落ち、のちに彼と再婚。←このときヴァラドン49歳、ユッテル28歳、ユトリロ31歳。
ユトリロのショックは、察するにあまりあるわ~
(それでますますアルコール中毒に
)
しかしながら、母子ともに押しも押されもせぬスター画家。
このドライすぎる関係のおかげで、画家としては互いに影響し合うことなく、母は母、子は子で独自の画風を確立したようです。
そして義父のユッテルは、ユトリロが作品を発表するのをサポートしたそうな。
左から、ヴァラドン55歳、ユッテル34歳、ユトリロ37歳
1920年
……とまぁ、前置きはこのくらいにして作品をどうぞ!
スュザンヌ・ヴァラドン
《裸婦の立像と猫》
キャンバスに油彩 1919年 61×50
個人蔵
この作品のにゃんこの部分をアップにしたポストカードがあって、思わずにやり
スュザンヌ・ヴァラドン
《コルト通り12番地、モンマルトル》
キャンバスに油彩 1919年 92×73
個人蔵
スュザンヌ・ヴァラドン
《窓辺のジェルメーヌ・ユッテル》
キャンバスに油彩 1926年 80.8×65
個人蔵
ヴァラドンの夫アンドレ・ユッテルの妹さんです。
スュザンヌ・ヴァラドン
《サン=ベルナールの城のテラス(アン県)》
キャンバスに油彩 1927年 81×60
マリス&マックス・マレシャル蔵
スュザンヌ・ヴァラドン
《花瓶の中のリラの花束》
キャンバスに油彩 1930年 81×65
個人蔵
スュザンヌ・ヴァラドン
《小さなテーブルに置かれた花束》
キャンバスに油彩 1932年 65×54
個人蔵
モーリス・ユトリロ
《「小さな聖体拝受者」、トルシー=アン=ヴァロワの教会(エヌ県)》
厚紙で裏打ちされたキャンバスに油彩
1912年頃 52×69
八木コレクション
モーリス・ユトリロ
《ノルヴァン通り、モンマルトル》
キャンバスに油彩 1912-14年頃 46×33
個人蔵
モーリス・ユトリロ
《コルト通り、モンマルトル》
パネルに貼られたキャンバスに油彩
1916-18年頃 66×50.5
個人蔵
モーリス・ユトリロ
《雪のサン=ピエール教会とサクレ=クール寺院、テルトル広場、モンマルトル》
キャンバスに油彩 1935-37年頃 52.4×64
個人蔵
モーリス・ユトリロ
《サン=ピエール教会とサクレ=クール寺院、モンマルトル》
キャンバスに油彩 1938-40年頃 46×55
個人蔵
当時、フランスでは幻覚等の作用を起こす成分が入った酒、アブサンが流行していて、これで心身を病む芸術家も少なくなかったらしい
ただ、ユトリロはアブサンではなくワインに依存したため、身の破滅を招くことなく長生きをしたのでは?とのことです。
また、ユトリロが7歳のとき、ミゲル・ウトリーリョ(ユトリロ)・イ・モルリウスが彼を認知したわけですが、本当にこの男性が実の父なのかどうかはわからないそうな。
ユトリロは「自分はスュザンヌ・ヴァラドンの子であることに変わりない」という思いから、作品に記すサインの最後に、必ず "ヴァラドン" の頭文字 "V" を書き加えたのだとか。
実の子をあまり顧みず、"画家" として "女" として生きた母……それでも息子は母を愛したんですね
『ユトリロとヴァラドン 母と子の物語』
◆2015年9月11日(金)-10月18日(日)
美術館「えき」KYOTO
・Twitter →
(佐賀県立美術館に回ります)
★ 美術館「えき」KYOTO →
(京都市下京区烏丸通塩小路下ル東塩小路町 ジェイアール京都伊勢丹7階隣接)
【スュザンヌ・ヴァラドン作品集】
【モーリス・ユトリロ作品集】
・テーマ「エコール・ド・パリ」の記事一覧 →
・テーマ「フランス」の記事一覧 →
『ユトリロとヴァラドン 母と子の物語』(2015年)
京都駅で、たまたま時間つぶしに行ってみた……
ユトリロの個人展は観たことないし、お母さんのヴァラドンのことも全然知らなくてね。
そしたら、これがなかなか面白かった!
