心優しい勇者たちへ

 

 

 


「今ここ」に自分を合わせ


「素直な心」にチューニングする


森山華伊です。





無意識でしている対人パターンを


意識させられるような出来事が


ここ最近続きました。




あらためて自覚した


私の対人パターンや


セルフイメージはどういうものか?


というと…




・自分はできない(弱い・下っ端)


 だから前へ出てはいけない


・人からも下に見られている感じがする


 だから人は私に頼みごとをしないのだろう


・私は私で「頼りない私」という


 イメージ通りの言動をとっていたり


 雰囲気を醸し出しているようだ


・「頼りない」というレッテルを貼られ


 私も自分にそうレッテルを貼っている


・まず先に私が自分に


 そういうレッテルを貼っているから


 人からもそういうレッテルを


 貼られているような気がする


 のかもしれない




最近、そんなふうに思わせるような


出来事が続く中、


先行く人から助言をもらいました。




それは…




・事実を把握するようにする


・思い込み(主観の暴走)の可能性がある


・批判されることの恐れは、


 自分が人を批判しているかもしれない


・こうして欲しいと


 言われたわけではないのに、


 期待に添えていないと


 思い込んでいるだけかもしれない


・目立たないようにしているのは、


 本当は目立ちたい気持ちが


 隠れているかもしれない


・自分を出さないようにしているのは、


 自分の中に出したいものがあるから


 なのかもしれない 


・弱そうにしている(無意識で)のは、


 自分の中にある攻撃性が出ないように


 しているのかもしれない


・爆弾が爆発しないように


 火の用心している


・外側から見える従順さと


 内側にある強情さが


 拮抗しているかもしれない


・わかりやすく例えると


 この世にはポジティブな人と


 ネガティブな人がいるが


 両方必要であり


 だからこそバランスがとれる


・みんなそれぞれ得意・不得意がある


 と思うと自己卑下が中和される


・自分に合わないことはやらなくていい


・自分を知り、自分の特性を活かした


 関わり方を見つける


・どういう場合に


 自分らしさを発揮するのが難しいか、


 または発揮しやすいかを書き出し


 客観視してみる


・「あの人のようにできなければいけない」


 のではなく、


 自分を出せるような場・人などの環境や


 手段を自分で決める


・自分にないものは反応しない


・知らない言語、


 例えばアラビア語で悪口を言われても、


 反応しないのと同じで、


 自分になければ反応も起きない


・ネガティブなことだけでなく


 「素敵だな」「かわいいな」


 という感情が起きるのは、


 自分にも同じような要素があるから


 刺激を受けて反応(感情)が起きる








そう助言されて感じたことは…




抑える力が強い(抑えなくてはいけないと


思い込んでいるものがある)から、


声が小さいのだと思いました。




そういえば昔、両親が私に


「生活音がない」「幽霊みたい」


と言っていたことがあります。


「家に存在しない子供」


でいようと、どこかそんなふうに


思っていたと思います。




内側のエネルギーは言葉にすると


誰かを傷つけることがある


かもしれないけれど…




音楽、創作などの表現や


スポーツなどの発散に


変換すればいいのだと


あらためて思いました。




「本来の積極性を出していい」


と、自分に許そう。


いつも自分に正直でいればいい。




無意識に追いやっていた


自分自身が最も認めたくなかったもの、


それは、私の本質にある激しさ。




親からも事あるごとに


言われたことがあり…


他の三人からも別々の場面で


「本来は戦車のような強さがある」


「心に爆弾を抱えている」


と比喩されたことがあります。


その時は「そうかなぁ」くらいに


思っていました。




どういう時に自分は心がざわつくのか、


反応するのかを振り返ると…




「高圧的な人」「強引な人」


「自分の正しさを押し付けてくる人」


「自己中心的な人」


と接する時に不安定になることが


多いような気がします。




ざわつくということは、実は自分にも


それがあるから起きる反応であると


自分に認めさせるために、


最近頻繁にそう感じさせるような


出来事が起きていたのかなと


思います。




だから私は、無意識のうちに


自信がないようにしてきたのかな。


そうしてきたのは、


自分の中の戦車や爆弾を恐れていて、


自覚しないように自ら


抑えていたのかなと思います。




どうりで疲れやすいはずです。


戦車や爆弾が発動しないよう


用心深く火のもと(刺激)を


避けてきたところが確かにあります。






自分の気質を今、


認めることができました。


暴走ではなく前進するために、


爆発ではなく表現するために、


その気質を活かして


外に出していかないといけません。


(あえて、must調にしました)




「静かな人」「主張しない人」という


他人(自分)の目からの自分のイメージに


引っ張られていたことを自覚しました。


「戦車」「爆弾」と言われたのは


随分と昔のことなのに


今ようやくその言わんとすることが


腑に落ちた気がします。



それが悪いから治すというのではなく、


活かしていく方を選ぶ時がきたのです。


そのことを気付かせるために


数々の出来事が起きたんだなぁって


思います。


回り道をしたけれど、


長い年月や苦々しい経験も


私には必要だったのだと思います。




今回は私自身の


最近の気付きをシェアしました。


何か参考になれたら嬉しいです。



 

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「今ここ」に意識を合わせて、


落ち着きを取り戻す。

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森山 華伊


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