心優しい勇者たちへ



「今ここ」に自分を合わせ


「素直な心」にチューニングする


森山華伊です。

 

 

 


「何も悪いことしていないのに、


何で私が変わらなければいけないの?


あの人が変わるべきよ!」


という気持ちに


なることがあります。



いかに相手が悪いかを


証明したくなる気持ちに


なったりもします。



自分の観念(思い込み)が鏡となって


映し出された世界を、


私は感じている…



相手の言動や出来事は全て、


自分の観念によって


感じとっている…



だから、


自分の観念さえ変えれば


相手も出来事も変わるということは


理屈ではわかっていても…



いざ、理不尽な出来事にあうと


自分ではなく


相手を変えたくなってしまう。



 だってどう考えても、


「相手がおかしい!」と思うから。



だけど、


自分が変わらなければいけない…


「そんなの負けを認めるみたいで


悔しい!」


という気持ちになったりもします。



今回は、


『私は悪くないのに、

なぜ変わらなきゃいけないの?』と題し、

「変わることへの抵抗の解消法」について

話していこうと思います。

 
 

 

  変わりたくない気持ち

 

 


「あの人が悪いのだから

あの人が変わるべきだ!」

という思考が生まれる前提には、

二つの観念があるように思います。

一つ目は、「あの人(言動・思考)=悪」

二つ目は、「悪いところは変えるべき」

という観念です。

 

「悪いところは変えるべき」

という観念は…

 

「変えなくてはいけないのは

悪いからである」

という観念を作ります。

 

この観念があると…

 

自分の観念を見つけて、

認めて、手放す、

変えていくということを

「やりたくない」

という気持ちにさせます。

 

なぜなら、

「変えるということは、

私や観念が悪いからである」

ということになるからです。

 

でも、「私は悪くない!」

「私のこの気持ちは私の真実!」

と思っているので…

 

「変えたくない」と反発するのです。

 

「なぜ、あの人が悪いのに、

私が変わらなきゃいけないんだ!」

と、抵抗が起きるわけです。

 

これが、私たちが自分自身と向き合い

解放していくことを難しくさせている

大きな要因ではないかと思っています。

 

現実から受け取るものは全て

自分の観念から発生しています。

自分の観念が変わらない限り

世界は変わらない。

 

ネガティブな観念を変えない限り

心から望む世界は現れない。

 

そうだとすれば…

 

「相手を変えようとするよりも、

自分の観念を変える方がカンタン!」

という気持ちになれたら

いいわけです。

 

そういう気持ちになるためには、

「変えるということは私が悪いから」

という観念を手放しましょう。

 

私たちは自己否定をしている時、

気分がドヨーンと落ち込みます。

「変える=悪いから」が前提の上に

観念を変えることについて言われると

責められいるようにも感じ

怒りさえ覚えるものです。

「観念を変える」ということが

「私が悪い=自己否定(自責)」

を刺激するからです。

「変える、変わる」ということが

屈辱的にも感じるかもしれません。

だから、この観念に心当たりのある人は、

この機会に解消していきましょう。

 

 

 

  変える理由

 



「変える=悪いから」ではありません。

悪いから変わらなくてはいけない

のではないのです。

 

善悪でジャッジは入らず、ただ、

「観念Aが出来事Bを発生させている」

(A→B)

だから変えるのです。

 

「正しい・間違っている」とか

「綺麗・汚い」ということではなくて、

嫌な気分になるのは

嫌な気分を発生させる観念がある

ということです。

 

楽しい出来事が起きるのは

自分を楽しくさせる観念がある

ということです。

 

水を冷凍庫に入れたら氷ができて

(冷やす→氷)

水を火にかけたらお湯ができるのと同じ。

(熱する→湯)

「大切にされたいのに蔑ろにされた」

ということは…

 

「大切にされる観念」ではなくて

「蔑ろにされる観念」をもっていた

ということが考えられます。

 

これからも蔑ろにされるままでよければ

「蔑ろにされる観念」は変えなくていい

ということになりますが…

 

大切にされたいと思うのだとしたら

「大切にされる観念」へ変える方が

スムーズにいきます。

 