・第Ⅰ章 ヴァラドンとユトリロ、ふたりの芸術家の誕生(1865-1910)
・第Ⅱ章 ヴァラドンの再婚とユトリロの「白の時代」(1911-1920)
・第Ⅲ章 ヴァラドンの円熟期とユトリロの「色彩の時代」(1921-1930)
・第Ⅳ章 晩年のヴァラドンとユトリロ(1931-)
(展示数 : ヴァラドン40点、ユトリロ39点)
まず、二人の略歴を。。。
(展覧会のチラシより)
★ スュザンヌ(シュザンヌ)・ヴァラドン(1865-1938)
お針子の娘としてフランス中部リモージュ近郊に生まれる。父親は不明。
幼い時にパリに出る。サーカスの曲芸をしていたが、空中ブランコから落下して怪我をし退団。ルノワール、ロートレックといった著名な画家たちのモデルとなった。
ロートレックや作曲家エリック・サティとの恋愛関係、18歳で父親のわからない息子(ユトリロ)を出産し、49歳で21歳年下の男性と再婚。画家としても確かなデッサン力で個性的な裸婦像の作品を描くなど、自由奔放でエネルギッシュな生き方をした。
★ モーリス・ユトリロ(1883-1955)
パリ、モンマルトルに生まれる。父親は不明。
7歳の時にスペイン人ジャーナリスト、ミゲル・ウトリーリョ(ユトリロ)・イ・モルリウスが息子として認知し、モーリス・ユトリロとなる。
絵画制作と恋愛に忙しい母に代わり、祖母が幼いユトリロの面倒を見た。寂しい環境の中、10代の頃から飲酒癖があり、20歳でアルコール依存症のため入院。治療の一環として医者にすすめられたのが絵を描くことだった。
27歳のヴァラドンと9歳のユトリロ
1892年
ヴァラドンは、画家からモデルを依頼されるのも、
また数々の浮き名を流すのも、納得…な美貌の持ち主
一方、母の愛に飢えていたユトリロは身体が弱く、情緒不安定。
20代半ば頃、アンドレ・ユッテルという友人ができ、嬉しくてヴァラドンに紹介したところ、彼女はユッテルと恋に落ち、のちに彼と再婚。←このときヴァラドン49歳、ユッテル28歳、ユトリロ31歳。
ユトリロのショックは、察するにあまりあるわ~
(それでますますアルコール中毒に
しかしながら、母子ともに押しも押されもせぬスター画家。
このドライすぎる関係のおかげで、画家としては互いに影響し合うことなく、母は母、子は子で独自の画風を確立したようです。
そして義父のユッテルは、ユトリロが作品を発表するのをサポートしたそうな。
左から、ヴァラドン55歳、ユッテル34歳、ユトリロ37歳
1920年
……とまぁ、前置きはこのくらいにして作品をどうぞ!
スュザンヌ・ヴァラドン
《裸婦の立像と猫》
キャンバスに油彩 1919年 61×50
個人蔵
この作品のにゃんこの部分をアップにしたポストカードがあって、思わずにやり
スュザンヌ・ヴァラドン
《コルト通り12番地、モンマルトル》
キャンバスに油彩 1919年 92×73
個人蔵
スュザンヌ・ヴァラドン
《窓辺のジェルメーヌ・ユッテル》
キャンバスに油彩 1926年 80.8×65
個人蔵
ヴァラドンの夫アンドレ・ユッテルの妹さんです。
スュザンヌ・ヴァラドン
《サン=ベルナールの城のテラス(アン県)》
キャンバスに油彩 1927年 81×60
マリス&マックス・マレシャル蔵
スュザンヌ・ヴァラドン
《花瓶の中のリラの花束》
キャンバスに油彩 1930年 81×65
個人蔵
スュザンヌ・ヴァラドン
《小さなテーブルに置かれた花束》
キャンバスに油彩 1932年 65×54
個人蔵
モーリス・ユトリロ
《「小さな聖体拝受者」、トルシー=アン=ヴァロワの教会(エヌ県)》
厚紙で裏打ちされたキャンバスに油彩
1912年頃 52×69
八木コレクション
モーリス・ユトリロ
《ノルヴァン通り、モンマルトル》
キャンバスに油彩 1912-14年頃 46×33
個人蔵
モーリス・ユトリロ
《コルト通り、モンマルトル》
パネルに貼られたキャンバスに油彩
1916-18年頃 66×50.5
個人蔵
モーリス・ユトリロ
《雪のサン=ピエール教会とサクレ=クール寺院、テルトル広場、モンマルトル》
キャンバスに油彩 1935-37年頃 52.4×64
個人蔵
モーリス・ユトリロ
《サン=ピエール教会とサクレ=クール寺院、モンマルトル》
キャンバスに油彩 1938-40年頃 46×55
個人蔵
当時、フランスでは幻覚等の作用を起こす成分が入った酒、アブサンが流行していて、これで心身を病む芸術家も少なくなかったらしい
ただ、ユトリロはアブサンではなくワインに依存したため、身の破滅を招くことなく長生きをしたのでは?とのことです。
また、ユトリロが7歳のとき、ミゲル・ウトリーリョ(ユトリロ)・イ・モルリウスが彼を認知したわけですが、本当にこの男性が実の父なのかどうかはわからないそうな。
ユトリロは「自分はスュザンヌ・ヴァラドンの子であることに変わりない」という思いから、作品に記すサインの最後に、必ず "ヴァラドン" の頭文字 "V" を書き加えたのだとか。
実の子をあまり顧みず、"画家" として "女" として生きた母……それでも息子は母を愛したんですね
『ユトリロとヴァラドン 母と子の物語』
◆2015年9月11日(金)-10月18日(日)
美術館「えき」KYOTO
・Twitter →
(佐賀県立美術館に回ります)
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(京都市下京区烏丸通塩小路下ル東塩小路町 ジェイアール京都伊勢丹7階隣接)
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