心優しい勇者たちへ

 

 

 


「今ここ」に自分を合わせ


「素直な心」にチューニングする


森山華伊です。

 

 

 




私は、痩せることが

人生の最優先だった期間(18〜43歳)

まるで痩せるために生きている

ような感じでした。



そのためなら、

人付き合いも避けていましたし

好きなものを嫌いなことにしたり

大して好きでもないものを

好きなことにしていました。



すると次第に、

自分の本当の気持ちや

本来好きなものや大切なものが

わからなくなってくるのですね。



自分の気持ちや

自分の好きなものや

自分の大切なものより…



人や世間から

受け入れてもらえるかどうかを

気にして生きていたように思います。



前者は私的に対し、

後者は公的な視点です。



私的なことより

公的なことが重要であり

信頼できる(信頼される)と

思い込んでいたのだと思います。





私が「カタチ」にこだわっていたのは

目に見えることこそが

何かを証明してくれて、

自分に価値をもたらせると

思っていたところがあります。



カタチとは、例えば…

体重やカロリー、

成績などの数字、

誰が見ても正しい、美しいと

認めてくれるような答えや

実績や外見といったものです。



これは、人や時代や場所などにより

価値観は変わるものである

という観点でいくと、

「誰が見ても正しい、美しい」

というのは現実的ではありません。



別に世間に証明しなくても

自分の好きなように生きればいいと

今の私ならそう思えますが…



当時はその感覚がよくわからなくて

「目指すべきカタチ」とか

「正しいと信じている自分ルール」

を拠り所にして

常にそれにとらわれていました。



「自由」とか「曖昧」は

かえって不安になり

白黒ハッキリさせたくなるのです。



白黒つけるということは、

正しいか、間違っているか、

美しいか、醜いか、

優れているか、劣っているかといった

「二極だけ」で物事を

ジャッジすることです。



白はいいけど、黒は許せない。

自分の中に敵か味方しかいない。

味方も一度嫌になった途端に

敵にして、切り捨てる。



食べ物、体重、カロリーをはじめ、

あらゆることを白黒でしか

見れなくなっている状態です。

私はこの状態が長かったです。



「状態」と言っているのは、

「いつでも変わる」

「いつかは変わる」

と思うことから

この言葉を使っています。



例えば「決めつけが激しい人」

というのも実際は…



今、決めつけが激しい状態にある人

ということかもしれないし、

または、

その人を「決めつけが激しい」

と感じた自分の一印象にすぎない

とも言えるでしょう。



もう少し噛み砕くと…



「私は話が下手」だと

私が思ったとします。

すると、

話が下手だと信じている私は

話すことに劣等感をもち、

話さなければならないような場面を

何とかして避けるようになるでしょう。



そこで、現実的な視点から表現すると…



例えば、こう言い換えると

どうでしょうか。



「◯◯のシチュエーションだと

話が下手になってしまう」



「今は下手かもしれないけど、

この先ずっととは限らない」



「何をもって下手なのか、

上手なのかは人それぞれ違う」



「下手だと自分では感じているが

人がどう思っているかは

聞いてみないとわからない」



「そもそも話が下手なのは

悪いことなのか?」



…というふうに、

捉えることもできます。



今までは、

「なんて下手なんだろう!」

というのが定番の

自分にかけていた言葉だったとしたら、

癖を直すように少し意識して

かける言葉を変えてみる。



すると、今までのジャッジ

「私は話が下手」

という烙印が消えて…



色々な可能性が

目の前に広がってくるのを感じます。



私たちは知らず知らずのうちに

自分や他人に対し

「私はこうだ」

「あの人はこうだ」と思い込んで、

その色眼鏡で見ていることは

結構あるのではないでしょうか。



意識していないと、つい、

先入観で早とちりしてしまったりします。



私はある時から、

自分の思い込みに気付いた時は、

そのたびに上記のように

「言い換える」ことを

意識するようにしました。



すると少しずつ

「いつもこうだ!」

と思い込んでいたことが…



「そうとも限らないぞ?!」

「いつもではないなぁ?!」

と立ち止まり

捉え直す引っ掛かりができてきました。



それと同時に

人や自分に対して

穏やかになってきたように感じます。



そして、あんなにとらわれていた

食べ物や体型へのジャッジも

なくなりました。



自分の外側の価値基準ではなく、

「自分の体や心は、

今、何が必要としているか?」

という自分の内側の感覚を信じて

それによって選ぶことが

できるようになりました。



このようにして

「言い換え」と「捉え直し」を

繰り返ししていくうちに

思い込みは解かれていきます。

そうして可能性を広げていき、

自分の感覚を信頼し採用すること。



これが、自分でコントロールできる

「自分の内外の世界を

優しくする方法」ではないかと

思っています。



 
 
 

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「今ここ」に意識を合わせて、


落ち着きを取り戻す。

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いつもありがとうございます。



森山 華伊


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