心優しい勇者たちへ



「今ここ」に自分を合わせ


「素直な心」にチューニングする


森山華伊です。

 

今日は、いつもと違って

現在進行中の私の悩みをシェアします。


 

 

 

 「私はできない人」

 



私はどこに行っても「できない人」

何やっても人並みにできない。

機転が利かない…

先を見越せない…

言葉の裏が読めない…

雑音が多いところでの会話ができない…

(何を言っているのか聞き取れない)

無言の要求に瞬時に応えられない…

暗黙の了解がよくわからない…

冗談の返し方がわからない…



「鈍臭い」と

思われているだろうことはわかる。

中でも「がっかりされる」とか

「馬鹿にされる」ということにおいては

反射神経が研ぎ澄まされているようだ。



人の感情は察知できる方だと思うし

それを(人が自分をどう思っているのか)

「そうだ」と自覚しているだけに辛い。

自分の「できなさ」が、人といると

「これでもか!」ってくらい突き付けられる。

敏感なんだか鈍感なんだか…



自分がこの場合、

何を発言してどう動けば

その場にとって一番相応しいのかが

瞬間的にわからない。

(少し後で人と自分の感覚のズレに気付く)



「障害」「弱そうな雰囲気」

という印籠をかざしているつもりはないけど

周囲の人は私に気を使っているのは

よく伝わってくる。



自分の弱さを盾にして

責められないように自分を守って

人の優しさにあぐらをかいて

私は人に対し暗に

言わせないように(割れ物注意!的な)

仕向けているのではないか?

「弱さの暴力」



そうしてますます

「できない人」でいることを

知らず知らずにやっている。

(「楽しようと逃げてる」と自分を責める)



「フォローする人」と

「フォローされる人」という

人間関係のパターンを繰り返し

それぞれの役割を当たり前に演じ合う。



「またか」「やっぱり」と思いながら

お互いに同じパターンを繰り返し

周知の事実の構図を上塗りする。



一つ一つは小さな出来事であっても

「私が悪い」という証明が

一枚一枚積み重ねられていく。

まるで私だけが問題みたいになっている

(ような気がする)。

「正しさの暴力」



自分だけが悪いわけではないことは

知識としてはなんとなくわかるし

人にもそう助言する。

「人と自分」「場と自分」との

関係性や慣習の中

お互いの反応で創られた出来事であると。



「できない人」というレッテルを

一度貼られるとそれ以降

私は「できない人」として扱われる。

するとそれは周囲にも広がり

みんなが私を「できない人」として扱うから

私も「できない人」として

無意識に振る舞う。

たとえできることであっても

「この人はできない」「任せられない」

という雰囲気を出される。

そして私も何故か「できない」を選ぶ。

そしてまた「できない人」の烙印を押される。


それにしても、この見えない引力は

みんなで創っていると言えなくはないか?

(自分でも負け犬の遠吠えみたいに

聞こえなくもないが…)



この見えない引力を

この「できない私」が説明したとて

「言い訳」「人のせい」にしか

聞こえないだろう。



実際私は人並みにできないのだから…。

(「できなくさせている集合心理

(職場の人間関係における無意識)がある」

と、第三者視点の私は思う)



「できない人」の周りは

「できない人」というレッテルを貼る環境があり

「できない人」を演じさせられ続けてきた

その人の歴史と…



「できる人」の周りは

「できる人」というレッテルを貼る環境があり

「できる人」を演じさせられ続けてきた

その人の歴史があって…



そのシナリオを疑うことなく

「私はいつもどこでもできない人」

「私はいつもどこでも必要とされる人」

といったセルフイメージを

それぞれが積み重ねてきたのだろう。





「私なりに」頑張っていても

周りには頑張っているように見られない。

「できる人」の引き立て役みたいになる。

(この卑屈さが卑屈になるような出来事を

さらに創る)

だけどその役を演じ合っていることは

誰も気付いていないようだ。





事務の仕事で

「できない人」である私が電話に出ると

「◯◯さん(できる人)に変わって下さい」と

開口一番、毎回言われ続ける屈辱感も

無意識に追いやらないとやっていられない。



私が雑用をやろうとすると

「やらなくていい!」とキツく言われて

させてもらえない。

(そこで「私がやります!」と

食らいつくのがこの場合正しい?)