冷凍庫でお湯は作れません。

火で氷は作れません。

私たちの各々の世界は

自分の観念でできています。

 

その人が優しいのではなくて

自分の観念がその人に

「優しさ」を引き出させているのです。

 

その人が冷たいのではなくて

自分の観念がその人に

「冷たさ」を引き出させているのです。

 

自分でさえも

自分の観念通りに

突き動かされている。

 

だから観念さえ変えれば

どんな自分にもなれるのです。

 

 

 

  新しい観念の上書き

 

 

 

自分で自分の現実を創っている。

つまり、この現実は

自分の観念によって生まれた

ということならば…

 

「怒ってはいけない」

「不満に思ってはいけない」

ということか?

というと、そうではありません。

 

自分の観念により生じさせたからこそ

怒りや不満を洗いざらい

吐き出すべきなのです。

 

「あの人は間違っている!」

と、吐き出すために

その出来事は起きました。

 

吐き出して、

観念を変えるために…

その出来事は起きたのです。

 

「私は何やっても下手」

という観念を変えるために…

「見くびられる」

という出来事が起きたのです。

 

「見くびられるのは私のせい?」

いいえ、違います。

 

善悪、優劣はありません。

誰のせいでもないですし、

誰の観念も悪くはありません。

 

自分や観念が悪いから

嫌な気分になるのではなくて…

 

そういう出来事を引き起こす

観念があるから

そういう出来事が起きたまでです。

 

そして、

その観念は変えない限り

どんなに環境を変えても

また同じような出来事に

あうのでしょう。

 

これは、

水を冷凍庫に入れている限り

お湯はできないのと同じです。

 

お湯が欲しければ

水を火にかけたらいい。

自分が悪いから変えるのではなく、

お湯が欲しいと思うから変えるのです。

 

同じように…

認めて欲しいと思うなら

「私は何やっても下手」

と思うことをやめることです。

 

「やめたくてもやめられない」

ならば…

「やめないでいることのメリット」

が、きっとあるはずです。

 

それは何だろう?

やめなくさせているのは何か?

やめることのデメリットは?

やめた先に何が見える?

やめないでいることで

何(誰)を守ってる?

…という問いかけをしてみましょう。

 

もし、そこで

方向転換をしたいと思うなら…

 

新しい観念(しっくり感のある)を

つくって、自分に馴染ませましょう。

 

たとえば、

「私は何やってもウマイ!」

というのは、

なんだか無理矢理な感じが

あるかもしれません。

 

その場合は、

下手を上手へと変えるのではなく、

「下手=劣=恥」から

「下手は活かしよう」で…

 

たとえば、

「ヘタウマは味わいがある!」

という観念ができたら

(自分にとってのしっくり感が大事)

また違う世界が広がりそうです。

 

自分は悪くなくても

観念を変えなければ

現実はなかなか変わりません。

 

しかし、

現実がうまくいかないのは

自分が悪いからではありません。

 

「うまくいかない現実=罰」

「私=罪人=償うべき人」

「私に幸せは似合わない」

という観念も

一緒に手放していきましょう。

 

 

 

  タロットメール鑑定
モニター募集中

 

 

 

気持ちの整理をしたり

新たな目標を設定したり

行動指針や方向転換のために

タロットメール鑑定を

使ってみませんか?



自分の無意識と繋がり

深層の自分と対話しながら

気付きを促すことを

目的としています。



未来は決まっている

という前提のいわゆる

「当てる占い」ではなく…



あくまでも

「答えはその人の中にある」

「未来は変えていける」

というスタンスですので

安心してご活用くださいね。

ご興味がある方はこちらからどうぞ。

https://resast.jp/inquiry/101351


 

************

「今ここ」に意識を合わせて、


落ち着きを取り戻す。

自分にとっての


「ちょうどいい」(中庸)を


見つけるメールマガジン


『ハッピーミーンのススメ』を


お届けしています。



★登録ページはこちらです。
https://resast.jp/subscribe/166735/1990121


本来の自分を取り戻し


喜び楽しむ日々を


送られますように…。



いつもありがとうございます。



森山 華伊


************