平常心を装って澄ました顔していないと

場のサイクルが回らない。

「すみません」と言い過ぎれば

惨めさが追い討ちをかけるよう。

黙っていれば

図々しく見られている気がして

罪悪感がまた刻まれる…。



ここに来て8年目になろうとしているのに

「できない人」のレッテルは貼られっぱなし。

「ならばそれを覆すような成果を

見せ付ければいい」

という世間の声が聞こえてくるようだ。



「できる人」は

「ありがとう」と感謝され

自己肯定感、自己信頼感は上がるだろうけど…



「できない人」は

「すみません」と謝ってばかりで

自己否定感、自己不信感を強める感じがする。



誰が見ても「あなたが至らないから」

ということで片づけられる。

これは思い込みではなく

「実際にそうだ」と私は思う。



するとますます自信をなくす。

いつまで経ってもできることが増えない。



いい意味の「開き直り」

「振り切り」のつもりが…



世間からすれば「太々しさ」に

映るような感じがしてならない。



「分からなければ聞きなさい」

と言われたり…



聞けば聞いたで

「そんなことも分からないの?」

という顔されたり…



「指示する前にやりなさい」

という圧を感じたり…



「確認してからやりなさい」

と言われたり…



どうすることが相手の正解なのか

その場に相応しいのかが

曖昧でよくわからない。



また言われるんじゃないか

ビクビクする。

ビクビクすると相手のイライラ

(罪悪感?)を刺激するようで

「ビクビクする私が悪い」みたいになる。



こうして成長の芽を摘まれ

可能性を信じてもらえない中で

「できない人」のイメージは

確固たるものになっていった…。



ここからどう

本来の自分の能力を信じたり活かしたり

自信を取り戻すようになれるのか?



この見えない引力について

実際「できない人」である私が話しても

「言い訳だ」「人のせいにしている」

と思われるのがおちだ。



人に分かってもらおうとすると

虚しくなるだけだから何も言わない。



こんな時自分を救うためには

「見えない引力によって

演じさせられている」という

「関係性のパターン」を自覚すること。

すると、自分を追い詰めて惨めになったり

自分の無価値観に苦しめられる思考を

一旦止められるような気がしている。





もしあなたも

似たようなことで悩んでいるなら

参考になれれば…と思って

人には言わない自分の話を

思うままに書きました。



職場だけでなく

親子関係、友達関係、師弟関係など

様々な場面で集合的無意識の声を聞き、

その見えない引力に気付き、

自分の本心を感じ取ることと、

その人(人達)の立場になってイメージした上で

「自分はその人とこれから、

どんな関係性を築いていきたいか?」

という視点をもつといいかもしれません。



思いきり辛さを吐き出したら

あとは冷静になり

「これからこの人と

どんなふうになっていきたいか?」

について思考をシフトするのです。



「自分はどんな役を演じているだろう?」

と問いかけてみるのもいいかもしれません。

「私は〇〇な人」という

セルフイメージは

集合的無意識(集団心理)という

見えない引力が働いて創られたのだとしても

そのセルフイメージの再生ボタンを

押しているのは自分です。

「そのセルフイメージが現実を創っている」

ということを自分に気付かせるために

「私は〇〇な人」(ネガティブ)と

思わせるような嫌な出来事が

繰り返されるのです。

自分が自分のことを

「私はできない人である」

と思っているから

人も自分のことを

「あなたはできない人だ」

という扱いをするわけです。



「あなたはできない人だ」

と扱われながら

「私はできる人だ」なんて

なかなか思えないものですが、

落ち着いた場所でならできるとか、

コツコツ一人作業ならできるとか、

自分に合うスタイルに気付く

きっかけになったり、

自分だけが悪いのではなく

見えない引力が働いて

それぞれがその役を

演じているだけに過ぎないと

公正な判断ができるようになったりするので

その嫌な出来事から教えられることもあります。



しつこく繰り返しますが、

嫌な気持ちを吐き出すために

この出来事が起きました。

その吐き出したものが

自分の観念やセルフイメージです。

それに気付いて手放すために

その嫌な出来事が起きました。



この見えない引力、仕組みを自覚したら

自分を追い詰めるほど落ち込まなくてすみます。

似たようなことで悩んでいたら

私の話、思い出してくださいね。

私も一緒に乗り越えますよ。



 

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「今ここ」に意識を合わせて、


落ち着きを取り戻す。

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送られますように…。



いつもありがとうございます。



森山 華伊


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